桓玄1  鬥生の無慍   

桓玄かんげん 全20編

既出:司馬昭1、桓温6、桓温37

   桓温42、謝安41、謝安43

   桓沖4、劉牢之、王恭4、顧愷之5



ポスト淝水ひすい荊州けいしゅう情勢は混沌としている。


淝水直後に桓沖かんちゅうが死に、王忱おうしんを経て、

殷仲堪いんちゅうかんが荊州刺史に赴任。


しかし殷仲堪の求心力は低く、

桓温かんおんの息子の桓玄、

忖度マン楊脩ようしゅうの一族の楊廣ようこうなどが、

荊州の主導権を握ろうと蠢いていた。


その一環で、桓玄と楊廣、

殷仲堪をそそのかす。

かれの同族である殷覬いんぎから

南蛮校尉の地位を奪い取り、

荊州で独立政権を樹立してしまえ、と。


さて殷覬は殷覬で、

彼らの動きを察知していた。

そこで五石散ごせきさんの服用による酔いを

醒ますという名目でもって、

ふらりと詰めていた官舎を離れ、

そのまま戻ってこなかった。


殷覬の意図など知る者は誰もおらず、

ましてや本人も平然とした装いが、

例えるならば、古の鬥生とうせい

どんなに粗雑な人事辞令に対しても

まるで怒りを示さなかったことに

似ていた。


時の人びとは、

殷顗のこの振る舞いに感心した。




初桓南郡、楊廣共說殷荊州,宜奪殷覬南蠻以自樹。覬亦即曉其旨,嘗因行散,率爾去下舍,便不復還。內外無預知者,意色蕭然,遠同鬥生之無慍。時論以此多之。


初、桓南郡と楊廣は共に殷荊州を說き、宜しく殷覬の南蠻を奪いて以て自ら樹つるべしとす。覬は亦た即ち其の旨を曉り、嘗て因りて行散し、率爾として舍よりに去下し、便ち復た還らず。內外に預り知りたる者無し。意色は蕭然とし、遠きの鬥生の慍り無きたるに同じ。時論は此を以て之を多とす。


(德行41)




桓玄(「崔浩先生」より)

桓温の息子。簒奪を為そうとして果たせなかった父の志を果たした。ただし父親ほど体制を盤石にしない中での強行であったため、半年もせぬうちに劉裕りゅうゆうによるクーデターを喰らい、没落した。それにしても、宋書そうしょを読むと必要以上に劉裕の桓玄打倒が重要な皇統継承ファクターとして示されている。その割にあっさり桓玄が滅ぼされているので、桓玄を悪の大物に据えるには物凄く違和感がある。まぁ別に「劉裕様が強すぎたので仕方がないんです☆」でも構わぬのだが。


楊廣

ずい煬帝ようだいと同姓同名だが赤の他人である(もっとも隋の楊氏は弘農こうのう楊氏、つまりこの楊廣と同族だと自称しているのでややこしい)。弟の楊栓期ようせんきと共に戦闘民族で、粗暴な振る舞いがいろいろあげつらわれている。が、最終的には桓玄に攻め滅ぼされている。


殷仲堪・殷覬

陳郡ちんぐん殷氏、つまり殷浩いんこうさんと同族。そして二人ははとこ同士。殷仲堪のほうが立場は上だったようだが、このエピソードを読むからに殷顗さんのほうが有能っぽい。なお殷顗、ここではさらっと身を引いたことになっているが、晋書では憂憤のうちに死んだとされている。まぁ、殷仲堪サゲの一環かな……。


鬥生

鬥さん、みたいな意味。いんという職種に三回つけられて、三回罷免されたのだが、それでも全く怒りを表に出さなかったのだそうだ。人ができているというか、感情が枯渇していたんじゃないのと言うか。

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