朱序5 引退と死
朱序は老い病がちになったことを理由に解職をしばしば願い出たが、認められなかった。繰り返される去職要請の上表を拒む詔勅を受け取り、朱序はついに詔に逆らい、職を去った。それから数十日後、
393 年に死亡、
其後東羌校尉竇衝欲入漢川、安定人皇甫釗・京兆人周勳等謀納之。梁州刺史周瓊失巴西三郡、眾寡力弱、告急於序、序遣將軍皇甫貞率眾赴之。衝據長安東、釗・勳散走。
序以老病、累表解職、不許。詔斷表、遂輒去任。數旬、歸罪廷尉、詔原不問。太元十八年卒、贈左將軍・散騎常侍。
(晋書81-16)
!?
竇衝って、前秦と後秦を渡り歩いた名将、と言うか奸雄ですよ。なんでここで名前が挙るんだ。しかも動きがよくわかんないし。いやまぁ前秦後秦との争いに関わるにあたり東晋にも援助を要請したとか、そういう感じなんでしょうけど。
Wikipedia によると、竇衝は 393 年に自立を叫び、394年 に後秦に囚われています。拠点があくまで長安の東だったというのも、やはりそうした動きを裏付けるものでしょう。しかしタイムラインになぞの混乱が起こっているせいで、なんでここに皇甫釗と周勳の名前を挙げる必要があったのかがいまいちわからない。このふたりってたぶん独立勢力よね?
んー、よくわからん。けど、その名前を見るだけで高まったのは確か。ともあれこうしてポスト淝水の東晋西部を大いに支えた名将、朱序も退場しました。朱序がいなくなったところで訪れるのが、
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