ドーム15

 五年の眠りから目覚めたチエは、専用モニター・クラールハイ・アルで日々学んでいる


 毎日アルから莫大な容量の情報を得て知識を高めるために根気よく学び記憶しているがその横で個体パルが同様に学んでいる。

 時折、理解できなくなって行き詰まってはチエに質問しようとするけれど集中しているチエにパルの声は聞こえない。

 

 パルは「ふっー」と息を吹きかけた。


「きゃー!もうパルったら、なにするの!くすぐったいでしょ」


 息をかけられた左耳を塞いだ。


「そんなこと申しますが、チエ様は呼んでも呼んでも知らんぷりですし、肩をコンコンとしても気づいてくれないですし、チエ様の弱点を攻めなくては!」


「弱点……って、なにをそんなに怒ってるの?」


「チエ様!とわたくしは五回も呼んだのですよ!」


「そうなの、ごめんなさい」


 目覚めた時よりも少し大人びて、女性らしく丸みを帯びた体型、目覚めた時のような抑揚のない淡々としていた口調は、とても優しく穏やかになった。


「パル、今日は、なにを学びたい」


「そうですね。昨日、頂いたパンケーキの作り方ですかね」


 チエはパルの頬を掴んだ。


「これはなんですか?」


 冷めた調子でチエの指先を指して問う。


「ほっぺを摘んでるの」


「つまんでいる事はわかりますよ。ですが、なんの意味があるのです」


「コミニュケーションファイルの中にあったの。減らず口を言う者にはこうすると良いって実践してみたのに……。パンケーキの材料は週に一度だけ配給されるって知ってるでしょ」


 パルはチエの指を摘んで頬から離し、


「チエ様のお力が足りないのでは、全然痛くありませんよ」


 と首を右に倒し肩をすくめ宙を見上げてニヤリと笑った。その顔があまりにも嫌味な顔でチエは、


「もう!」


 と口を尖らた。


「週に一度、わかっておりますよ。でも毎日パンケーキが食べたいのです」


「パルたら」


 チエは優しく微笑んだ。


「今日は、ドームをグリーンにして、庭には樹木がいいわね」


【了解】


 クラールハイ・アルはチエの言葉通りドームに森林を映し出した。チエとパルの着衣も同様その景色に馴染む形状に変わる。


 チエは涼しげなワンピースドレスを着こなしパルはパンツに半袖シャツを着ている。深緑の中で二人並んで深呼吸をした。


 この頃、二人は合わせ鏡のようにぴったりと息が合う。パルはこの十年、チエと共に時を過ごし、人間としての物事について抱いたことを考える技能を身につけ、チエとの会話も遺漏いろうなくこなし、必要不可欠な事はマスターした。


「チエ様はグリーンがお好きなのですね、景色には色が付きますが、なぜ私たちの着衣はいつもこのように真っ白なのでしょうかね。色はつけられないのですか?」


 二人は互いの着衣を見合い、


「鏡が見たいわ」


 二人の前の空間が鏡と化し二人は自分の姿を見つめた。


「これはこれは、わたくしパルは意外にスマートな青年ですね」


 鏡に映る自分に酔いしれて。


「これが世に言う、イケメンなのでしょうかね〜。チエ様」


「イケメン?その意味はなに?」


「余談事ファイルを見た事ないのですか?」


「余談事ファイル、そんなファイルあったの?私は閲覧したこたはないけど」


「そうですか、イケメンは流行りと訊きましたけど」


「アル、そんなファイルあった?」


【男性専用、女性閲覧禁止ファイルかと】


「女性が見れないファイル?とはどういうファイルなの?」


【さあ、私は閲覧したことがないので、わかりかねます】


「パル、どこにあったの」


「わかりません。アルが知らないものを私が

知るはずもなく」


「あなた……さっき、見たって言ったわよ」


わたくしそんな事言いましたっけ」


「もう!それはどこで、流行ってるの?」


「ガイド帝国です」


「やっぱり、見てるんじゃないの!」


 チエは呆れてため息をついた。


「なぜかしらね。どれだけ操作しても色は変えられない、アルに訊いても、システム上としか応えてくれないしね。それに、お隣を覗いたらあの少年も白い服だったじゃない」


「あの、わたくしの話、聞いてます。ガイト帝国、ガイト帝国を知らないのですか、チエ様、ガイト国ですよ」


「……」


 チエはどこか遠くを見ていてパルの戯言ざれごとを聞き流した。


「無視ですか、まあ、いいんですけど、あの少年……。昨日、またいつもの場所から覗き見たのですが、お姿が見えませんでした。彼はどうされたのでしょう」


 ドームからなにか見えるか覗いた時、隣接するドームからも同じようにこっちらを見ている少年の姿があった。


 微笑んで手を振りあったパルはその少年に親近感を覚えた。またあの微笑がみたいと思っているのだがここ数日姿をみせないのである。


 パルはずっと気になり、日に何度も覗き込んで確認していた。


「なぜ、姿を現さないのでしょうか、チエ様」


「そうね……」


 チエは言葉を詰まらせた。脳裏に浮かぶのは成長不良もしくは抹消処分のどちらかしかない。どちらにしても良い話ではない。


「チエ様?なにを考えているのです」


「えっ……なにも」


「嘘はいけません。チエ様は私に言いました思うことがあるなら発言しなさいと、二人は運命共同体だと、ご自身で発言されたのですよ。チエ様のお考えを話してください。多分、私と同意見でしょうけど」


 と自信満々の顔だ。


「同意見?」


「はい、この十年、共に学んできたのです。チエ様の考えは手に取るようにわかるのです」


「そうわかるのね。それなら、言ってみて」


「なにをですか?」


「パル?」


「アルに訊ねてみましょう。そうしましょう」


「パルったら……。アル、隣の少年は、なぜこの五日、姿を見せないの」


【002イル・オフライン】


「オフライン?どうして」


【規則違反のようです。ドームの中には生体反応はありません。チエ様、深く追求してはなりません】


 チエは頷いた。パルは首を折り曲げ沈鬱ちんうつな面持ちなり肩を落とした。


「悲しみなど、感じたくないものですね」


「そうね」


「チエ様、そう言えば、わたくし、この頃、時々、心が、詰まるの、です」


「詰まるとは?」


「記憶……装置が……軋むの……です」


「軋むとはどういうこと、メモリーがいっぱいって事を言いたいのかしら、それなら問題ないわ、パルは無限だから」


「私の……キャパ……限界……なの……でしょう……ね」


「だから、無限なの」


「それ……は……嘘……ですね……きっと、もう……限界」


 パルは椅子に座って電池切れのロボットの真似をして首を倒して目を閉じた。


 チエは度重なるパルのふざけた態度に呆れた。ふざけてシステム停止を演じるパルを放置して反対側の隣のドームが見える場所へと歩いて行った。


「あちらは、誰かいるかしら」


 チエは反対側のドームの中を覗き見る。


 目を開けたパルは慌てた様子で立ち上がり辺りをキョロキョロと見渡している。樹木の画像が視界を邪魔しチエの姿が確認できない。


「チエ様!チエ様!どこですか?」


 あっちこっち走り回ってチエを探すがどこにも見あたらない。


「チエ様〜!」【チエ様〜!】

「どこですか〜」【どこですか〜】

「この樹木邪魔〜」【この樹木邪魔〜】


 パルの声をアルが真似てやまびこのように反響させチエの耳に届かせた。


「アル、これがやまびこなのね」


【はい、チエ様、いかがでしたか】


「おもしろいわ、パル、ここよ!」


「私で遊ばないでください!ここってどこですか〜!」


 システム個体のパルは一度パニックになるとシステム障害に陥りやすくフリーズしてしまう。


「お隣さんがなぜ失踪したのか?失踪……なんてない。こんな事を悩むなんて私もまだまだね。処分されたなんて思いたくないし、成長不良とも思いたくもない。私たちは人間なんだから欠陥品みたいな扱いされたくないわ、私がここにいる意味ってなんだろう」


 アルから多くの知識を学んできたものの、まだまだ知り得ていない多くの事が隠蔽されている気がしている。


 最近、頻繁に夢の中に現れる人物がいる。その人物はチエに向かって何かを語っているが耳をすましても声が聞こえない。


 ただ口元から読み取れた言葉がある。

それは『不文律ふぶんりつ』という言葉だけだった。


 パルは、フリーズしたまま立ち尽くしている。アルはチエが見えるように背後の樹木を消去した。


「チエ様〜」


 駆け寄って背後から抱きつくパル。


「さっきみたいなパフォーマンスをどこで覚えたの?私、あんなパワー切れのロボットの動きなんて教えた覚えないのに、システムエラーなのかしら」


「上手いこといいますね。システムエラーだなんて」


 パルのツボに入っらしくお腹を抱えて笑っている。


「なにが面白いの?」


 チエは首を傾げながら、再び隣のドーム内を覗きみた。


「新しいお友達いますか?お留守ですか」


 背後からパルが呟く、


「お留守って意味わかって言ってるの」


「お出かけって事ですよ」


「お出かけなんて出来ないわ、許可されないでしょ」


 ここに暮らすマニエ人に外出、外泊は決して許されない。


 マニエには厳しい規制が設けられている。


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