夜の外、指を切る。
「ひめちゃん、お散歩行こ!」
「……は?」
今日は帰宅が早かったから、いつもよりは確かに余裕がある。とは言えいつもが遅すぎるんだ、散歩に行くような時間ではないだろ。眼鏡の位置を直して、腕時計に目をやる。
「いや、もう日付変わってるぞ?」
「そんなの関係ないってば、行こうよ」
「おい、手は離せよ」
「でもさ、あんまり人もいないし、ほら、息も白いよ?」
それがどうした、なんて言いたくなるが意地悪はしない。というか、変なことを言ったら倍になって返ってくるだろうし、そんな元気がないだけだけど。
「……はいはい」
冬が始まる。その空気が痛いくらいに頬に刺さる。首に巻いたままだった薄めのマフラーを引き寄せてから、和は寒くないんだろうかと横顔を盗み見た。けど、あんまりにも少年みたいな笑みを浮かべてるもんだからこっちが恥ずかしくなってくる。握られたままの左手をちょっとだけきゅっと握り返す。
「いつもとは違う方に行こ、あっち行ったら人も多そうだし」
そんな訳で俺たちは、すかすかの公園に辿り着いた。遊具がないでもないけど、滑り台にブランコ、それとシーソーだけなんていうものぐさ公園だ。子どもたちを楽しませる気なんてほとんどない。だからこそ大人の俺たちは楽しめるのかもしれないけど。
「やっぱりちょっと寒いな」ふたりブランコに座って、俺は両手に息を吐きかける。握ったり開いたりして、さっきの手の温度をなくさないように。
「あ、じゃあおれ何か買ってくるね。コーンスープとおしるこどっちがいい?」
「コーンスープで」
「おっけー」
手を振りながらにこにこ走っていく和。背中で色素の薄い長髪が揺れる。まるで可憐な少女だ。あいつの仕草や喋り方や何かは、どこをとっても愛らしい。自分がかわいいってことを完全に理解して、それでいてどう見せるのがベストなのか、研究し尽くしたやつの動きだ。そんなことを考えるとやっぱり俺はあいつの本命になれているのか不安にもなる。
「あれ」和ではない誰かが公園に入ってきた。「
「……あー、どなた様ですかね」
「おいおい酷いな、恋兄。実弟の顔なんてお忘れですかって」
「あれ、ひめちゃん、知り合い?」
タイミングが良いのか悪いのか、返事に困ってると和が帰ってきた。手に持ってる温かい缶を受け取りながら、肩をすくめる。「さあな」
「あれ、もしかしてあなたが
「おれ噂になってんの? え、ひめちゃんが兄?」
「てかお前この辺住んでるのか、初耳だけど」
「最近こっち来たんだよ、店やるから。ってか恋兄メッセちゃんと見ろよな」
「は、店?」
「ちょ、ちょっと待ってね。えぇっと」久しぶりに弟に会ったもんだから、和のことを忘れてた。混乱してるらしい和は俺と弟を見比べて――「おれは誰?」
「その
仕方なく俺は弟を紹介することになった。アッシュグレーに染まった少し長い髪、耳の至る所にあるピアス、いろんな指に
「こいつは俺の弟の
桜太郎はぱあっと顔を輝かせると、急に動いた。
「まじでお綺麗すね、いろんな話は兄から伺ってるっすけどここまでとは……どうすかこの後、僕とお茶――」
腹に肘を入れてやった。
このバカな弟は美形に目がない。男だろうが女だろうが、髪が長くて顔が整った人間にナンパしてはフラれるのを繰り返している。今もそうだとは思ってなかったけど。
「っていうか、ひめちゃんってお兄ちゃんだったんだね?」
「言ってなかったっけ? 五人兄弟の長男なんだけど」
「五人!?」
「僕は四つ下の次男す」
「じゃあ二十二だ。若いのに自営業?」
桜太郎は思い出したようにリュックをおろして漁り始めた。出てきたのは分厚いファイルで、中からフライヤーを二枚取り出す。
「バー開店するんで、今度ふたりで来てくださいよ。ね、恋兄」
「それはまた大変な道だな……あの人は許したのか?」
「恋兄それやめろよ、父さんだって悪い人じゃないだろ」
「前時代的だよ」
「それは否めない」
あの人はやりすぎなくらい厳格だ。たぶん、俺が和と付き合っててふたりで暮らしてる、って知ったら激怒するんじゃないかな。だからこそ桜太郎のバーが許されたのは不思議だった。
「あ、そうそう母さんがたまには帰ってこいってさ」
「いや、正月には毎年」あれ、去年は和と過ごしたし、一昨年は会社で年越して、その前は――「行ってないな」
「恋兄やばいよ、それ。お前三年前一回帰ってきて以来だぞ? まじでみんな心配してるからな、メッセも見ないし」
「あー、まあ約束はできないけど……」
「でも俺に佐瀬さんを会わせるって約束は消化できたな」
「……まあな」
「あっ、ごめん! 買い出しの途中だったわ! んじゃ、佐瀬さん、恋太郎をよろしくっす!」
明るい街の方へと走っていく背中を眺める。歳は四つしか違わないとは言え、もっと子どもだと思っていたが、案外桜太郎も成長しているらしかった。
「嵐のような人だね」
「あれで桜太郎とかいう名前なの納得できないよな」
公園の周りは静かだった。空を見上げたら、もしかしたら雪でも降ってるんじゃないかってくらいに、静寂があたりを包んでいた。
「……今度俺の実家でも来るか?」
「でもお父さんは厳しいんじゃないの?」
「あの人のいないときにだよ、バカ」
左側で和が微笑む気配がする。
「そのうちいるときにも行けるようになりたいね、認めてもらいたい」
「……どうだろうな」
「できるよ、おれたちならさ。ほら」
和は小指を差して来たから、仕方なくそこに小指を絡めた。
お題:兄弟/約束
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