礼志9  上礼

392 年、後の安帝、司馬徳宗しばとくそうが皇太子に任じられる。この報告を司馬徳宗自ら宗廟に報告した後、臣下らよりの慶賀の祝辞は皇帝に寄せるのと同じ上礼に則るべきかどうかが諮問された。


車胤しゃいんは言う。

「無論百官をあげて慶賀し、高位のお方に向けての礼に則るべきではある。しかしながら陛下と同等、とまではすべきではない。皇太子殿下のお立場はあくまで各地に封爵された諸王とほぼ同等とみなすべきである。そして彼らがお国のために祭礼を執り行なうことはない。こうしたお方に向けて上禮はなされるだろうか。改元が執り行われた際ですらを諸王は皇帝に対し上礼を取ることはなく、ただ壁玉を献上するのみではないか」


庾弘之ゆこうしは言う。

武帝ぶてい陛下の治世下、277 年に司馬裕しばゆう様、司馬允しばいん様が王に封じられたとき、洛陽らくよう近隣にいた朝臣、諸王、公主らが参賀に出向いた折には、故事に基づき上礼を取ることが認められた。皇太子殿下は陛下の移し身とでも呼ぶべきお方、その崇敬すべきお立場もすでに確立されている。そしてこれは天よりもまた慶賀の等しくされるところである。ならば皇太子殿下へ寄せる祝辞は上礼に則るべきである」


徐邈じょぼうが庾弘之に同意し、また付言する。

「過去、すでに王位封爵や新宮の確立を慶賀する際、上禮にて執り行われていた。すでに前例は示されており、臣民もみな王や東宮を仰ぎ、崇敬の念を示し、盃を掲げ祝福している。ならば皇太子殿下に対し上礼でもって祝賀するのはなんら疑う余地もなきことだ」




太元十二年,台符問「皇太子既拜廟,朝臣奉賀,應上禮與不?國子博士車胤云:「百辟卿士,咸預盛禮,展敬拜伏,不須復上禮。惟方伯牧守,不睹大禮,自非酒牢貢羞,無以表其乃誠,故宜有上禮。猶如元正大慶,方伯莫不上禮,朝臣奉璧而已。」太學博士庾弘之議:「案咸寧三年始平、濮陽諸王新拜,有司奏依故事,聽京城近臣諸王公主應朝賀者復上禮。今皇太子國之儲副,既已崇建,普天同慶。謂應上禮奉賀。」徐邈同。又引一有元良,慶在於此。封諸王及新宮上禮,既有前事,亦皆已瞻仰致敬,而又奉觴上壽,應亦無疑也。


太元十二年、台符は問うらく「皇太子の既に廟を拜すに、朝臣の賀を奉ずは、應に上禮を與うや不や?」と。國子博士の車胤は云えらく:「百に卿士を辟き、咸な盛禮に預かり、敬を展じ拜伏せるに、須くは復た上禮せず。惟うに方伯・牧守は大禮に睹せず、自ら酒牢貢羞せるに非ず、以て其の乃誠を表す無く、故に宜しく上禮を有すべくす。猶お元正大慶の如きは、方伯も上禮せる莫く、朝臣は璧を奉じたるのみ」と。太學博士の庾弘之は議すらく:「咸寧三年の始平、濮陽諸王の新たに拜さるに、有司の故事に依りて奏ぜるに案ぜるに、京城近臣・諸王・公主の朝賀者に應に復た上禮を聽す。今、皇太子は國の儲副にして、既に已に崇を建つらば、普く天も慶を同じうす。應に上禮にて奉賀すべしと謂わん」と。徐邈も同じくす。又た一なる元良の有すを引き、「慶は此にす。諸王を封ず、及び宮の新たなるを上禮せるに、既に前事有らば、亦た皆な已に瞻仰し敬を致し、而して又た觴を奉じ壽を上ぐ、應に亦た疑える無きなり」と。


(晋書21-3)




霊感読みするしかねぇえ〜! とは言え、まぁそう激しく大要は外していないでしょう。


司馬徳宗まわりは、なにせ祖父の簡文帝かんぶんていからして正統性がだいぶやべーもんだから、孝武帝(というか、周辺の典礼にまつわる官吏たち)は儀礼方面からその権威強化に躍起になっていた印象です。例えば司馬昱の生母、鄭阿春ていあしゅんの「春」字を文書等で使用しないよう下命してます。何故かって言えば元帝のいち側妾に過ぎないはずの彼女から皇帝が誕生したのは、鄭阿春自身にも何らかの天命が下されていたと考えるよりほかないから。にしても祖母の名を家諱とするならともかく国諱にするとか、正直どれだけあやふやな権威しか持てなかったのよって感じです。そして、その辺を糊塗するための手立てが稚拙すぎる。


そんなわけで、あやふやな正統性の皇帝の息子の正統性なんざ当然あやふやだし、さらにその息子なんて言ったら、もっと、となる。ここで車胤の論は、おそらくど正論。彼はそういう人です。けど周辺は前例を持ち出し、「そーゆーきっちりとした話はやめとこうよ、な? てゆうかその辺疑いだしたらうちの皇太子殿下の権威すら疑わなきゃいけなくなっちゃうし、な?」ととりなしている。


ここまで読んできて、つくづく礼志ってやつは礼の皮被ったパワーゲーム議論だな、と思います。表現はめっちゃ難しいですし、ここもまるで読めてる気はしないですけど、その背景を妄想するのが最高に楽しい。前話の「いち役人」曹耽そうしんの正論に対する「大臣」王彪之おうひょうしによるちゃぶ台返しとか、まさにパワーゲーム! という感じでしたしね。


ひとまずここで晋書の礼志は終了。ここから、以前泣いて諦めた宋書の礼志に行きます。そこではきっと、劉裕りゅうゆうの権威確保に関する方便を諸処読めるのでしょう。

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