昼に見た夢

 朝、目が覚めて、どこからかいい香りがしてくるから、びっくりした。だって先週も先月もその前までだって、おれが起きる頃にはもう昼前で、当然、その時間帯には泊まらせてくれるお客さんはお仕事に行ってるはずだから。作り置きのご飯があったらラッキー、なくても鍵の場所とか次の予定とか知らせる置き手紙と、何枚かの諭吉さんがいれば正解って感じ。酷いときは何もないんだけど、それは契約違反だからもう遊んであげないことにしてた。

 そういう光景を見るのが当たり前だったおれは、そっか、恋愛なんて夢物語なんだなって、いつもそんなことを思ってた。愛なんてなくてもコイビトごっこはできちゃうし、恋なんて考えない方が暮らしはぐぐっと豊かになる。おれはそうやって生きてきた。だからこんな、ご飯の香りがしてくるのは不思議で仕方ない。

 ……あれ、なんで今日はいつもと違うんだっけ?

「お、起きたみたいだな」部屋のドアが開いたかと思えば、短い黒髪を揺らしながら、かわいらしい顔がのぞいた。「ちょうど朝ごはんできたとこ。おはよう、佐瀬させさん」

 メガネの向こう側で、輝いてる瞳が見えた。初めて会ったとき――というか、ネオン街ですれ違ったあの瞬間――は、真っ黒で何も映さないって感じだったのが、こんなにきらきらしちゃって。もしかしたら隠してるつもりなのかもしれないけど、この子、相当おれの顔好きなんだろうな?

「ん、おはよ姫川ひめかわくん」

 まだ彼に拾ってもらって一週間も経ってない。というか、本格的にここに住まわせてもらい始めたのは、たぶん一昨日とかだったと思う。だから健全な時間に寝るのも、こんな時間に起きるのも慣れてなくて、なんなら今日が初めてで。って言っても、時計はもう十時半を指してるんだけど。

 にこにこしてる彼についてリビングに出ると――。

「何この豪華ごうかな朝ごはん! すっごいね!」

 いつもみたいなラップがかかった少しさびしいご飯とは違って、そこには、バターの載ったほかほかのホットケーキがあった。なんだか、きらきら輝いて見える。

「いや、豪華って程でもないだろ。ただのホットケーキだぞ?」

「ううん、素敵すてきだよ。おれ全然こんなの食べて来なかったからさ、すっごい幸せ!」

「なら俺も嬉しい、かな」耳を赤くしながら首の裏を撫でるその仕草が、なんだか愛おしく見えたり。「んで、紅茶は飲めるか?」

「あー、コーヒーの方が好きかな。今度おれ買ってくるよ、姫川くん」

「……あのさ、その、姫川くんってのやめないか? だってこれからは一緒に住む訳だし、他人行儀じゃ居心地悪いし」

 おれの本心を言っちゃえば、「お客さん」たちとの生活に嫌気がさして、だから、どこか知らないセイジツそうでカンタンそうな人の家に転がりこもうって、そういう良くない考えからこの子に声をかけた。もし家賃寄越せなんて言ってきたら、やっぱり今までと同じようなやり方で許してもらうつもりだったし、おれにはそれだけの価値があるって、もう知ってた。

「んじゃ、なに川くん?」

「は? なんで川だけ固定なんだよ。いや別に、好きに呼んでくれて良いんだけどさ……」

 でもそれじゃなんか違う。この子とは、そんなんじゃない気がした。わかんないけど、ただのカンだけど、そんな風に思ってた。

「ひめちゃん」

「え?」

 だからおれは、いつものスタンスを崩したんだと思う。いつもだったらお客さんにニックネームつけるなんて、そんなバカなことはしない。愛着が湧いて好きになっちゃったら終わりだし、離れられなくなったら立場が逆転しちゃう。もしそうなったら、それはもうビジネスでもなければ、憧れた夢の恋愛でもない。

「ひめちゃんって、かわいくない?」

恋太郎こいたろうで呼ばないのかよ。俺はかわいくないだろうが」

「んー、ひめちゃんはかわいいよ?」

 きっとおれたちはこんなところじゃ止まらない。これ以上の関係になる。そんな気がする、なんて。

のどか」ひめちゃんは穏やかな顔でうなずいてから、食器棚からナイフとフォークを取り出して、食卓に置いた。「俺はこんな風にしてくれる和を支えられるように、がんばっていかないと、だな」

 ひめちゃんが微笑ほほえむのと同時、ふわっといい香りが鼻をくすぐった――。


 ふと、目を覚ました。目の前にはホットケーキが三枚、皿ごとラップに包まれてる。これは確か、この前ひめちゃんが作り置きしておいてくれたやつで、さっきレンジであっため直してバターをって……あれ、それからおれ、何してたっけ? 寝ちゃってたのかな?

 でも懐かしいなぁ、あの頃の夢見るなんて。ひめちゃんがおれのこと拾ってくれてすぐのことだった。どうにかして生活を保つことに必死になって、自分のことも周りのことも振り回しながら、なんとか生きてた夜の時代。ひめちゃんばっかりおれのこと見つめてて、おれはそれに応える気はあんまりなかったんだけど、今考えてみたら、会えたのはやっぱり運命だったのかなぁ。

 だって今じゃ、サイコーの恋人なんだし? とか、カンタンに言えるようなことじゃないのは自分でもわかってる。おれは……おれにはそんな資格があるのかわかんないけど、それでも、今はひめちゃんのこと大好きなんだよ。夢を見続けても良いなら、おれは、これからだってずっと一緒にいてほしい。でもこれは高確率で叶うかな、だってあの子、おれのとりこだもんね?

 今じゃもう、この家のどこに何があるのか、おれも全部わかってるつもりだ。ひめちゃんにやってもらうばっかりじゃなくて、おれだっていろいろできるようになった。こんな夢みたいな楽園を、ふたりで一緒に作ってる。ナイフとフォークを両手に持って、昼食をはじめた。

 スマホの画面をつけてみれば、そこには一時半の文字が出てくる。まだ午後になったばっかり。指を折って数える。ひめちゃんが帰ってくるまで、少なくともあと――。

「ひめちゃんまだかな、早く会いたいな……」


お題:昼寝/夢うつつ

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