あとがき


 中学か高校の先生になって、吹奏楽部の顧問をずっと続けるのもいいな、と、ひところ考えた時期がありました。

 結局教職の方向はきっぱり諦めて(理由は色々ありました)、教員免許すら取りませんでしたが、中学時代に濃密な吹部経験をしたあとは、ほとんど吹奏楽の世界と接点が持てなかったため、私の中ではいつの間にか「吹奏楽=学校の部活動=顧問になってたらやりたい放題=自分の音楽の実験場が持てたのにっ」みたいな身の程知らずな妄想が熟成されていったようで、たぶん、この作品はそのアウトプットの一つです。

 その意味では、本作は音楽小説と言うより、作者の願望実現の単なるシミュレーションであると言えるかも知れません。平行世界のどこかで現実になっていたかも知れない、湾多の夢想する理想的な吹奏楽部の姿が、作中の樫宮中吹部です。

 もっとも、どれだけ恵まれた条件の平行世界でも、のんびりペースの公立中学でこれだけのレベルの音楽を実現させるのは難しかったので、「なぜか本人の意志に反してミラクルを引き起こしてしまう主人公」を召喚しました。さらに小説的な設定として、その周りには音楽バカばっかりの部員たちも。なにがありえないと言って、部員全員が音楽バカという吹部など、公立の非強豪校ではまず考えられません。いささかチート気味のシミュレーションですが、一介の農民が善男善女ばかり仲間にして一大王国を築き上げるようなファンタジーがアリなら、こういう音楽小説があってもええやないですか、と、好き放題書かせてもらった次第です。

 書き終えてみると、小説としてはあちこちいびつなところが目についてしまい、ひいてはこれから小さな修正を繰り返し入れていくことになると思いますが、一方で自分の理想形を形にしてしまったもんだから、ひたすら嬉しくて繰り返し自作を愛で続けているという困った状態にもなっています 笑。

 樫宮中吹奏楽部のその後は、もう半年先ぐらいまでの構想も作ってはありますけれど、ミラクルが延々と続く話など面白いはずがないので、ここで一旦終えるのが華だと思いました。

 非リアルでいささかメルヘンなところも混じってる変な小説ですが、愛すべき音楽バカたちのハッピーなサウンドが、いくらかでもみなさまの耳に届いておりましたら、作者としてはこれにまさる幸せはありません。



 以下、作中でも「注釈…」でも書ききれなかった音楽ネタ関係について少々。

 ネット小説という性格上、発想当初はマルチメディアコンテンツとのリンクを考えたり、作中の説明に楽譜を入れたり、というような作り方も考えました。が、みなさまよくお分かりのように、カクヨムではその種の試みは実現できませんので、本作はごく普通の小説の形になりました。せめてハイパーリンクで注釈展開するぐらいできんのかと思ったんですが……。そういうことをやろうと思えば、自分でホームページ立ち上げて自己責任で宣伝するしかないのでしょう。他、可能性があるとすれば、pixivかなあと思うんですが、そういう真面目な実験小説みたいなノリって、あそこだとどうなんだろう……。まあ、面倒だから当面いいか、と思ってます。

 そういうわけですので、音楽が鳴らせない分、読み手の方々にはご自身で積極的に実際の音源に触れていただければと思います。こんなこと、一昔前の小説では、音源の特殊性もあってなかなか言えなかったのですが、今や吹奏楽曲は動画サイトでも人気コンテンツですから、実例に触れるのにほとんど苦労はないと思います。「ディエス・ナタリス」などは、正直、湾多が納得できる音源というのものが今のところ存在しないのですけれど、他は「はじめに」に掲載したリストを元にググっていただければ、どれもだいたいプロレベルの優秀な演奏が聴けます。

 本当のことを言うと、作中に出したかった曲は他にも何曲もあり、事実上名前だけしか出せなかった曲も、もっとちゃんとしたエピソードを用意していたりしたんですが、何しろ話が延び延びになっているのと、これ以上他の曲を物語に絡めるのは複雑になりすぎる、ということで、諦めました。いずれ、別の話で使えることがあれば、と思ってます。


 さて、本作のメインでもありますA・リードの「音楽祭のプレリュード」ですが、もちろんこれは湾多のお気に入りの曲でしたけれども、リード自体はそれほどリスペクトしている作曲家という感じでもなかったのです。「音プレ」だけが特別という感じでした。余計な言葉を削ぎ落としたキレッキレのショートショートみたいな密度の高さがあって、素材のどれもが輝いているという印象があって。

 とはいえ、音楽としてそれほど――というか、全然まともには分析も研究もしてなかったので、この連載を始めてから慌ててスコアをチェックし出したという体たらくでした。それも、「まあ多少の時間で一通りの構造は分かるだろう」と高をくくって。

 それが、そう単純な話でもないことだと分かり始めたのは、美緒のプレゼンが作中で本決まりになったあたりからでしょうか。当初は「音プレ」全体について、はっきりテーマの派生形とわかる部分を除けば、後はインスピレーションにまかせて上手につないだだけの曲、なんて見方もしていたのですけれど、そんな甘い構造じゃない、とも思い始めてきました。リードの他の曲、たとえば「パンチネロ」や「アルメニアンダンス」などでもそうですが、この人のメロディーは独自の語法があります。妙に演劇的で、でも自在に変化へんげしていて、まるで複雑な内容の語りを一旦概念言語に変換してから音楽に作り変えたような。

 もしかして、これはシナリオそのものみたいな構造の音楽なんでは? と思ってきたのは、美緒がまさにそのアイデアを作中で発表するその場面を書く、ほんの数日前のことだったりします。何の裏付けもない素人解釈ですので、強引な部分も多々出てしまいましたけれども、そこまで考えた後では、湾多自身のリードに対するスタンスは大きく変わりました。この人は、音楽史に名前が載るタイプの作曲家でこそありませんけれども、ただの形式とかうわべのきれいさだけでメロディーを作ってる人ではない、むしろ音楽で考え、音楽で語れる天才タイプの作曲家なんではないかと。

 結果的に、その解釈をもとして、最初考えていたよりはずっと緻密な形でラスト一話を書くことができたので、湾多自身は結構実りある、スリリングな体験ができました。まあしかし、話の論旨が変にぐらついてるところもできたりしてますんで、これは折を見て小さい範囲で改稿できれば、と思っています。


 湾多が過去に書き散らした作品の中には、これぐらいの長さのものを書いた例が何作かありますが、どれも空中分解寸前のような仕上がりで、およそ人様に見せられるものではありませんでした。つまりは、本作は湾多の初めての完成長編ということになります。

 満点には程遠い出来ながら、それなりに納得のいく形でエンドマークがつけられたのは、カクヨムで出会った読み手のみなさまあってのことです。最後までお付き合いいただいた方々、応援いただいた方々にも、今一度改めてこの場にて御礼申し上げます。

 音楽をテーマにした作品は、短編中編長編とこれからも書き続けていくつもりですので、またどこかで名前を目にした時に「おお、性懲りもなくまだやっとるのか」と冷やかし半分にでもタイトルをクリックしていただければ、と思います。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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美緒とチューバ 湾多珠巳 @wonder_tamami

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