「書けば、わかるよ」。

小説を書けなくなった作家でもある少年が、ヤンデレの少女に精神的に囚われ、彼女と自分のために小説を書く羽目になり、あまたの修羅場のあげく、彼はやがて肉体的にも囚われ――というものがたりですが、凄惨ともいえるストーリーに悶絶しつつも、読み始めたならラストまでぜひ、読んでいただきたい。伏線の回収、そしてタイトルの意味がわかるとき、背筋を駆け抜ける寒気の度合いが違ってきます……。

さて、ここからは極めて個人的な感想になりますが、わたしはこの主人公と同じ「物書き」です。もちろんプロではないですが。しかしながら、この主人公も作中で体験する「書けなくなったときの絶望」「書けたときの愉悦」に既視感を覚える程度には、「物書き」です。
なので、どうしても主人公の揺れ動く感情に、いっしょに心かき乱れる自分がいました。ここで登場する円花という人物は、ヤンデレの一言で片すには余りあるほどの歪んだ人物です。できれば一生お近づきになりたくないタイプの人間です。だけど、もし自分が一生「書き続けられる」ための「装置」として目の前に現れたら……? と、考えたとき、受け入れて従ってしまいそうな自分が垣間見えて、心の底からぞっとしました。
なので、物書き、それもその行為に日々苦悩を感じている人間には、ただストーリーが衝撃的である以上に、業の深い作品、と云えるのかも知れません。

――え? 何言ってるか分からない? 物書きの逡巡なんぞ知らない?
そう仰る方がいらしたら、わたしはこう言いたい。
「書けば、わかるよ」と――。