うそつき。

ふさふさしっぽ

うそつき。

 写真コンクールで入賞した。授賞式を終えた僕は、会場内の一番目立つところに展示されている自分の作品を、満足げに眺めていた。

 明日あすから入賞作品や佳作作品が「コンクール写真展」として、一般公開されるのだ。楽しみでならない。

「おめでとうございます。いよいよ明日から一般公開ですね」

 審査員の男が僕に声を掛けてきた。四十歳の僕より若い……、まだ三十そこそこじゃないだろうか。

 審査員は複数いるが、この若い男が僕の作品を強く推してくれて、受賞に至ったらしい。若いのに、そんなに発言力があるのだろうか。まあいい。この若者のおかげで、いままで何度も応募したけれど、かすりもしなかったコンクールに、入賞できたのだ。

「ありがとうございます。まさか受賞できるとは、夢にも思っていませんでした」

 僕は頭を下げ、殊勝な態度をとっておく。すると男は、

「私、この作品を見た瞬間に心を奪われましてね。入賞はこれしかない、と速攻で思ったんです」

 屈託なく笑って、一人で勝手にしゃべりだした。

「どこまでも広がる青い空と、穏やかな海。そして、片隅にぽつんと立った白い灯台。灯台はとても小さく、中心から外されている。それが逆に灯台の存在を示していると思いましたね。構図が気に入ったんです。もしかして、この灯台に行ったことがあるのではないですか」

「いや」

 僕は素早く否定した。

「授賞式でも言いましたけれど、この灯台に上ったことはありませんよ」

「そうなんですか。なにか、思い入れのある灯台なのかと思いましたよ」

 何を言いだすんだこいつ。僕は動揺を悟られまいと、自分の作品を見つめて、感慨にふけっている振りをした。そう大きくない作品だが、構図は僕もまあまあ気に入っている。褒められて悪い気はしない。

「では、私はこれで。明日はよろしくお願いします。楽しみですね」

 若い男はそう言うと、折り目正しく礼をして、去って行った。


 次の日。僕は一般公開の日に遅刻してしまった。前日調子の乗って酒を飲みすぎ、寝坊してしまったのだ。受賞者だからといって、必ずしも展示場にいなくてはならないわけではないが、やっぱり自分の作品の評判が気になる。

 僕は遅れて「コンクール写真展」の展示場に入った。入場無料だが、平日ということもあり、人はまばらだった。しかし、僕の作品の前には人だかりができていた。

「これって、合成じゃない?」

「こんな写真、ありえない」

 そんな声が聞こえる。僕は僕の作品がそんなに好評なのかと気をよくしていたのもつかの間、一般客のそんな声を耳にして、いてもたってもいられなくなった。

 合成? 何を言っているんだ――。

 一般客をかき分け、自分の作品の前に立つ。そして絶句した、

 なんだこれは。


 灯台を、少女が抱きしめている。


 僕の作品は、青い空と、穏やかな海と、ぽつんと立つ小さな灯台を写したものだ。しかし、今目の前にある僕の作品は、その小さな灯台を、セーラー服を着た少女が抱きしめている、というものに変わっていた。一般客が「合成だ」というのにも、無理はない。灯台に対して、少女はとても大きいのだ。巨大な少女が、灯台を抱きしめているのだ。実在の風景ではありえない。

 わけがわからなくなり、一歩、また一歩とあとずさりする僕の肩を、誰かが叩いた、審査員のあの若い男だ。

「あなたの作品、とても注目を集めていますね」

 男はなんでもないように笑った。

「何だあれは……。あれは、僕の作品じゃない。誰が加工したんだ」

 僕は震える声で男に言った。

「あれえ? どうしてそんなに怯えているんですか?」

 若い男が目を見開いて問う。僕は血の気が引くのを感じた。

「怯えてなんか……」

「あの、灯台を抱きしめる女の子に、見覚えがあるんですか」

「ない! あるわけないだろ。おい、悪ふざけはやめろ」

 僕がそう言った瞬間、若い男が若い女に変わった。セーラー服を着ている。写真の中の、灯台を抱きしめている少女と瓜二つだった。少女は僕を真っすぐに見つめて、こう言った。

「あなたを待っていたの、ずっと」


 僕は妻とうまくいっていなかった。それで、一度だけ、魔が差して、ネットで出会いを求めてしまった。そこで出会った女性が高校生だなんて思いもしなかった。

 だから、で別れを切り出した。彼女はわかってくれた、はずだ。僕はその場に少女を残し、灯台を下りて、それっきり、彼女とは会っていない。去年のことだ。

「そんな……うそだ、まさか……」

 僕は頭に浮かんだ可能性に、戦慄した。あのあと、海に飛び込んだのか?

「私は灯台を下りなかったの。あなたが戻ってきてくれるって、信じていたから。私にはあなたしかいない。私は灯台の上で、ずっとずっと待ってた。それだけだよ。そうしたら、一年経って、あなたに会えた。不思議だね」

 なんだと。馬鹿な。灯台の上にずっといただと? そんな話あるか。この少女は何なんだ。とにかく一旦この場を離れよう。

 僕はその場を立ち去ろうと、後ずさりした。しかし、踵が何かに引っかかって、尻もちをついてしまった。床についた両手に水の感触がして、ぎょっとする。足の方を見ると、赤いスカーフが巻き付いていた。

「なんで水が……」

 あたりを見回すと、一面真っ暗だった。写真展にやってきた一般客も、僕の作品も、何もかも消えていた。ただ、尻と両手が冷たい。

「なんだこれは? どこだここは?」

 僕は叫んだ。

「私のことをずっと思ってくれていたから、あの写真を撮ったんじゃないの?」

 懇願するような声にはっとして、顔を上げると、悲しそうな顔をした少女が目の前に立っていた。僕は違う、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。この少女をへたに刺激しない方がいいと思った。

 少女と別れてから、僕と妻の仲は修復され、僕の中で少女との短い付き合いはなかったことになっていた。正直なところ、今回この写真を撮ったのも、あんなことがあったなあ、と思って撮っただけで、特に深い意味はない。写真は完全に趣味で、なんとなくコンクールに応募しただけだ。少女のことだって、ただの家出少女だと思っていた。

 だけど今はそんなことを言える雰囲気じゃない。僕は嘘をついた。

「そ、そうだよ。君のことをずっと思っていた。だから、この写真を撮った」

 そう言った瞬間、赤いスカーフが足の方からシュルシュルと伸びて、蛇のように僕の体に巻き付いた。目の前に立って僕を見下ろしていた少女がゆっくりと膝をつき、僕を抱きしめる。あの、灯台のように。

 スカーフが、ぎりぎりと、体に食い込んでくる。首にも巻き付き、少女の腕の中で僕は声も出せず、身動きも取れなくなった。

「た、助け……」

 視界が歪む。色が消える。何も見えなくなってく。尻と手に伝わる水の冷たさも、わからなくなっていく。

 ぼき、ごき、と、自分の骨が砕ける音がする。そう、最後に感じられるのは、耳だけ。

 その耳に、少女の、深く、暗い海の底のような一言が。


「うそつき」


 僕は目をむきながら、赤いスカーフに切り刻まれ、少女の腕の中でばらばらになっていった。ばらばらになった僕は、海に流されて……。

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