車胤   蛍の光の結末

車胤しゃいん、字は武子ぶし南平なんへいの人だ。曾祖父は車浚しゃしゅん孫吳そんごの時代に會稽太守かいけいたいしゅとなった。そこから一門は没落したようで、父の車育しゃいく安平郡主簿あんへいぐんしゅぼ止まりだった。しかし、ときの安平太守あんへいたいしゅであった王胡之おうこし、人相見に長けた人物が、たくさんの子どもたちがいる中に紛れた車胤を見て、車育に言う。


「あの子はそなたの家門を大いに興すこととなろう、学問に専念させてやりたまえよ」


こうした後押しも受け、車胤はうやうやしく努めながらも学問に邁進、広範なる知識を備えるに至った。家は貧しく、照明のための油を得るのすらひと苦労であったため、夏になると油紙の中に数十もの蛍を捕まえ、それを照明として読書に励んだ。成長すればその立ち振る舞いも洗練され、機智にもとみ機転も速く、南平きっての後進と讃えられるようになった。


やがて中央入りするとその並外れた学識を元手に出世を遂げ、司馬道子しばどうし長史ちょうし太常たいじょうに至り、臨湘侯りんしょうこうにまで封じられさえする。しかし、病を理由に職務を去った。病が癒えると護軍將軍ごぐんしょうぐんに任じられた。


この頃、王國寶おうこくほうが司馬道子に媚びへつらい、ほうぼうに向けて司馬道子さまを丞相じょうしょうとし、殊禮、すなわちほぼ皇帝レベルの待遇にするべきだ、と言いふらしていた。


これに対し、車胤が言う。

「なるほど、しゅう成王せいおう周公旦しゅうこうたんを重んじたが如く、にございますな。なれどいま、主上はすでにご自身で政務をお取りにございます。幼き成王を周公が補佐したのとはまるで状況が違います。先の簡文帝かんぶんてい陛下が歴代の幼帝を補佐なさったようなことを周公がごときなさりよう、と申すのです。むしろ斯様な話は朝廷をふたつ、みっつに割るが如き悪手、時宜に何一つとして適ってはおりませぬ。必ずや陛下のお心に違う事となりましょう」

これを公表したかどうかは謎だが、ともあれ車胤は王国宝よりのこの申し出を、病を理由に賛同しなかった。そして王国宝が司馬道子についての昇進願いを出せば、車胤の予測通り、孝武帝こうぶていは激怒した。そして車胤の発言を耳にし、大いに車胤を祝福した。


安帝あんていが即位すると、吳興太守ごこうたいしゅとして中二千石の秩禄が与えられることとなったが、病を理由に辞退した。輔國將軍ほこくしょうぐん丹陽尹たんよういんに任じられた。間もなくして吏部尚書りぶしょうしょとなった。この頃、司馬元顯しばげんけんがやらかしをしており、車胤は江績こうせきとともに司馬道子へとその件を密かに伝えた上、さらに上奏しようと計画した。しかしこの計画が漏れ、司馬元顯は車胤に自殺するよう迫った。


間もなくして、車胤は死亡。朝廷はその死を傷んだ。




車胤,字武子,南平人也。曾祖浚,吳會稽太守。父育,郡主簿。太守王胡之名知人,見胤于童幼之中,謂胤父曰:「此兒當大興卿門,可使專學。」胤恭勤不倦,博學多通。家貧不常得油,夏月則練囊盛數十螢火以照書,以夜繼日焉。及長,風姿美劭,機悟敏速,甚有鄉曲之譽。遷驃騎長史、太常,進爵臨湘侯,以疾去職。俄為護軍將軍。時王國寶諂于會稽王道子,諷八坐啟以道子為丞相,加殊禮。胤曰:「此乃成王所以尊周公也。今主上當陽,非成王之地,相王在位,豈得為周公乎!望實二三,並不宜爾,必大忤上意。」乃稱疾不署其事。疏奏,帝大怒,而甚嘉胤。

隆安初,為吳興太守,秩中二千石,辭疾不拜。加輔國將軍、丹陽尹。頃之,遷吏部尚書。元顯有過,胤與江績密言于道子,將奏之,事泄,元顯逼令自裁。俄而胤卒,朝廷傷之。


(晋書83-4)




「蛍の光、窓の雪」で有名な車胤さん。「自殺しろ」とは言われましたが、自殺とは書いてないんですね。なんでしょうかねこの気持ち悪い含み。


世説新語せせつしんご』の言語90

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885702502

では謝安しゃあんよりやや格の落ちる知識人として描かれるも、

識鑒27

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886298118

で、この伝にもあるように蛍の光で学習したエピソードが載せられます。ただ世説新語にも、晋書にも「窓の雪」の孫康そんこうさんはいません。どこにいるかというと、『蒙求もうぎゅう』。

https://kakuyomu.jp/works/16816700428584992583/episodes/16817330652395899136

元ネタは『孫氏世録そんしせいろく』という逸書であるため、もはや蒙求でしかその姿を見ること叶いません。このひとがどういう人物だったのか、唐の時代にはもうちょっと情報が残っていたんでしょうけどね。いまでは車胤さんの話がわかるばかり。


ちなみに車胤さんは礼志で大活躍しています。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139557167449553

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139557226259485

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139557309639150

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139557447117098

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139557582287965

無双、とすら言っていいレベルです。そりゃたたき上げな人物なのにもかかわらず侯爵にまで封じられるわけです。やばたん。

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