江績 奏劾無所屈撓
その、いとこである江灌。字は
江績、字は
その後も殷仲堪らはしばしば江績に嫌がらせじみた話を振ってきたりもしたのだが、江績は結局屈しなかった。その頑なさゆえに江績に禍が及ぶのではないかと心配した殷顗は、場を設けて殷仲堪と和解させようとした。
しかし江績は言う。
「大丈夫たるもの、死をちらつかせられたところで何ほどのことぞ! この江仲元、年六十になんなんとするも、いまだ死すべきタイミングを知らぬだけのことぞ!」
座中の者たちは縮こまり上がった。
殷仲堪は江績のその直剛さを憚り、江績を解任、
司馬道子の息子
ここで
「司馬元顯の驕縱ぶりは掣肘すべきです」
司馬道子は黙り込んでしまった。
司馬元顯はこれらの話を聞き、人々を前に、言う。
「江績と車胤は我らが親子を離間させようとしておるのだ!」
そして人を遣り、密かになじった。間もなくして江績が死亡、朝野の者はみなその死を悼んだ。
江逌,字道載,陳留圉人也。曾祖蕤,譙郡太守。祖允,蕪湖令。父濟,安東參軍。逌少孤,與從弟灌共居,甚相友悌,由是獲當時之譽。病卒,時年五十八。
灌字道群。父瞢,尚書郎。灌少知名,才識亞於逌。會溫薨,遷尚書、中護軍,復出為吳郡太守,加秩中二千石,未拜,卒。子績。
績字仲元,有志氣,除秘書郎。以父與謝氏不穆,故謝安之世辟召無所從,論者多之。安薨,始為會稽王道子驃騎主簿,多所規諫。歷諮議參軍,出為南郡相。會荊州刺史殷仲堪舉兵以應王恭,仲堪要績與南蠻校尉殷顗同行,並不從。仲堪等屢以為言,績終不為之屈。顗慮績及禍,乃于仲堪坐和解之。績曰:「大丈夫何至以死相脅!江仲元行年六十,但未知獲死所耳。」一坐為之懼。仲堪憚其堅正,以楊佺期代之。朝廷聞而征績為御史中丞,奏劾無所屈撓。會稽世子元顯專政,夜開六門,績密啟會稽王道子,欲以奏聞,道子不許。車胤亦曰:「元顯驕縱,宜禁制之。」道子默然。元顯聞而謂衆曰:「江績、車胤間我父子。」遣人密讓之。俄而績卒,朝野悼之。
(晋書83-3)
■斠注
俄而績卒、
『晉書校文』四では「車胤傳:元顯逼令自裁,俄而胤卒。然則績之卒,蓋亦元顯所迫也。」とあります。
次がその車胤伝なんですが、そこで車胤が自害を強要されています。なら江績も自殺を迫られたんじゃないの、と疑われています。
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