天文19 星変402年魏
402 年 3 月、金星が昼間、
実際、このときに
4 月、月が
10 月、
5 月、月が
すなわち、桓玄を警戒せよ、と言うことである。また「貴人で罪に伏すものがあらわれる」とも占断されていた。これは 403 年 7 月に
7 月、月が木星に並んだ。場所は
404 年と言えば桓玄が
10 月、月が
拓跋珪は牛の疫病蔓延を恐れ、車を焼却破棄させた。牛たちを乗せる車だったのだろうか。しかし拓跋珪が撤収して間もなく牛まわりの伝染病が生じ、八、九割の牛が死んだ。多くの牛たちの死骸が路側にうち捨てられ、鹿などにも多くの病死が出た。
10 月、南宮の西に真っ白な超新星が出現。12 月に太微垣に入った。動乱の起こる兆しとされた。しかしそれは長続きせず、すぐに打ち払われるとも見なされた。
翌年晋は確かに簒奪を受けたが、とは言え各地の諸侯がそれでお家取り潰しとなるわけでもなかった。
403 年 6 月、月が
桓玄が殺されたあと、大臣クラスでも処断されるものが多くあった。劉裕によって東晋軍府が掌握されるまでに十年余りを必要としており、このため斗宿まわりの星変がこの事態を批判したのである。
五年四月辛丑,月掩辰星,在東井。月為陰國之兵,辰象戰鬬。占曰「所直野軍大起,戰不勝,亡地,家臣死」。冬十月,帝伐秦師于蒙坑,大敗之,遂舉乾壁,關中大震。其上將姚平赴水死。〈是月戊申,月暈左角。太史令晁崇奏:「角蟲將死。」上慮牛疫,乃命諸將併重焚車。丙戌,車駕北引。牛大疫,死者十有八九,官車所御巨犗數百,同日斃於路側,首尾相屬,麋鹿亦多死者。〉
五年三月戊子,太白犯五諸侯,晝見經天;九月己未,又犯進賢。太白為強侯之誡,犯五諸侯,所以興霸形也。是時桓玄擅征伐之柄,專殺諸侯,以弱其本朝,卒以干君之明而代奪之。故皇天著誡焉,若曰:夫進賢興功,大司馬之官守也,而今自殘之,君於何有焉。是冬十月,客星白若粉絮,出自南宮之西,十二月入太微,亂氣所由也。以距乏之氣而乘粹陽之天庭,適足以驅除焉爾。明年,竟篡晉室,得諸侯而不終。〈是歲五月丙申,月犯太微;十月乙卯,又如之。月者太陰,臣象,太微正陽之庭,不當橫行其中,是謂朝庭間隙,強臣不制,亦桓玄之誡也。又占曰「貴人有坐之者」。明年七月,鎮西大將軍、毗陵王順以罪還第,亦是也。〉
五年七月己亥,月犯歲星,在鶉火鳥帑,南國之墟也。至天賜元年二月甲辰又掩之,在角。角為外朝,而歲星君也。又象若曰:有強大之臣干君之庭,以挾其主而播遷于外。是歲桓玄之師敗績于劉裕,玄劫晉帝以奔江陵。至五月,玄死,桓氏之黨復攻江陵,陷之,凡再劫天子云。〈先是,六年六月甲辰,月掩斗魁第四星;至天賜元年五月壬申,又掩斗魁第三星;二年八月丁巳,又犯斗第一星。斗為吳分。大人憂,將相戮,宮中有自賊者。及桓玄伏誅,貴臣多戮死者。江南兵革十餘歲乃定,故謫見于斗。〉
(宋書25-10)
えーと。
バカか。消えろ。
なんでしょうかね、散逸したんなら散逸したでほっとけよという感じ。そういうザルな方法で再現されても、結局その星変が載ってる宋書の話しかできてねえじゃんというか。と言うわけで天文終了! もうやだ。
次回からは、礼志に入ります。礼志って結構列伝には載らない貴重な情報載っけてくれてたりするんですよね……ただしだいたい詔勅上表なので難易度インフェルノ。早く列伝に行きたい……けどここまでやって思いがけない情報見逃すのも悔しい……ぐぬぬ。
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