晋書19 礼志
礼志1 郊
404 年、
この年、
ここに、尚書左丞の
「いちど天を祀る祭祀は桓玄によって破壊されてしまいました。それを復活させられるのは、ただ天子が再び南郊にて太陽に向かい合うときに他なりますまい。他の誰がそれを代行できるというのです、ならばなぜ今あえて祭祀を執り行う必要がありましょうか!」
ここに反論が起こる。
「郊を執り行う理由は単純だ。いまは
すると、別口でこのように反論が出る。
「上天の天帝を祀る資格があるのは、その名の通り天
この援護射撃を受け、王納之は言う。
「
こうして王納之の提議が承認された。
安帝元興三年,劉裕討桓玄,走之。已卯,告義功於南郊。是年,帝蒙塵江陵未反。其明年應郊,朝議以為宜依『周禮』,宗伯攝職,三公行事。尚書左丞王納之獨曰:「既殯郊祀,自是天子當陽,有君存焉,稟命而行,何所辯也。郊之興否,豈如今日之比乎!」議者又云:「今宜郊,故是承制所得令三公行事。」又「郊天極尊,惟一而已,故非天子不祀也。庶人以上,莫不蒸嘗,嫡子居外,介子執事,未有不親受命而可祭天者。」納之又曰:「武皇受禪,用二月郊,元帝中興,以三月郊。今郊時未過,日望輿駕,無為欲速,而使皇輿旋反,更不得親奉也。」於是從納之議。
安帝元興三年、劉裕は桓玄を討ち、之を走らしむ。已卯、義功を南郊に告ぐ。是の年、帝は江陵に蒙塵し未だ反らず。其の明くる年に應に郊ぜんとせば、朝議は以為えらく「宜しく『周禮』に依り、宗伯に職を攝し、三公に事を行わしむべし」と。尚書左丞の王納之は獨り曰く:「郊祀は殯され、是れ自り天子の陽に當りて、君存有るのみ、命を稟じ行うに、何ぞの辯ぜる所なるや。郊の興否、豈に今日の比の如きか!」と。議者は又た云えらく:「今ま宜しく郊ずべくは、故より是れ承制し三公行事の得る所ならん」と。又た「天の極尊を郊ずは、惟だ一なるのみ、故に天子に非ずして祀らざるなり。庶人以上に蒸嘗せざる莫く、嫡子の外に居り、介子の事を執るは、未だ親しからずして受命し天を祭る者たるべき有らず」と。納之は又た曰く:「武皇の禪を受くるに二月の郊を用い、元帝の中興せるに三月の郊を以てす。今の郊は時未だ過ぎず、日は輿駕を望み、速やかに為せるを欲す無く、而して皇輿をして旋反せしめ、更に親しき奉を得ざるなり」と。是に於いて納之が議に從う。
(晋書19-1)
礼志、初っ端からきつくてワロタ。訓読でワンクッション入れないと手も足も出ない……。
けどこれ、頑張ったかいはありました。ここで変に司馬遵を始めとした「臣下」に、変に天子のための祭祀を執り行わせてしまえば、ただでさえ簒奪を食らった皇帝の値段なんか安いのに、さらにその値段がストップ安になる。ともなれば、例えば劉裕がお題目として担ぎ上げる神輿もえらい軽くなってしまう。
なんだかんだで劉裕は安帝の忠実な配下としての大義名分あってこその大権行使であったわけで(なにせクーデターの題目が安帝の復権です)、ここで下手に安帝なしでも皇帝祭祀は執り行える、となってしまうと、劉裕の権勢すらゆらぎかねないのですよね。
ここでたら、ればを語ることにあまり意味はないと思っていますが、王納之のこの建議が握りつぶされていたとしたら、劉裕の覇道はもう少し鈍かったかもしれません。
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