殷顗 晋末荊州を憂う
中央で
しかし殷顗は言う。
「人臣がなすべきは、与えられた職務を全うすること。朝廷の是非は宰相が考えるべきことであり、外鎮が四の五の言うことではない。
しかし殷仲堪は諦めず、何度も何度も挙兵を求めてくる。ついに殷顗は怒り、言い放つ。
「おまえの進みたい先におれはおらぬ! ここで引くのであれば、まだ受け入れもしようがな!」
こうした殷顗の物言いに、殷仲堪は恨みを抱くようになった。しかし殷顗はそれでもなお、密かに書を飛ばし、切々と思いとどまるよう説き続けた。
やがて殷仲堪が立身、
殷仲堪はその話を聞くと殷顗を見舞う。
「兄上、病とはおいたわしく」
殷顗はこたえる。
「病はこの身を滅ぼすのみよ。しかし、お前に取り付いた病は家門を滅ぼすものだ。まだ思い直す猶予はある、決して我が思いに違わぬように」
しかし殷仲堪は結局従わず、
「亡き南蠻校尉の殷顗の忠義心よりの助言は結局実を結ぶことなく、ついには憂いの中にて亡くなってしまった。彼の者には
弟の
殷顗,字伯通,陳郡人也。祖融,太常卿。父康,吳興太守。顗性通率,有才氣,少與從弟仲堪俱知名。太元中,以中書郎擢為南蠻校尉。蒞職清明,政績肅舉。及仲堪得王恭書,將興兵內伐,告顗,欲同舉。顗不平之,曰:「夫人臣之義,慎保所守。朝廷是非,宰輔之務,豈籓屏之所圖也。晉陽之事,宜所不豫。」仲堪要之轉切,顗怒曰:「吾進不敢同,退不敢異。」仲堪以為恨。猶密諫仲堪,辭甚切至。仲堪既貴,素情亦殊,而志望無厭,謂顗言為非。顗見江績亦以正直為仲堪所斥,知仲堪當逐異己,樹置所親,因出行散,托疾不還。仲堪聞其病,出省之,謂顗曰:「兄病殊為可憂。」顗曰:「我病不過身死,但汝病在滅門,幸熟為慮,勿以我為念也。」仲堪不從,卒與楊佺期、桓玄同下。顗遂以憂卒。隆安中,詔曰:「故南蠻校尉殷顗忠績未融,奄焉隕喪,可贈冠軍將軍。」弟仲文、叔獻別有傳。
(晋書83-5)
・史記四十三 趙世家
晉定公之十四年,范、中行作亂。
・春秋 定公十三年
晉趙鞅入于晉陽以叛。
何かといえば、
やがて智氏も滅ぼされ、残った三卿が晋を食い破って
■世説新語
託疾不還。
德行41。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054889099525
但汝病在滅門、
規箴23。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054891651752
■斠注
弟仲文・叔獻別有傳。
案本書無叔獻傳,蓋誤襲佚晉書舊文也。『隋』『唐志』有聘士『殷叔獻集』三卷,『錄』一卷。『安帝紀』,與仲文同誅者有殷道叔,未知卽叔獻否?
殷叔獻伝なんてねーじゃん、おめー他の巻の担当とすり合わせもせずに勝手にねじ込んだな? とツッコミが入っています。いちおう『隋書』『唐書』の書籍目録には『殷叔獻集』三卷、『殷叔獻錄』一卷の存在が確認できるそうです。
なお安帝紀では、殷仲文が
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