18 タンデムステップ

 一ヶ月前の暑さが嘘のように涼しい。

 十月になって最初の土曜日。僕は峠の駐車場に来ていた。

 タンデムステップを付けた、[R]と共に。


 レースの後――。

 姉ちゃんは、来た時と同じように、親父の車で帰っていった。その時にはもう、僕のことはわからない様子だった。

 けれど、

「たまに、思い出すらしい――記憶と心が、戻るようだ」

 と、親父が言った。

「お前が出て行ったあの日――。家に帰った俺に、春奈が泣きついてきた。誠二に、酷いことを言ってしまった、と」

「……………………」

「誠二があのサーキットでレースをすると告げると、行きたい、と言ったんだ。あの春奈が」

「…………姉ちゃんが」

「連れて行ってしばらくは、いつものように、ぼんやりしていたが――。レースが始まり、走るお前と、あの少年を見て、また思い出したんだろう。俺も隣にいて、驚いた。あの時確かに叫んでいたよ。――誠二、頑張れ、頑張れ、と」

「…………………………そっか」

 姉ちゃんが。

 本当に、そう言っていてくれたんだ。

「元の生活に戻るまで、まだ時間がかかるだろう。だがな、俺は心底安心したよ。真一が亡くなって以来、本当に初めて、ホッとした」

 そうして親父は、僕の肩を掴んで、微笑んだ。

「お前のおかげだ、誠二」

 胸の奥に、温かいものが広がっていく。

 どうしてなんだろう。この人に、認められたというだけで、どうしてこんなに嬉しくなるんだろう。

 わけがわからないまま――僕はただ、泣いていた。

 親父とはこれからもっと、色んな話をするんだろう。きっと、兄貴の分まで。


 宗太は、レース後、更に高熱を出して、一週間寝込んだらしい。

 だが、半月後の『関東グランプリ』最終戦では、あの第六戦に続いてまたも優勝し、由美を抜いて、その年のシリーズチャンピオンになった。その成績と才能が認められて、来年からは、国内大手二輪メーカーの主導する若手育成プログラムに参加し、バイクレースの本場スペインへ留学するんだそうだ。今年でもう五年目のプログラムだが、着々と成果は上がっているらしく、若い日本人レーサーが海外で活躍することも増えてきた。宗太もそのうちそうなるのだと思うと、何と言うか……雲の上の話だ。

――まぁ、こういうのは一度チャンスを掴むと、トントン拍子で進んでいくからなぁ。

 それにしても、あの俺様な態度で果たしてやっていけるのだろうか……心配ではある。

 なお、例の賭けは、僕の勝ちということになったらしい。……順序が逆になってしまったけれど。

 しかし、生意気は相変わらずで、

「スペインでチャンプになったら嫁に来い!」

 と、空港で見送る由美に、指を差して叫んだ。隣に僕がいるにも関わらず、だ。

 そうして、指差す方向をそのまま僕に変えて、

「それまで預けておいてやる」

 ほざいた。

「早く行けよ、俺に負けたチャンプ」

「ううううるせーんだよ、ヴァーカ!」

 そんな僕を見て、

「――大人気ないなぁ」

 ため息混じりに呟く由美さん。

 ほっとけ。


 サーキットは、今年度で一旦、営業を終了するらしい。

 今は、どこかスポンサーになってくれる企業を探しているとか何とか。ま、オトナの事情はよくわからない。

 ともかく、あと半年位は、まだ通えそうである。


 そして――今日。

 兄貴の事故現場に、花を供えてきた僕は、そのまま頂上まであがり、駐車場でのんびりしていた。

 雲が、すごい勢いで流れていく。

 遠くの山から、鳶の鳴き声が聞こえる。

 涼しい風が吹いて――もうすぐ、夏が終わるんだと知る。

「ほい、コーヒーとお茶、どっちが良い?」

 ぼんやり空を眺めていると、横から、缶とペットボトルを差し出された。

 缶コーヒーを選んで受け取ると、声の主が僕の隣にちょこんと座る。

「オゴリでいいぜ?」

「はん、そうなの?」

「乗っけてもらったからね」

 そう言うと彼女は、とびっきりの笑顔で、

「いぇーい」

 と言って片手を上げた。釣られて差し出すと、ぱーん、とハイタッチされる。

 今日も由美は、元気だった。


 [R]のエンジンを掛けて、跨る。

 小さい少女が、僕の差し出した腕に捕まって、器用にタンデムシートに飛び乗った。一週間前に退院したばかりだというのに、もう、この身のこなしである。

「……今日はちゃんと、ステップあるね」

「まぁな」

「……えへへへ」

 何が嬉しいのか、落ちないように僕にくっつく子猿少女。

「抱きついてるんだよ? もっと喜びなよ」

「お前がやると猿にしか見えないんだよ」

「照れ屋だなぁ、誠二くんは」

 うるせー。

「ねぇ……誠二くん」

「……ん?」

「ボクたち……ずっと一緒だよ……?」

「ぐうっ……! 卑怯な……!」

 ボクっ子の思わぬ甘い言葉に大ダメージを喰らう僕。

 やめろ、ドキドキしてしまう。

「…………自分で言っておいてなんだけど、何がそんなに良いの?」

 困惑しきった様子で聞いてくる由美さん。

「ま、変態だから仕方ないのか」

 自己完結してしまわれた。

「――で、どこに連れてって欲しいんだ?」

 気を取り直して、尋ねる。

 由美の自慢のバイク、ぷろろんは、あの事故で、あわれ廃車となってしまった。おかげでこうして、わざわざ僕が実家からやってきたというわけである。

「決まってんじゃん!」

 お決まりの台詞をはいて、少女は笑う。

「サーキットだよ!」


 多分、僕達はずっと、こんな感じで進むのだろう。

 兄貴のことは、今でも責任を感じているし、姉ちゃんについても、由美のことだって、それは同じだ。

 僕がしたこと、それ自体には何の変化もなく、罪は罪としてある。

 由美のそばにいるための資格。あのレースで勝ちはしたものの、それだけで得られるとは思っていない。

 これからも、それを探していく。ずっと、ずっと探していく。由美が死ぬまで、由美と一緒に、死ぬ時がくるまで。

 それまで僕は、生きていく。

 由美と一緒に生きていくと――そう、決めたのだ。

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タンデム・ステップ・レーシング 妹尾 尻尾 @sippo_kiri

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