殷顗   晋末荊州を憂う

殷顗いんぎ、字は伯通はくつう陳郡ちんぐん人だ。祖父は殷融いんゆう太常卿たいじょうけい。父は殷康いんこう吳興太守ごこうたいしゅ。殷顗は率直な性格で才気あふれ、幼くしてはとこの殷仲堪いんちゅうかんとともにその名を知られた。

孝武帝こうぶていの治世のときに中書郎ちゅうしょろうから南蠻校尉なんばんこういに抜擢を受ける。粛々と職務にあたり、確実な治績を挙げた。


中央で王国宝おうこくほうが好き放題をしているのを憎み、王恭おうきょうが挙兵を計画。殷仲堪にともに立ち上がるべき、との書状をよこす。そこで殷仲堪もまた殷顗を挙兵に誘う。


しかし殷顗は言う。

「人臣がなすべきは、与えられた職務を全うすること。朝廷の是非は宰相が考えるべきことであり、外鎮が四の五の言うことではない。春秋しゅんじゅうの昔、晋の六卿りくけい晉陽しんようにて争い合い、やがてその半ばが滅んだではないか。いま我が国で起こっていることとまるで同じだ。お前が滅ぼされた側にならずに済むと、どうして言い切れる? このような争いになぞ、関わるべきではないのだ」


しかし殷仲堪は諦めず、何度も何度も挙兵を求めてくる。ついに殷顗は怒り、言い放つ。

「おまえの進みたい先におれはおらぬ! ここで引くのであれば、まだ受け入れもしようがな!」

こうした殷顗の物言いに、殷仲堪は恨みを抱くようになった。しかし殷顗はそれでもなお、密かに書を飛ばし、切々と思いとどまるよう説き続けた。


やがて殷仲堪が立身、荊州刺史けいしゅうししにまで上り詰める。殷顗の思いも虚しく、中央を武力で是正せねばならないという思いを思いをいよいよつのらせ、もはや殷顗の言葉すべてを突っぱねる有様であった。この頃また江績こうせきがその率直なる異議提唱から殷仲堪より排斥されていた。殷顗はいよいよ殷仲堪の思い込みが極まって意見の異るものすべてを排除する形にまでなったのを知る。そこで自らの官職には信頼置けるものを配し、五石散ごせきさんに当てられたから、と言い出してふらりと府を飛び出、、そのまま病と称して家に引きこもった。


殷仲堪はその話を聞くと殷顗を見舞う。

「兄上、病とはおいたわしく」

殷顗はこたえる。

「病はこの身を滅ぼすのみよ。しかし、お前に取り付いた病は家門を滅ぼすものだ。まだ思い直す猶予はある、決して我が思いに違わぬように」

しかし殷仲堪は結局従わず、楊佺期ようせんき桓玄かんげんとともに軍を率い、中央に進んでしまった。殷顗はそれを見送るしかなく、憂いの中にて死んだ。


安帝あんていが即位してまもなくのこと、詔勅が下る。

「亡き南蠻校尉の殷顗の忠義心よりの助言は結局実を結ぶことなく、ついには憂いの中にて亡くなってしまった。彼の者には冠軍將軍かんぐんしょうぐんを追贈する」


弟の殷仲文いんちゅうぶん殷叔献いんしゅくけんは別に伝がある。




殷顗,字伯通,陳郡人也。祖融,太常卿。父康,吳興太守。顗性通率,有才氣,少與從弟仲堪俱知名。太元中,以中書郎擢為南蠻校尉。蒞職清明,政績肅舉。及仲堪得王恭書,將興兵內伐,告顗,欲同舉。顗不平之,曰:「夫人臣之義,慎保所守。朝廷是非,宰輔之務,豈籓屏之所圖也。晉陽之事,宜所不豫。」仲堪要之轉切,顗怒曰:「吾進不敢同,退不敢異。」仲堪以為恨。猶密諫仲堪,辭甚切至。仲堪既貴,素情亦殊,而志望無厭,謂顗言為非。顗見江績亦以正直為仲堪所斥,知仲堪當逐異己,樹置所親,因出行散,托疾不還。仲堪聞其病,出省之,謂顗曰:「兄病殊為可憂。」顗曰:「我病不過身死,但汝病在滅門,幸熟為慮,勿以我為念也。」仲堪不從,卒與楊佺期、桓玄同下。顗遂以憂卒。隆安中,詔曰:「故南蠻校尉殷顗忠績未融,奄焉隕喪,可贈冠軍將軍。」弟仲文、叔獻別有傳。


(晋書83-5)




晉陽しんよう之事

・史記四十三 趙世家

 晉定公之十四年,范、中行作亂。

・春秋 定公十三年

 晉趙鞅入于晉陽以叛。

何かといえば、春秋しゅんじゅうの覇権国しんを支配していた六卿のうちちょうかんの四卿がじゅんはんの二卿を晋陽で攻め滅ぼしたこと。なお史記は趙目線で、春秋は晋(の宗主国である周)目線で書かれている。

やがて智氏も滅ぼされ、残った三卿が晋を食い破って戦国七国せんごくしちこくのうち三つになるわけだ。つまり東晋とうしん末の国の憂いを、春秋晋の決定的衰運になぞらえて語るという、大変危険なお話を殷顗さんはなさっているわけである。




■世説新語


託疾不還。

德行41。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054889099525


但汝病在滅門、

規箴23。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054891651752




■斠注


弟仲文・叔獻別有傳。

案本書無叔獻傳,蓋誤襲佚晉書舊文也。『隋』『唐志』有聘士『殷叔獻集』三卷,『錄』一卷。『安帝紀』,與仲文同誅者有殷道叔,未知卽叔獻否?

殷叔獻伝なんてねーじゃん、おめー他の巻の担当とすり合わせもせずに勝手にねじ込んだな? とツッコミが入っています。いちおう『隋書』『唐書』の書籍目録には『殷叔獻集』三卷、『殷叔獻錄』一卷の存在が確認できるそうです。

なお安帝紀では、殷仲文が劉裕りゅうゆうに殺された時に連座された殷道叔いんどうしゅくがいる、と書かれていますが、まぁちょっとここの同定を確定するの無理あるよね、と書かれていました。

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