第10話 そして、10年後のフォーレスカヤ領
時は流れ、俺が“フォーレスカヤの相談役”に就任してから20年が経過した。といってもそれは俺の体感時間の方だ。
どちらかの世界であまりにも長く時間を過ごすと浦島太郎になってしまうので、周囲に違和感を感じさせないように日本での1日の終わりに時間をマーキングしてフォーレスカヤ領に渡ってそちらで1日を過ごし、フォーレスカヤ領での1日の終わりに時間をマーキングして日本に戻ってまたそちらで1日を過ごすというサイクルで動いていたので、厳密にはそれぞれの世界で10年ずつが経過したことになる。
初めてフォーレスカヤ領の地を踏んだ時が25歳だったから今の俺は45歳だ。
俺にとっては1日おきにそれぞれの世界で過ごしているわけだが、1日程度では外見が変わることはないからいつも会う日本の知り合いは特に違和感は感じていないようだったが、久しぶりに会った同級生とかからは老けたなーと言われるので、実年齢が40歳になったところで、老化遅延のスキルを修得した。このスキルを使うと老いの進行スピードが1/4になるのだが、割とピーキーで融通が利かないから使いどころが難しく、なかなか使用に踏み切れなかったのだ。
このスキルは一度使用してしまうと不可逆で、ようは残り寿命が4倍になるってことだから、今はまだ同級生たちより俺の方が老けているが、いずれ同級生たちが追い付き追い越し、40年後、彼らが寿命を迎える頃にようやく俺の肉体年齢は50代半ばぐらいになるということだ。
若作りで誤魔化すにも限界があるだろうから、もう20年もしたら知り合いが誰もいない場所に転居して余生を送るのもありかもしれんなぁ。そもそもこのスキルは長命種と短命種のヒト族が永い時を共に生きるためのものらしいからな。
この10年でフォーレスカヤ領は大きく変わった。当初は200人ぐらいだった人口も今は2000人ぐらいに増え、エルフだけでなく、人間、獣人、ドワーフ、ホビットの姿も見かけるようになった。多くは商売や観光目的だが、気に入って居着く者も多い。
やはり目玉商品である特産品があるのは大きいな。
そう、かつては嫌われ者だったイールは、俺が正しい料理の仕方を教えて、皆が美味しく料理できるようになった今ではむしろフォーレスカヤ領の人気の名物料理となり、イール改めウナギの名称で地元民はもちろん、外部から来た人たちからも親しまれている。
それに加え、ウナギならやっぱりパンより米やろ、と湿地が多いことを逆に利用して稲作を奨めてみた結果、フォーレスカヤ領は稲作に向いていたようで米の一大生産地となり、米は小麦やライ麦に次ぐ第三の穀物として人気になり、今では他の領地にも輸出して外貨獲得の主要な手段の一つとなっている。
米が生産できるようになったので、米を使った様々な加工品の生産も始めた。餅や煎餅、米麹を使う醤油や味噌や甘酒や日本酒や味醂などだ。
俺が教えた料理人たちが日々研鑽を続けているので、米を使った料理のバリエーションも順調に増えている。
米も調味料も最初は日本から完成品を買ってきて使っていたが、それでは俺とナスーチャに何かあったら供給がストップすることになるので、最初から現地生産を前提に計画を立てて動いていた。
各氏族ごとに稲作、
ほんの10年前までの、極貧で不味い食事を泣きながら食べていた頃の面影はもはやなく、今では誰もが笑顔で毎日の食事の時間を心待ちにするようになり、今日は何を食べようかと悩めるほどになっている。
生活を楽しむゆとりができたので一日の終わりにはウナギの蒲焼きと日本酒で晩酌を楽しむ者も多くなった。
中央通り沿いには様々な飲食店が軒を並べ、それ目当ての観光客が夜になっても途切れない食文化の中心地──それが今のフォーレスカヤだ。俺が最初に教えた料理人たちも今では弟子たちに教えるようになり、俺が教えた日本の料理に自分なりのアレンジを加えた新たなエルフ料理の文化も次々に花開きつつある。
夕暮れ時、飲食店のかきいれ時の喧騒を離れてフォーレスカヤの川辺でウナギ釣りの準備をしながら俺はこの10年の出来事をしみじみと思い返していた。今ではウナギの養殖もしているし、漁師が捕ってくる天然ウナギも望めばすぐに手に入るから、これはまあ、ただの趣味やな。
ずっと忙しかったが、最近になってようやくいくつかのプロジェクトが俺の手を離れて時間に余裕ができて、釣りなんかもできるようになった。
「なんかあっという間の20年やったなぁ」
こっちではドワーフの姿だからあまり実感はないが、日本で本来の姿で鏡を見ればけっこう白髪が目立ちつつある。そら同級生たちはまだ35歳だが、俺は実年齢45歳、肉体年齢41歳やもんな。そら白髪もぼちぼち出てくるわな。
ただ、そろそろ潮時かな、という思いもあるにはある。フォーレスカヤ領は俺の指導を必要としていた
ならば俺自身もナスーチャからの依頼は完了ということにして、フォーレスカヤの相談役の立場を返上して日本中心の生活に戻るべき時かもしれない。かつての勇者たちがそうであったように、そろそろ現場からは退いてたまにフラッと遊びに来る程度にした方がええんちゃうかな。
こちらでの仕事の報酬として得たポイントは老化遅延などのスキルで消費してなお、日本円にして軽く数億はある。よっぽどの贅沢でもしない限りもう働かなくてもやっていけるが、遊んで暮らすのは俺の性には合わんから、これを元手にして、日本で料理屋を始めてみるのもええかもしれんな。
商売で資金を増やすのが目的ではない、ただ美味しい料理をリーズナブルな値段で提供してお客さんに癒しと満足を与えられるような、それこそ、俺一人でやっていけるようなこじんまりした道楽の店を。
夜の帳が世界を包み、フォーレスカヤの街を囲む城壁の内側からは賑やかな笑い声が聞こえているが、満天の星を映す大河の河面は穏やかに静まりかえっている。
自分の晩酌用に釣ったウナギをその場で捌き、炭火で焼いているところに見知った気配を感じて振り返れば、予想通りのナスーチャの姿。彼女は纏う雰囲気こそ領主らしい貫禄は出てきたものの、外見は初めて会った頃のままの美少女のままだ。エルフは20歳前後まではヒトと同じように成長するが、そこから数百年は外見がほぼ変わらずに歳を重ねる。長命種の彼女にとってはまだ当分の間、老いに縁はないやろう。
「ユージロー、ワタシもご相伴にあずかってもいいですか?」
「ナスーチャか。ええよ。もう仕事は終わったんか?」
「ええ。最近はワタシがしなくちゃいけない仕事も大分減ってきましたからね」
「仕事を任せられる人が育ってるってのはええことやけどな。じゃあ、久しぶりに一緒に呑もか?」
「あは。いいですね。最近シュニットが気に入ってるエルフの地ビールもありますよ。キンキンに冷えてます」
嬉しそうに笑いながら自身のストレージから陶器瓶を取り出すナスーチャ。
「それはええな。こっちもちょうど焼き上がるところやで」
ほどよくこんがりと焼き目のついた白焼きに
「やっぱりウナギの蒲焼きの匂いは格別ですね」
「この匂いは全然厭きんよなぁ」
焼き上がった蒲焼きをまな板の上でサクサクと切り、木皿に乗せてナスーチャに渡す。ナスーチャが注いでくれたビールのタンブラーを受け取り、二人でそれぞれのタンブラーを軽く合わせて乾杯してからまずはグビグビッと一気に飲み干す。
「……ぷはぁ。旨いなー!」
「……ぷはっ! 仕事明けの一杯は格別ですね!」
ナスーチャがすかさずおかわりを注いでくれるが、先に蒲焼きを一切れ頬張る。炭火とタレとウナギの脂の味が絶妙に合わさり、ただシンプルに旨いと感じる。そして口の中の脂っぽさをビールの仄かな苦味が爽やかにリセットする爽快感が堪らない。
「ふふ。ユージローが焼いたウナギを食べるのは久しぶりですね! エルフの料理人たちも腕を上げてきましたが、ワタシはやっぱりユージローの焼くウナギが一番好きですねー!」
「はは。そう言ってもらえるのは嬉しいけどな。すぐに追いつかれて追い越されるさ。あいつらは努力家やし、俺と違って時間もたくさんあるしな」
俺の言葉の響きに何かを感じ取ったのか、ナスーチャがすっと真面目な顔になる。
「もし、将来そうなるとしても、ユージローがワタシたちのためにしてくれたことが塗り消されるわけじゃありませんよ。ユージローはフォーレスカヤの大恩人なのですから、ユージローの功績は500年後も1000年後も語り継がれていくに違いないです」
「ずいぶん気の長い話やなぁ。でも、俺が死んだ後もそんな風に思ってもらえるなら冥利に尽きるってもんやんなぁ」
「あなたはそれだけのことをしてくれたのですよ。この、楽しそうな笑い声が聞こえますか? これはあなたがワタシたちにもたらしてくれたものです。あなたはワタシたちに食事の喜びを思い出させてくれました。美味しい食事がこんなにも人を幸せにしてくれるんだと教えてくれました。あなたとあなたがもたらした料理は未来永劫ずっとエルフの宝物です」
「そっかぁ。はは。自分のしてきたことが評価されて感謝されるって嬉しいもんやなぁ……」
ナスーチャの言葉が嬉しすぎてなんか涙が出てきた。自分の生きた証が自分の死後もエルフたちにずっと残るなんて、人としてそれ以上に嬉しいことがあるだろうか。
そっか。俺は自分の仕事をきっちりやり遂げたんやな。そして、俺の心も決まった。
「……ナスーチャ、大事な話があるんや」
「はい」
ナスーチャが寂しげに微笑んだ。
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