第3話『雨宿りの村からの脱出』
「あんたを逃すわけにはいかないんだ」
咄嗟に受け身を取ったのは正しかったのかどうか。
薬箱が壊れなかったことも幸運だったのかどうなのか。
息の詰まる衝撃をどこにも逃せず、刹那呼吸が止まるも、懐の縁を守り切ったことを深は偉いと自分を褒めた。
直後、ガチャリと鍵の閉まる音がする。
騙されたというのは一目瞭然だった。
《シ、シン? ダイジョーブか?》
もぞもぞと縁が這い出して安否を気にしてくる。
深は歪んだ笑みを何とか浮かべて、お前の方は大丈夫かと訊ねれば、オレサマは大丈夫と震える声。
本気で心配してくれる縁を愛しく思いながら、軋む体に鞭打って立ち上がる。
残念ながら手を伸ばしたところで切り立った壁の縁には手が届かなかった。
これは縄の一つでも下ろしてもらわないと無理だな。と結論付ける。
幸い、縄に関しては薬箱に入っている。
ただ、引っ掛ける場所がなければ意味がない。
「縁。ちょっと頼まれてくれるか?」
《ナンダ? オレサマができることか?》
「うん。少し上を見て来てもらえるか? どうなってるか知りたい」
《まかせロ》
素直に空を舞った縁が戻ってきた結果、牢のように木枠が降りていたと教えてくれた。
だったらと、今度は縄の端を咥えて、木枠の一つを潜って来てくれと頼む。
《うん》と素直に飛んで行き、再び深の元へ戻って来ると、深は予め縄の端で輪を作っていたものに、縁の加えていた端を通して引っ張った。
上手く行けば木枠の一つにしっかりと結びつけられるはず。力強く数回引き、大丈夫なことを確認すると、改めて薬箱を背負って、壁に足を掛けて登る。
程なく登るも問題は、木枠の外へ出られないということ。
小刀はあるが、さすがに木枠を斬れるかと言えば斬れるものではない。削ることは削れるが、自分が抜け出す分となると、ほどほどに時がいる。まして、商売道具の薬箱まで出そうとすると、どこかへ行った少年が戻ってくるかもしれない。
故に、深は縁の名を呼んだ。
「縁。もう一つだけ頑張ってもらえるか?」
《ナンダ?》
不安げに見上げる縁に対し、深は頼んだ。
「多分、ここの鍵はあの少年が持っている。だから、少年から奪って来てほしい」
《え?》
さすがにこれには拒絶反応を見せた。
恐怖に彩られた眼が言っていた。深から離れるのかと。
だが、可哀想だがこれは縁にしか出来ないことだった。
「これはお前にしか出来ないことなんだ。大丈夫。ちゃんと魔除けを付けてやるから」
言うと、深は大事な遮幕朧を頭から外した。
◆
縁は涙目になりながら屋敷の中を飛び回っていた。
傍から見れば、経文が刺繍された布で作った、巨大なてるてる坊主が飛んでいるようにしか見えないだろう。
器用に視界を開けて、羽ばたくことも出来るようにして作られた即席てるてる坊主。
この姿でいる以上、少年が縁を襲うことはないと深は言っていた。
だとしても、縁は怖かった。
なんだか良く解からない場所で、深が危険な目に遭うような場所で、自分が単独行動する羽目になるなど、本来であれば絶対に嫌なことだった。
だが、こうなったのは全て自分の我儘の所為だということは縁だって解っていた。
だとしても、深は最終的には自分のことを優先してくれる。
だからついつい甘えてしまう。その代償が深の危機だと言うのなら、縁は恐怖を抱きながらも頑張らなければならなかった。
いつも助けてもらっている深を助ける!
ただその一念だけを胸に、縁は飛んだ。
そして、少年を見つけた縁が、止まれと叫んだ瞬間、少年は振り返って、悲鳴を上げて逃げ出した。
縁は追い駆けた。ひたすら執拗に追い駆けた。
少年は逃げた。ただひたすらに逃げた。
その背中を見ていたら、縁は沸々と怒りを覚えた。
なんでこんな奴に深が閉じ込められて自分が怖い思いをさせられているのか。
怒りが恐怖を塗り替えて、縁は一層速度を上げて少年に襲い掛かった。
少年は転んだ。転んで立ちあがって再び逃げ出した。
縁はすぐさま後を追おうとした。
だが、少年が転んだ場所に、きらり光る鍵を見つけたら、一目散に鍵を咥えて方向転換をした。
◆
《シン! シン! ほめろ! オレサマ、もって来たぞ! シン!》
鍵を飲み込まないようにしながら、縁は叫ぶ。
何度も何度も道を間違えながらも、見覚えのある折を見た瞬間、褒めてもらおうと思って飛び込んで、眼下で鼻字を出して倒れ、頭を抱えて体を縮め、苦鳴を噛み締めている姿を見てしまえば、恐慌に陥った。
《シン! シン! ダイジョーブか?》
「え、縁……か、よく、戻ったな。けが……、ない、か?」
《な、ない。カギもちゃんと、もってキタ》
「あ、り……とう。怖かった、だろ?」
《う、うん》
涙ぐみながら、震える手を伸ばす深の懐に飛び込む。
苦痛に歪みながらも頭を撫でて褒めてくれる深。
深が苦しんでいる理由は縁にも解っていた。
遮幕朧を縁のために貸したせいだ。
遮幕朧は深が普通に暮らすために必要不可欠なものなのに。
何とか早く遮幕朧を返そうと思っても、鳥の身では脱ぐことも出来ず。途中で吐き戻しもしていたらしい深はしんどそうで、見るに見かねた縁は最終手段だとばかりに、遮幕朧をその身に纏ったまま、えいやとばかりに深の頭の上に乗った。
傍から見ればてるてる坊主に襲われている人間にしか見えなかったかもしれない。
くくくくくと、遮幕朧の下で深が堪え切れない笑みをこぼす。
《な、ナニガおかしい!!》
「いや。嬉しいんだよ。ありがとう」
縁の行動は正解だった。
手探りで遮幕朧を縁から外し、縁が膝に乗るや頭に巻き直す。
《もう、ダイジョーブか?》
「うん。お前のお陰で生き返った気分だ。怖かったろうに、ありがとうな」
受け取った鍵で牢を出る。
だが、
「逃がさない」
蒼褪めた少年が立ち塞がった。
《ふざけるナ!!》
と、怒りに鶏冠も逆立てて羽ばたいた縁が威嚇すれば、流石に少年もギョッとしたが、すぐに睨み返して両手を広げる。
「あんたを逃がしたら、ボクがまた吊るされるんだ!」
「だから君は、激しい雨の降る日は、身代わりを誘き寄せていたんだね」
「?!」
静かに後を続けられ、少年は動揺も露わに目を瞠った。
「な、んで?」
「夢で視たんだよ」
「夢?」
「そう。後は、ついさっきかな。君はサトリと呼ばれる怪異のことを知っているかい? 俺はね、その怪異に取り憑かれていてね。この頭の布がないと周囲の強い想いや考えていることがどんどん頭の中に入って来るんだ。それはもう不快なことではあるんだけどね。特に想いによって作られた怪異から流れて来る想いなんて最悪だ。もう少し縁が戻って来るのが遅かったら発狂していたかもしれない。だからね、君のことは全て知っている。君が理不尽に生贄にされたことも。この怪異を鎮めるために君が定期的に過去を繰り返させられていることも。それから逃げるために、雨の激しい日にやって来た人間を身代わりにしていることも。この檻に閉じ込めておけば、奴が来るんだろ?」
「だ、だったら、どうする? ボクを、殺してそこに入れるのか? その分だと、正しい出口のことも知っているんだろ?」
「ああ。知っている。君に連れ戻されたあの先だろ?」
「ボクはもう、死にたくない!!」
《だからって、シンをみがわりにナンカさせない!》
「うん。俺もここで死ぬわけにはいかない」
「じゃあ」
「だから、君も一緒にここを出よう」
「は?」《ハ?》
「確かに、君を殺してここに捨てて行っても出られるだろう。でも、君もここから出られたら、もうこの屋敷に引き込む役を担うものが居なくなるだろ? この屋敷は中から誰かが招き入れなければ開かないみたいだからね。君も一緒に出てしまえば、他に被害者もいなくなる。だから」
「無理だ」
「無理じゃないよ。方法はある。身代わりを用意すればいいだけだからね。ただ、君をここから連れ出すことが君にとって良いことか悪いことか解らない。だから、強制はしないし出来ない。それでも、もし俺たちと一緒に出たいと言うのなら、君も一緒にここに出よう」
《ば、バカなのか?!》
案の定、縁が怒るが、
「だって、縁。もしここで怪異を封じておかないと、雨が降るたびにここに来る羽目になるかもしれないぞ? 俺が危険だと知った以上、今度はお前だけが攫われるかもしれない。それでもいいのか?」
《イイわけないだロ!!》
「だったら、ここで予防しなきゃじゃないか? ん?」
と深が小首を傾げて訊ねれば、縁は不貞腐れた子供のように《フン》とそっぽを向いた。
不承不承だが納得したということで、残りは少年の意志だけだとばかりに深は少年を見た。
少年は様々な葛藤の表情を目まぐるしく浮かべ、最終的には大粒の涙を流して、
「一緒に、行きたい」
と、誰にもこれまで言えなかった心の叫びを口にした。
それを受け、満足そうに『うん』と頷いた深が、秘策を授け、皆で身代わりを穴に落とした後、ふと気が付くとフタリは雨の上がった森の中に立っていて。あの雨宿りをした屋敷は綺麗さっぱり消え失せていた。
『完』
『雨宿りの村』 橘紫綺 @tatibana
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