華薫華の男たち 4

 確かにその目で見たはずの入り口はどこにも無くそこには壁があるだけだ。


 入室したはずのマニエ人が壁の向こうで何をさせられているのか気になるが、嗜好という意味では悪いことではなさそうだと思う。


 その一方で悪の巣窟とされるこの国の人類は穏健おんけんではないと認識している分、安楽な気持ちではいられず不安を掻き消す事ができないチエの脳内は悶々としている。自分の中に取り入れ解釈し理解しそれを吸収することができない。


 ここは悪する国である事に間違いないのだ。


 突如に現れた男に剣を突きつけられた時にはまさにガイト国だと恐怖を感じたが、今こうして光聖こうせいやマイン、せいと接していると悪業を行うような悪人だとも思えず学んできた知識よりも実際に目で見た現実との違いに気もそぞろだ。


 前方を歩く二人が壁の前で立ち止まり光聖こうせいの方に振り向いた。通路の果ては行き止まりになっている。


 辺りを見回せば淡黄色の壁はいつのまにか茶褐色に変色している。ドーム内に映し出された樹木の幹の色合いによく似ていると思い、つい触れてしまった。


【ひゃー!くすぐったいよ】


 思わず手を引っ込めた。華薫華かくんか内のどこからともなく響き渡る声の主をきょろきょろと探す。


「やめろ……ヒコナツ!」


 光聖こうせいが叫んだ。


【いいじゃない。チエ、もっと触って】


 困った顔をするチエをみて光聖こうせいは、


「気にしなくていいぞ。ヒコナツ、ふざけてないで、早くここを開けろ」


【ふざけてないし、早く開けろって誰に命令してるの「開けてくださいお願いします」って言ってくれないと開けないよ】


 光聖こうせいの声色を真似た。


 自分の声を聴かされた光聖こうせいは大きく息を吸って吐いた。側頭部にぴしぴしと浮あがる血管に苛立ちの度合いがわかる。怒りをグッと堪えているところに、


光聖こうせい様「お願いします」と言ってください」


 空気の読めないせいは小声で言った。マインは呆れ果てため息をついて天井を見上げる。


 光聖こうせいは眼球と歯を剥き出しにし睨みつけた。せいは全身を萎縮させて二、三歩、後退あとずさり俯く、その様子を見ていたチエが、


「お願いします」


 と恥ずかしそうに小さな声で呟いた。二人はチエをまじまじと見下ろしている。


「ごめんなさい。パルを抱えているマインさんの腕が疲れると思って」


 マインは腕に抱えるパルに視線を落とすがたいして何も感じていない。


「……気遣いは無用です。この男は思いの外軽いんで大した事はありません」


 労りの言葉を受けたマインはチエの優しさに感動し思わず微笑むチエの表情を真似てみた。


 頬の筋肉がぴくぴくと引き攣り懸命に口角を上げようとするのだが笑い顔が上手くできない。


 どんなに頰筋を動かそうとしてもその顔はチエに噛みつこうとする猛獣のようでチエは思わず光聖こうせいの背後に隠れた。


「お前……なんだその顔!チエが怖がってるだろ。顔を元に戻せ!」


【マイン、君に笑顔は無理だよ。鍛錬しなきゃできないと思うね。光聖こうせいもチエのように素直にならないと本当、損するよ】


「うるさい!開けろと言ったら開けろ!」


【ほんと、光聖こうせいって可愛く無い】


 目の前の壁に小さな穴が出現し高速回転しニ秒とかからず楕円形へと変形し壁の向こう側の通路と繋がった。


 マインが開いた壁を通り抜けると光聖こうせいがチエの背中を押し通り、最後にせいが通り抜け一瞬のうちに再び壁と化した。チエは振り返ったままその壁を凝視している。


「どうかしましたか」


 とせいはチエの顔を見つめる。


「……壁に戻った」


「はい、いつものことです」


 あっけらかんと応えたせいはチエの瞳をじっと見つめる。見つめられるチエは目を逸らす事ができない。せいの瞳になにかしらの違和感を感じた。


せい相手を凝視するなと言ってるだろ」


「チエが見るから」


せい!チエ様と言え!」


「なぜだ。マイン、光聖こうせい様だってチエって呼んでる」


「お前、立場をわきまえろ」


「立場……って」


「チエ様は……彪様と同等の方だ!」


「……」


 せいは慌てて深く頭を下げた。


「私はチエで構わないわ」


 と微笑むと、


「ほんと!じゃあチエって呼ぶ、マイン、許可を得たらいいんだろう」


 と肩を上下に揺らし言った。高揚しているが微笑むことのできない表情は硬いままだ。


「そういう問題じゃない!」


 いきなりマインの足が腹に喰いこみ、足蹴にされたせいはくの字に折れ曲がって通路の先の方まで飛んでいった。


「あっ!」


 飛んで行ったせいを追いかけ走るチエの姿を見ている光聖こうせいが、


「ヒコナツ、せいを転送しろ」


【了〜解】


 倒れ込むせいのところまで駆けつける前にその姿は空間からパッと消えた。


 茫然と立ち尽くすチエの喪心そうしん漂う背中に光聖こうせいはため息を付かずにはいられなかった。悲しげな顔をして振り向いたチエに、


「仕置きだよ。気にすることはない」


「仕置き……仕置きってなにに対しての仕置きですか!なにも悪いことなんてしてないわ」


『転送で済んだだけマシだ』


 マインは心の中で呟き表情をくもらせた。


「チエ、気にするな」


「気にします!」

 

 チエは自身の怒りに戸惑いながらその憤慨した気持ちを抑えることができない。怒りに身体が震えてしまう。震えを鎮めようと両手で自分の腕を抱きしめた。


「怒ってるのか?なぜいかりをるんだ……。怒りというものはそのように身体を震わせるのか、チエには怒りが備わっている……なぜだ……まぁいい、それより、せいの視線になにか感じるものはなかったか」


「……視線に……そうね。とても重くて吸い込まれるような。背景に宇宙空間のブラックホールが見えたような……」


光聖こうせいさま」


「なんだ」


「宇宙空間とはなんです。ブラックホールとは」


「知らん、俺に訊くな!」


「そうですか、光聖こうせいでも知らぬことがあるんですね」


 互いに目を細めて見合った。


「ブラックホールとは、宇宙空間に存在する天体のひとつなの、高密度で強い重力のため物質だけでなく光さえ脱出で」


「チエ!」


 光聖こうせいはチエの口元に手をかざした。目の前の手のひらを見つめるチエは息を飲み込んだ。


「……」


 学んできた知識のひとつを説明をしている途中で遮られた。二人の顔を見上げると眉は寄って口はあんぐりと開いたままである。


「……」


 黙ったチエの口元から手を避けた。


「すまない……チエ、チエの言ってることは俺たちには到底理解できないんだ。なんというか、言ってる事が全くわからない。その訳のわからない単語は俺たちの脳内に侵入すると混乱を起こす。すまないな」


「ごめんなさい」


 発言する単語に混乱すると言われたチエの脳内ではそのの意味を理解しようと解きほぐしている。


「謝らなくてもいい、それよりもせいのあの目には思考の停止をさせる天賦てんぷさいがある」


「思考の停止をさせる……生まれ持っての才能」


「才能と言うべきか、俺は不要なものだと思う……ここにはそういった際を備えている者達が多くいる。不要なものをな。せいの場合あの目で他人のさいを見抜いて奪い取る」


「本人は気づいていませんがね」


 マインは眉をひそめ頷いた。


「本人は知らないのですか」


「知らぬというより何度、説明しても理解ができない。だからいつもこのマインと共に行動させてるんだ。マインだけがあいつを抑圧できる。無論、俺にも可能だが、常時、共にいるわけにもいかない、だから以後、あいつに見られても決して目を見返さないでくれ」


「はい……彼はどこへ行ったの」


【チエ】


「はい」


【自分の部屋だよ。心配しないで】


「そう、自分の部屋……」


 ヒコナツの言葉に安堵したチエはひとつ息をつくと安心したように微笑んだ。


 しかし、ヒコナツに届くチエの心拍数が異常値を示している。懸念したヒコナツは泰斗の研究室へと遷移せんいした。


 



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