晋書巻82 文人たち

孫盛   魏氏春秋

孫盛そんせい、字は安國あんこく太原たいげん中都ちゅうと県の人だ。祖父は孫楚そんそ馮翊太守ひょうよくたいしゅ。父は孫恂そんじゅん潁川太守えいせんたいしゅ。孫恂は潁川にて賊に殺された。ここで言う賊は石勒せきろく軍だろうか、詳細は不明である。孫盛はこのとき 10 歲。難を逃れるため長江ちょうこうを渡った。成長すると広く学問を修め、また清談をも得意とした。秘書監ひしょかん加給事中かきゅうじちゅうとなった。72 才で死亡。子に孫潛そんせん孫放そんほうがいる。


孫潛、字は齊由せいゆう豫章太守よしょうたいしゅとなった。殷仲堪いんちゅうかん王國寶おうこくほうを討伐せんと言いだしたときに殷仲堪に諮議參軍しぎさんぐんとして参与するべく迫られるも固辞。憂悶のうちに死亡した。


孫放、字は齊莊せいそう。幼い頃より聡明さを示していた。長沙相ちょうさしょうとして死亡した。




孫盛,字安國,太原中都人。祖楚,馮翊太守。父恂,潁川太守。恂在郡遇賊,被害。盛年十歲,避難渡江。及長,博學,善言名理。累遷秘書監,加給事中。年七十二卒。子潛、放。

潛字齊由,為豫章太守。殷仲堪之討王國寶也,潛時在郡,仲堪逼以為諮議參軍,固辭不就,以憂卒。放字齊莊,幼稱令慧。終於長沙相。


(晋書82-1)




う、うご……あまりに薄い……仕方ないので裴松之はいしょうし先生による孫盛評をくっつけておきましょう。孫盛が編纂した歴史書『魏氏春秋ぎししゅんじゅう』の記述に対する、裴松之先生のコメントです。


檢盛言諸所改易,皆非別有異聞,率更自以意制,多不如舊。凡記言之體,當使若出其口。辭勝而違實,固君子所不取,況復不勝而徒長虛妄哉?


孫盛のものした言葉には諸所で改変が加えられている。そういった異聞が存在していた、と言うわけでもないのに自分の意向に沿うよう改竄し、しかもそれがもと史料の内容より劣化している。そもそも記述とは実際に語られたのであろう内容をそのまま記すべきものである。無駄に言葉だけ飾り立て内容が事実とかけ離れているなど、もとより君子が採用すべきではない。ましてやそれが無駄に長く、デタラメと来てしまえば、もはやどうしろというのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る