その朝、秋を感じた。

 目を覚ますと、確かに掛け布団に包まれているはずなのに何だか寒かった。出ている顔が冷たい空気にさらされて、ベッドの中心で全部丸めていたくなる。なんてことを考えていればアラームが鳴った。最近はいつもこうで、目覚ましが鳴るよりも先に起きてしまう。けどその分、起きてから起き上がる心の準備を調ととのえる時間ができる、とかポジティブに考えようとはしてる。

 ふらふらと覚束おぼつかない足取りでその辺にある服――朝に弱い、いや弱すぎる俺のためにのどかが用意してくれる――に着替える。眠過ぎて何を着ているのかわからなくたって、ハズレは絶対にないと信頼してる。あいつはそんないたずらはしない。

 ふわっといい香りがするリビングへ向かう。朝食の香りだ。あいつと一緒に暮らすようになってから朝食を取るようになった。それ以来、仕事でのミスも人間関係でのやらかしも減った気がする。いや、これは朝食じゃなくて和がもたらす効果なのかもしれないけど。

「ひめちゃん、おはよ」

「ん、はよ」ジュージューとフライパンで何かを焼く音が聞こえた。「めだまやき?」

 和はそうだよ、と微笑む。料理はからっきしのこいつだが、目玉焼きは絶品だ。ちょうどいい焼き具合に、ちょうどいい味付け。黄身に箸を入れればとろりと溢れ出して俺を誘惑する。ひと口食べればいつの間にか食べ切ってなくなっている。だから朝起きるのも楽しみに……はならないけど。そんな目玉焼き。大好きなので毎朝作ってもらってる。

「今日も眠そうだね」

 今まで少しだって興味なかった食が楽しくなってきたのもこいつのおかげだ。食べるのも作るのも、こいつとなら楽しくなる。いや、本人には言わない。それはしゃくだ。

 料理中の和に近付く。昼は何食べてるのか知らないが、夜はどれだけ疲れていようが俺が作るから、こんなレアな和を見られるのは朝だけなのだ。

「どしたの、まだできないよ?」

 眠さに負けそうになって、俺は背中側から和の肩に頭を乗せる。何だか懐かしいような香りを感じた。大きく息を吸い込めば、それがタンスの奥から服を出したときの香りだと気付く。衣替えの香りだ。

「んー、ねむい……」

「ふふふ、ひめちゃんはかわいいね。ほら、顔洗っといで?」

 離れがたいが、仕方なく洗面所へ向かう。冷たい空気に冷たい水。もう夏じゃなくなったんだな、なんてこんなところで実感する。

 頭の中から眠気の霧がすうっと晴れていけば、さっきの行動が恥ずかしくなる。「眠くなると甘えたになるんだねぇ」なんて言われたのは、いつだったか。化粧水を載せた手のひらで頬を強く叩く。さすがに起きないと。

 リビングに戻ると、さっきよりいろんなものがはっきりと見える。気付かなかったけど和はすっかり秋らしい服装、長袖タートルネックの白いニットだ。だからあの香りがしたのか、なんて納得もする。

 それにしてもそんな服だったら、あの夜、俺が一目惚れしてしまった瞬間を思い出さないでもない。あれからもう一年が経とうとしているのかと考えると、感慨深いのかもしれない、なんて。

 ……頭を振って思考を飛ばす。

「できたよ〜! ひめちゃん早く食べないと、また遅刻しちゃうよ」

「またって何だよ、またって。遅刻なんてほとんどしてないっての」

「ほら、ほとんど、でしょ? 今日こそしちゃうかもよ」

 なんで嬉しそうにしてんだよ、口の中で呟きながら着席してご飯を食べ始める。和は作るだけ作って、今は食べない。まあ当然だな。こいつは外で働く訳じゃないから、もっとゆっくりしたいんだろう。

 出してくれた朝食を食べ終えてから、急いで準備を調える。歯を磨いて、メガネを洗って、ネクタイを締めて、コートを着る。

「じゃあ、行ってきます」

「今日も無理はしないでね」

 毎朝俺を送るときこいつは「がんばってね」とはひとことも言わない。これ以上はできないくらい仕事をしているってわかってくれているからなのだろうと思うと、どうしても嬉しくなる。俺を理解してくれているという事実が、この上なく、どうしようもなく和に惚れさせる。

 和は目を細めると、俺に近付いてきて――。

 急なことに驚いた俺は、目を見開いた。離れたのにまだ柔らかな感触が残る頬を押さえた。こいつ、今なにした?

「これで乗り切れるね?」

「……う、うるさい。もう出る」

「ふふ、いってらっしゃい」

 目も顔も逸らしながら、慌てて外へ出た。優しく俺を包むのは、冷たい秋の風だった。顔を真っ赤にさせたままその場にしゃがみ込んで、大きくため息を吐いた。

 秋の匂いに季節の流れを感じる午前六時半。


お題:長袖/秋の匂い

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