物書きの自虐はひと味ちがうのさ

 【カクヨムでいちばん頭おかしい作者決定戦】という自主企画が立っていた。

 通常、わたしたちは社会的規範に沿った良識人でありたいと願っている。殆どの人はそのラインを守って生きている。
 ところがだ。
 「カクヨムでいちばん頭おかしい作者決定戦」という企画を眼にするなり、多くの書き手は想うのだ。


 頭のおかしい作者決定戦だと?
 俺/わたしの出番かな? 


 それが物書きの業なのだ。
「そこを退け。いちばん頭のおかしい奴こそ、この私。雑魚は控えろ」
「頭がおかしい? 上等だ。これに勝てなければ物書きとしての資格はない」
 このくらいの勢いでみんな集まってくる。
 異常だ、みんな。

 misaki2000さんは、キャッチコピーである『misakiさんはいつも、取り返しのつかないことをする。』で憶えていた。ピックアップから自然に眼をひき、この文言が忘れられなかった。エッセイの題名は「書けばいいってもんじゃないよ。」なのだが、コピーの方が強く頭に残っていた。
 そのmisaki2000さんが「カクヨムでいちばん頭おかしい作者決定戦」にエントリーされていた。
 「私が、いま死んでも」だ。
 ちなみにこちらのキャッチコピーは『これは私の吐瀉物です』だ。

 物書きは自虐と仲良しだ。
 自虐というものはどうにも忌み嫌われているが、物書きの自虐とは卑屈なだけのものではない。自虐している自分を、覚めた眼、乾いた眼、笑って眺めるところまで書き切るのが物書きの視点だ。
 穴に落ちましたがそれが何か? 生まれてこの方ずっと落ちているものだからこれが天井でございます。
 一人でボケと突っ込みをやっているようなものだ。

 misaki2000さんは感情を乾かして押し花にして、押し花なんか誰もいらないよね、と云いたげな風情で出してくる。
 実は新鮮なうちに作品にする方が難易度が高く、たいていの文章は押し花なのだが、それを「吐瀉物」と自虐されて出してくる。本物の吐瀉物なら目にもしたくないが、どうだろう、この作品を読んだ【物書き】ならば、想うのではないだろうか。


 あら、わたしの腹にも同じものがあるわよ。
 同じものを吐いてるわ。
 知ってる知ってる、それ、吐瀉物よね。


 あとはそれをどんな形で出力するかの違いだけだ。misaki2000さんは詩という形を選んでいる。
 詩にすることで自虐と童話が融合したような独自の視点が見事に生かされている。
 ブラックには傾かず、明るいユーモアでもない。暗いことを書いてあっても湿っぽくなく、幾つかの掌編からは、なぜか「ぐりとぐら」風の余白を想わせる。
 がらんとした空き地の隅っこで花を摘んでいるmisaki2000さんを見て、わたしたちはまた想うのだ。
 知ってる知ってる、そこに花あるよね。
 そして云いたくなる。


 夢も愛も希望もないよ。
 でも、仲間はいるよ。
 誰にも分かってもらえなくてもいいよって云ってるんだ。
 だって私たちは頭がおかしいんだから。



 ちなみに、わたしも「カクヨムでいちばん頭おかしい作者決定戦」で優勝できる自信がある。
 R17.99を飛び出しているので参戦できないのが残念だ。