晋書巻83 東晋後期の名士
袁山松 滬瀆に没す
袁喬の字は
袁方平もまたひとかどの人物であり、
袁山松は幼い頃よりその博識ぶりや文才を知られており、『
この頃、
一方、袁山松はほうぼうに出歩くにあたり、側仕えらに輓歌を歌わせたがった。こうした葬礼にまつわるフリーダムさをあげつらうべく、ちまたでは
「湛 屋下陳屍,
山松道上行殯。」
張湛は屋根の下に死体を並べ、
袁山松は路上でかりもがり。
と言われた。
袁山松はその後顯位を歴任した末、
袁瑰,字山甫,陳郡陽夏人,魏郎中令渙之曾孫也。祖、父並早卒。卒,追贈光祿大夫,諡曰恭。子喬嗣。
喬字彥叔。卒,年三十六,溫甚悼惜之。追贈益州刺史,諡曰簡。子方平嗣,亦以軌素自立,辟大司馬掾,歷義興、琅邪太守。卒,子山松嗣。
山松少有才名,博學有文章,
山松歷顯位,為吳郡太守。孫恩作亂,山松守滬瀆,城陷被害。
(晋書83-1)
宋書武帝紀で何の前触れもなく死んだ人です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888050025/episodes/1177354054888301234
伝を読むとなかなかに面白そうなんだけど、初登場退場には当時面食らったよなぁ……。
■斠注
著後漢書百篇。
隋書の経籍志では 95 卷と、舊唐書では 102 巻、新唐書では 101 卷+錄 1 卷と記載されているそうです。
『隋經籍志攷證』には「按沈約宋書禮志引山松漢百官志,水經注引山松郡國志,史通書志篇言山松有天文志,通志校讐略言有藝文志,宏簡錄載梁七錄內有後漢書藝文志若干卷,不著名山松。證以通志,
『宋書』禮志には袁山松による後漢書の百官志が引かれていたり、『水經注』にも郡國志が引かれ、『史通』書志篇では天文志の存在が、『通志校讐略』では藝文志の存在がそれぞれ示唆されているそうです。『宏簡錄』でも梁の時代に後漢書藝文志が何冊か残っていたそうですが、それが袁山松の手によるものであったかは不明。まぁおそらくは袁山松のものなのではないか、と。清の時代の黟の人、汪文臺が袁山松の書いた文章を輯集し本にまとめているそうです。
城陷被害。
世説新語に袁山松に仕えていた兵のひとり、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054889311393
まぁ袁山松がただの背景なんですが。
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