袁湛   離群頗騫翥

袁瑰えんかい系とは曾祖父の袁渙えんかんを同じくする系統で、劉宋りゅうそうにて盛族として栄えた、袁湛えんたん袁豹えんひょう兄弟。袁渙より六代下がる。袁渙の息子が袁準えんじゅん、字は孝尼こうじ給事中きゅうじちゅうにまでなった。その子が袁沖えんちゅう、字は景玄けいげん光祿勳こうろくくんとなった。その子が袁耽えんしん。字は彥道げんどう。若くして才気溢れ、小者たちとつるむこともなく、桓温かんおんを始めとした士人らより讃えられていた。しかし王導おうどう從事中郎じゅうじちゅうろうとして大任を授かる直前に死亡、25 歳だった。


その子が袁質えんしつ、字は道和どうわ。袁渙より袁質に至るまでの五世代はみな家業を質素に保つのを旨としていたが、袁耽ひとりが例外的に豪放であった。そして袁質もまた質素に、残された母をよく支えた。琅邪內史ろうやないし東陽太守とうようたいしゅにまで至った。


袁質の子が袁湛袁豹兄弟である。


兄の袁湛、字は士深ししん。幼い頃から自身を持っており、ただいわゆる華やかさとは無縁であったため、世俗との交流もほとんどなかった。この頃、謝混しゃこん尚書僕射しょうしょぼくしゃとなっていた。謝混もまた群れることを嫌うたちであったため、范泰はんたいが袁湛と謝混に詩を贈って、言う。「亦有後出雋,離群頗騫翥。」後代のご立派な名馬どのはまこと群れたがらずツンケンなさるものよ、と言った内容である。袁湛はこの詩に恨みを覚え、返答はしなかった。やがて中書令ちゅうしょれいから尚書僕射を経て左光祿大夫さこうろくたいふ晉甯男しんねいだんとなり、現役中に死亡した。


弟の袁豹、字は士蔚しうつ。博学にして文言をよくし、国政にあずかる才覚をも示し、劉裕りゅうゆうに知られるところとなった。後に太尉長史たいいちょうし丹陽尹たんよういんとなり、死亡した。




準字孝尼,以儒學知名,喪服經。官至給事中。準子沖,字景玄,光祿勳。沖子耽。耽字彥道,少有才氣,倜儻不羈,為士類所稱。為導從事中郎,方加大任,會卒,時年二十五。子質。

質字道和。自渙至質五世,並以道素繼業,惟其父耽以雄豪著。及質又以孝行稱。官歷琅邪內史、東陽太守。質子湛。

湛字士深。少有操植,以沖粹自立,而無文華,故不為流俗所重。時謝混為僕射,范泰贈湛及混詩云:「亦有後出雋,離群頗騫翥。」湛恨而不答。自中書令為僕射、左光祿大夫、晉甯男,卒於官。湛弟豹。豹字士蔚,博學善文辭,有經國材,為劉裕所知。後為太尉長史、丹陽尹,卒。


(晋書83-2)




袁湛。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054893896064

袁豹。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054893956605


袁豹の孫の袁粲えんさんが、劉宋最後の砦(笑)として蕭道成しょうどうせいに立ち向かい、敗れます。まぁそういう感じの家系。宋書にほとんど書かれてるから晋書での記述はどうしても薄いですね。とは言え「晋人」として書かれるべきひとたちでもあるため、伝が載っている感じです。袁湛については范泰からの当てこすり、初耳で良かった。と言うか范泰もこいつだいぶいい性格してんな。どこかで范泰の上奏文とかしっかり目を通しておいた方がいいのかもしれません。

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