礼志2 殷祠
413 年 4 月、
「
いやまって?
「司馬鈞様以下四代はこれまで廟堂の先頭にあり全国で執り行われる祭祀にお喜びであらせられた。ここでその神主を廟の奥深くに押し込められれば、人々の思いは四代より離れてしまおう。ならばせめて
また
「これまで通りに殷祠を行えば、その対象は四代にも届こう。ならば子孫の思いは十分に先帝らに届くと信じる」
このとき
義熙九年四月,將殷祠,詔博議遷毀之禮。大司馬琅邪王德文議:「泰始之初,虛太祖之位,而緣情流遠,上及征西,故世盡則宜毀,而宣帝正太祖之位。又漢光武移十一帝主於洛邑,則毀主不設,理可推矣。宜築別室,以居四府君之主,永藏而弗祀也。」大司農徐廣議:「四府君嘗處廟堂之首,歆率土之祭,若埋之幽壤,於情理未必咸盡。謂可遷藏西儲,以為遠祧,而禘饗永絕也。」太尉諮議參軍袁豹議:「仍舊無革,殷祠猶及四府君,情理為允。」時劉裕作輔,意與大司馬議同,須後殷祠行事改制。會安帝崩,未及禘而天祿終焉。
義熙九年四月、將に殷祠せんとせば、詔し博く遷毀の禮を議せしめんとす。大司馬琅邪王の德文は議すらく:「泰始の初、太祖の位虛しく、而して緣情の遠くに流るるに、上は西征に及び、故き世の盡くを則ち宜しく毀ち、宣帝は太祖の位を正す。又た漢の光武は十一帝が主を洛邑に移す、則ち主を毀ち設けず、理は推すべきなり。宜しく別室を築き、以て四府君の主を居せしめ、永く藏し祀る弗きなり」と。大司農の徐廣は議すらく:「四府君は嘗て廟堂の首に處り、率土の祭を歆び、若し之を幽壤に埋むらば、情理は未だ必ずしも咸な盡くさざらん。西儲に遷藏し、以て遠祧と為すべくし、禘饗は永きに絕ゆると謂うなり」と。太尉諮議參軍の袁豹は議すらく:「舊に仍り革む無かば、殷祠は猶お四府君に及ばん、情理は允為らん」と。時に劉裕の輔を作せるに、意は大司馬と同じき議なれば、須ち後に殷祠行事は制を改む。安帝の崩ぜるに會し、未だ禘及ばずして天祿は終わりぬ。
(晋書19-2)
征西は司馬鈞の最終官位。そのため霊廟に祀るに当たり、いわば諡号的にこう呼ばれています。わかるかンなもん。ここがピンとこなかったため、二時間くらい「司馬炎の西征……?
とまあそんな感じでもろもろよくわかんないですが、司馬徳文(に、チーム劉裕が言わせるように仕向けさせた)の意見は司馬鈞以下四代の祭祀なんかもうぞんざいに扱おうぜ、で、徐広はいやいや少しは祭祀してやってくださいよ、で、袁豹はいやいやことさらに変える必要ないでしょうよ、だった。が、結局劉裕のマッチポンプにより司馬徳文案が採用されました。
そしたらびっくり! 晋が潰れたね!
という感じでしょうかね。
こういうところを拾うと、徐広が禅譲劇において人目も憚らず涙した意味がより伝わってくる感じですね。うーん、エモいな礼志。
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