礼志3  皇太后祭祀

392 年、車胤しゃいんが提言する。


「『喪服禮經』を参照すれば、庶出の子が自らの母のために服する喪はやや軽いものであり、その期間も三ヶ月である、とされています。『儀禮』にも、庶出で家を継いだものは、生母のための葬礼を家門正室と同等に行うべきでなく、やや軽いものとせねばならない、とあります。


これらはどちらも古来の聖賢より伝わる言葉。軽んじて良いものではございますまい。


しかるに昨今の、上は公卿より、下は士人にいたるまで、庶子が家門を継いだときには、私情をむき出しとし、その生母がまるでその家の正室であるが如き葬礼をなしております。このように情におぼれて聖賢の言葉を損ねた状態が続き、改められないままであれば、家格、家門の存在意義すら揺らがしかねますまい。

 確かに家門の主を尊び、一方で肉親を愛する。これはあらゆる礼における大本です。しかし親近の情を、家門代々の祖霊より優先すべきことがあって良いのでしょうか?


『禮記』には、以下の通りの言葉がございます。「父が後為るに、出母の服せる無き者,祭故せざるなり」と。ひとたび庶子が家長のあとを継ぐことになったのであれば、生母への祭礼よりも家門の祭礼を優先すべきである、とされております。

また禮法としても、天子の父母が死亡しても、その葬儀よりも天地社稷をへの祭祀が優先される、とあります。すべては天帝への尊崇敬慕こそが最優先であるがゆえ。ならば私情にて祖霊らを蔑ろとすることがあってはなりません。


だのに今、陛下は晋の祖霊らをその身に背負われておられますに、先の皇后よりも陛下をお産みになられた李氏の祭祀を優先になさっておられる。斯様にお国の祭祀よりも肉親の情を優先なされては、天よりの寵愛をも失いかねませぬ。ここで陛下が肉親の情よりお国のことを優先なされたとて、誰がそのことを批判いたしましょう。それが晋の国体に取り正しきことであると、皆理解しております。


先の皇太后を正しくお祀りになられず世俗の風潮に染まっておられること、これはまさしく詩経の邶風綠衣が「綠兮絲兮,女所治兮。我思古人,俾無訧兮」と妻妾の立場逆転が古来のしきたりにもとると、あるいは小雅で信南山・甫田・瞻彼洛矣・鴛鴦・魚藻・采菽・瓠葉の各詩序が古の良きしきたりが蔑ろになっていると訴える所以なのでございます。


先に前秦の大軍を退けたことにより、天下は陛下のもとに集いつつございます。ならば王としての権威をより確かなものとするためにも、礼の示す偉大な教訓を陛下自ら大いにお示しになり、天下の風俗を清新なさるべきときです。改めて儀礼制定組織に諮り、尊き経典に基づいた礼制をご確立頂くべく、おん願い奉ります」



なお孝武帝にはスルーされた。




太元十七年,太常車胤上言:「謹案『喪服禮經』,庶子為母緦麻三月。『傳』曰:'何以緦麻?以尊者為體,不敢服其私親也。'此『經』『傳』之明文,聖賢之格言。而自頃開國公侯,至於卿士,庶子為後,各肆私情,服其庶母,同之於嫡。此末俗之弊,溺情傷教,縱而不革,則流遁忘返矣。且夫尊尊親親,雖禮之大本,然厭親于尊,由來尚矣。『禮記』曰,'為父後,出母無服也者,不祭故也'。又,禮,天子父母之喪,未葬,越紼而祭天地社稷。斯皆崇嚴至敬,不敢以私廢尊也。今身承祖宗之重,而以庶母之私,廢烝嘗之事。五廟闕祀,由一妾之終,求之情禮,失莫大焉。舉世皆然,莫之裁貶。就心不同,而事不敢異。故正禮遂穨,而習非成俗。國風所以思古,『小雅』所以悲歎。當今九服漸甯,王化惟新,誠宜崇明禮訓,以一風俗。請台省考修經典,式明王度。」不答。


太元十七年、太常の車胤は上言すらく:「謹みて『喪服禮經』を案ずるに、庶子の母が為に緦麻すこと三月なりと。『傳』は曰く:'何ぞを以て緦麻とせんか? 以て體を為す者を尊じ、敢えて其の私親なるに服せざればなり。'と。此れ『經』『傳』の文に明らかにして、聖賢の格言なり。而して頃の開國公侯より卿士に至るまで、庶子の後為るに、各おの私情を肆まとし、其の庶母に服し、之を嫡と同じうす。此れ末俗の弊にして情に溺れ教を傷つけ、縱まとし革めずば、則り流遁し返ぜるを忘れたらん。且つ夫れ尊を尊び親に親しむは、禮之の大本と雖ど、然して親を尊にて厭い、由來は尚し。『禮記』は曰く、'父が後為るに、出母の服せる無き者,祭故せざるなり'と。又た禮にては、天子が父母の喪ぜるに、未だ葬ぜざらば、紼を越し天地社稷を祭す。斯れ皆な崇嚴至敬なれば、敢えて以て私に尊を廢ぜざるなり。今、身に祖宗の重を承くるも、庶母の私なるを以て、烝嘗の事を廢さん。五廟に祀を闕け、由にて一妾の終に,之に情禮を求むに、莫大なるを失いたるのみ。世を舉げ皆な然りとし、之を裁貶す莫し。就心同じからず、事に敢えて異ならず。故に正禮の遂に穨え、而して習は俗を成すに非ず。此れ『國風』の古きを思う所以、『小雅』の悲歎せる所以なり。當に今は九服漸甯し、王化は惟れ新しく、誠、宜しく禮訓を崇明し、以て風俗を一とすべし。台に經典を修し省考し、式に王度を明るくすべく請う」と。答えず。


(晋書20-1)




「おい司馬曜オメーもうちょい皇太后祭祀の扱いちゃんとやれや」と、「蛍の光」車胤さんガン切れでござるの巻。これはねぇ……「家門」がなんのために存在してるか、から理解していかないといけないやつなんでしょうね。


血縁集団はどうしても利害が揃いやすいもの、と言うより、外部からの圧力が嫌でも強くならざるを得ない当時は、どうしても血縁集団で固まらないと生き抜けない。とは言え単独血縁集団で生き延びることなぞ到底できず、そこで他血縁集団と同盟関係を取らねばならない。これがいわゆる「婚姻」。利害調整の同盟のためだから、血縁集団同志の格はどうしても近くなければならない。遠い血縁集団からの「同盟要請」は、否応なく婚姻の制度外で行われねばならない。すなわち、側妾。


ここで血縁集団は婚姻関係を結ぶ二者以外にも、たくさんある。そういった外部の各集団とのパワーバランスも考慮した上で姻戚関係は結ばれねばならず、ならば「家主の婚姻」は婚姻を結ぶ両家以外の利害関係をもまた検討要素に加えざるを得ない。


こうしたパワーバランスの結晶体が家主の正妻であり、仮に庶出の子が家を継いだところで、先の家主の正妻は各家門パワーバランスの象徴。おいそれと蔑ろにして良いものではない。下手をすれば他家との接続を裏切った行為とすら映りかねない。


……という真似を、よりによって天下の主たる皇帝がやらかすとかどういうことだよオイ、そんなに各家との信頼の積み重ね放棄したいんか、あ?


と、車胤さんは懇願してるわけですね。いやそいつを「昔から言われてるので守れ」に押し込むなやって感じですけど。


ともあれ、この上奏はこう語るわけですね。「晋の孝武帝は車胤のこのもっともな提言を足蹴にしました。では、その結果彼の身に何が起こりましたか?」と。


うーん、怪談話☆

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