平成15年-令和4年
第8話 二十年の解読
やがて船員たちがトイレをこじ開けた。
そして、血まみれの亮一が出てくる。瀕死か――あるいは既に死んでいることは明らかだ。ひとまず一一九番通報がされる。
港には救急車が到着していた。救急隊員が亮一を運ぶ。救急隊員の一人が、この人の知人はいないかと言った。なので、留衣もまた救急車に乗る。
病院に着いた。
集中治療室前の待合室で待たされる。異常な体験をし、景太も失踪したあとだっただけに、動揺は抑え切れない。なぜ、亮一は血まみれだったのだ。
やがて警察が現れ、一度目の事情聴取を受ける。動揺する中、先ほど起きたことを機械的に答えた。
やがて死亡が確定する。
死因は失血だった。発見されたとき、カッターナイフを右手に持っていたという。それで自分の頸を切ったのだ――なぜ、そんな物を持っていたのかは分からないが。
遺体は霊安室へ移される。
しばらくして、亮一の唯一の家族が――母親がやって来た。霊安室の中から泣き声が聞こえる。それを耳にして、本当に死んでしまったのだと思った。亮一との記憶が頭に浮かんでくる――特に史跡巡りのことが。目が熱くなり、視界が掠れた。
――けれども、なぜ?
なぜ――死んでしまったのだ。
遺体が警察署へと搬送される。
同時に、亮一の母親と共に留衣も警察署へ連れてゆかれた。
警察署の会議室で二度目の事情聴取が行なわれる。亮一の母親も同席していた。
事情聴取をした刑事は二人だ。このような場合は、時間を置いて何度か事情聴取が行なわれるという――他殺の線を考えて。
「確認ですが」と刑事の一人が問う。「山本さんは、亮一さんと浅間島まで旅行していたんですね?」
ぼうっとしながらも、はい、と留衣は答える。
「何か――亮一さんに変わったことはありませんでしたか?」
きっと、自殺の原因を探っているのだと思った。
なので、島が――と留衣は言う。
「—―島?」
「島が――あったんです。」
そして、浅間島で起きたことについて話した――小島を見つけたことや、上陸したこと、景太が先に帰ってしまったこと、二人でボートを漕いだことなどを。しかし、あまりにも異常すぎることについては語らなかった。
ふと、顔を上げる。
亮一の母親と目が合った。
彼女は、驚愕したように目を見開いている。
「どうして――浅間島なんかに行ったんですか?」
留衣は目を逸らし、事情を語った。
話している最中、ずっと気にかかっていた疑念が鎌首をもたげる。
すなわち、亮一は浅間島の出身ではないかという気がしていたのだ。奥津島の伝承を知っていたのはそれゆえだ。宿帳に筆名を書いたのは、自分の名前を知る者がいることを警戒したためではないか。
なので、一通り話したあと、留衣はこう尋ねた。
「お母さんは――浅間島について何か知ってるんですか?」
彼女は顔を逸らす。
「いえ――存じておりません。」
取り調べが終盤に差し掛かったとき、ふと気にかかって留衣は刑事に尋ねる。
「景太のことは――捜査してくれるんですか?」
刑事は難しそうな顔をする。
「まあ、そのような通報が本当にあったらですが。」
留衣の証言には支離滅裂なところがあり、その点において警察は留衣を疑っていたようだ。しかし、少なくとも亮一の自殺については、事件性はないと判断される――当然だろう。
家に帰り、留衣は虚脱する。
布団の中に倒れたまま、何もできなかったのだ。
それは、翌日になっても同じだった。
二人の友人を一度に失ったのだ――訳の分からない体験をしたことによって。あの島について――竜神宮の人骨や奥津島について――亮一は何か知っていたのではないか。しかし、浅間島で採った記録は何もない――ビデオカメラも紛失した。
そこまで考え、SDカードを交換したことを思い出す。
ビデオカメラはなくなったが――SDカードは?
鞄をひっくり返し、着替えを取り出し、二日目に履いていたズボンのポケットを探る。そうして、SDカードの入ったケースを見つけた。
ノートパソコンを立ち上げ、SDカードを差し込む。
データは無事だった。
浅間島の様々な景色が映っている――島民たちも、御嶽も、老人も、女学生の姿も。
同時に、違和感を覚える。
あの小さな島で――なぜ制服姿だったのだ。
インターネットにつなげ、浅間島について調べた――すると、浅間島には学校がないという。中学校も小学校も、もう何年も前に廃校となっていた。
では、彼女たちは何だ。
――学校帰りに見えるあの格好は。
その後の進展は取るに足らない。
亮一の葬儀に留衣は出なかった。景太の失踪については何の続報もない――警察から再度の事情聴取を受けることもなかった。
不可解な言語をしゃべる老人の映像については、言語学に詳しい教授や学生に何度か見せた。しかし、分からないと誰もが言う。少なくともチベット語ではない――日本語族のようだ。
留衣自身も言語学を学びつつ、老人の言語の解読に努めた。どうやら、琉球語に非常に近く、日琉祖語とも大きな関わりを持っているらしい。
日本語と琉球語の祖先は同一だ。それが、日本各地の様々な言語へと枝分かれし、変化したのである。その変化のパターンを探れば、老人の言語についても解読できそうな気がした。
映像に映っている女学生の制服も調べた――しかし、当てはまるものは沖縄県内になかった。
やがて留衣は大学を卒業し、本土で就職する。
言語の解読は継続していた。
そして今に至る。
二十年に亘る研究の結果、老人の言語は大部分を解読できた。日本全国に散らばっている方言や古語の中には、老人の言語と類似したものも多かったのだ――もちろん、どうしても分からなかった部分は想像で補うしかなかったが。
大意は次の通りである。
「こんなふうに話しかけられたのは随分と久しぶりだ。まあ、お前らには何を言っても分からんだろうがな。食べ物を少し恵んでくれる以外、この島の連中は完全に無視する—―本当は俺がどこから来たのか知ってるくせに。」
「お前らは島の外から来たんじゃないのかい? 海の向こうから。俺もなんだよ。けれど、この海の向こうに、俺が帰る処なんかないんだ。」
「ほら、海が見えるだろ? ここから、ずっと西のほうには島があるはずなんだ。この島より、ずっと小さい島さ。」
「もう何十年も前――俺は漁に出たんだよ。けれど、船が故障して西の小島に辿り着いた。島には誰もいなかった。その島で何日も過ごしたさ。仕方なく、柱を削って櫂にして、島に戻ったんだ。」
「けれど、言葉が通じなかった。振り返れば小島もなかった。帰れなくなっちまったんだよ、俺は—―帰れなくなっちまったんだよ。」
島にはもう戻らない。
(了)
狭間の島 千石杏香 @Ebisumatsuri
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