第10話 話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず

 時は流れ、俺が“フォーレスカヤの相談役”に就任してから10年が経過した。といってもそれは俺の体感時間やけどな。


 どちらかの世界であまりにも長く時間を過ごすと浦島太郎になってしまうので、周囲に違和感を感じさせないように日本での1日の終わりに時間をマーキングしてフォーレスカヤ領に渡ってそちらで1日を過ごし、フォーレスカヤ領での1日の終わりに時間をマーキングして日本に戻ってまたそちらで1日を過ごすというサイクルで動いていたので、厳密にはそれぞれの世界で5年ずつが経過したことになる。

 俺にとっては1日おきにそれぞれの世界に行っている感覚だが、1日程度では外見が変わることはないから日本の知り合いも特に違和感は感じていないようやな。久しぶりに会った奴とかからは老けたなーと言われることもあるが。


 この5年でフォーレスカヤ領は大きく変わった。当初は200人ぐらいだった人口も今は2000人ぐらいに増え、エルフだけでなく、人間、獣人、ドワーフ、ホビットの姿も見かけるようになった。多くは商売や観光目的だが、気に入って居着く者も多い。


 やはり目玉商品である特産品があるのは大きいな。

 そう、かつては嫌われ者だったイールは、俺が正しい料理の仕方を教えて、皆が美味しく料理できるようになった今ではむしろフォーレスカヤ領の人気の名物料理となり、イール改めウナギの名称で地元民はもちろん、外部から来た人たちからも親しまれている。

 それに加え、ウナギならやっぱりパンより米やろ、と湿地が多いことを逆に利用して稲作を奨めてみた結果、フォーレスカヤ領は稲作に向いていたようで米の一大生産地となり、米は小麦やライ麦に次ぐ第三の穀物として人気になり、今では他の領地にも輸出して外貨獲得の主要な手段の一つとなっている。


 米が生産できるようになったので、米を使った様々な加工品の生産も始めた。餅や煎餅、米麹を使う醤油や味噌や甘酒や日本酒や味醂なんかやな。

 俺が教えた料理人たちが日々研鑽を続けているので、米を使った料理のバリエーションも順調に増えている。


 米も調味料も最初は日本から完成品を買ってきて使っていたが、それでは俺とナスーチャに何かあったら供給がストップすることになるので、最初から現地生産を前提に計画を立てて動いていた。


 各氏族ごとに稲作、こうじ作り、醤油や味噌作り、酒や味醂作りなど仕事を割り振ってやり方を教え、同時進行でプロジェクトを進めることにしたところ、美味しいものを食べたいというエルフたちの情熱はすさまじく、またエルフの長老たちが率先して協力してくれたのもあり、当初の予定よりずいぶん早く、日本産の材料に依存しない地元産の材料だけでの安定生産が可能になり、かなり早い段階でフォーレスカヤの一般家庭でも味噌や醤油が使われるようになり、今ではフォーレスカヤの特産品として売り出せるまでになった。



 ほんの数年前までの、極貧で不味い食事を泣きながら食べていた頃の面影はもはやなく、今では誰もが笑顔で毎日の食事の時間を心待ちにするようになり、今日は何を食べようかと悩めるほどになっている。

 生活を楽しむゆとりができたので一日の終わりにはウナギの蒲焼きと日本酒で晩酌を楽しむ者も多くなった。


 中央通り沿いには様々な飲食店が軒を並べ、それ目当ての観光客が夜になっても途切れない食文化の中心地──それが今のフォーレスカヤだ。俺が最初に教えた料理人たちも今では弟子たちに教えるようになり、俺が教えた日本の料理に自分なりのアレンジを加えた新たなエルフ料理の文化も次々に花開きつつある。




 夕暮れ時、飲食店のかきいれ時の喧騒を離れてフォーレスカヤの川辺でウナギ釣りの準備をしながら俺はこの10年の出来事をしみじみと思い返していた。今ではウナギの養殖もしているし、漁師が捕ってくる天然ウナギも望めばすぐに手に入るから、これはまあ、ただの趣味やな。

 ずっと忙しかったが、最近になってようやくいくつかのプロジェクトが俺の手を離れて時間に余裕ができて、釣りなんかもできるようになった。


「なんかあっという間の10年やったなぁ」


 こっちではドワーフの姿だからあまり実感はないが、日本で鏡を見ればけっこう白髪が目立ちつつある。同級生たちはまだ33歳だが、俺は身体の年齢は38歳やもんな。そら白髪もぼちぼち出てくるわな。まあ、すでにかなりの報酬ポイントが貯まっているから老化遅延のスキルを取ってもええんやけど。


 ただ、そろそろ潮時かな、という思いもあるにはある。フォーレスカヤ領は俺の指導を必要としていた揺籃期ようらんきを脱し、もう俺の助けがなくても独自に発展していける時期にきている。

 ならば俺自身もナスーチャからの依頼は完了ということにして、フォーレスカヤの相談役の立場を返上して日本中心の生活に戻るべき時かもしれない。かつての勇者たちがそうであったように、そろそろ現場からは退いてたまにフラッと遊びに来る程度にした方がええんちゃうかな。


 こちらでの仕事の報酬として得たポイントは日本円にして軽く数億はある。よっぽどの贅沢でもしない限りもう働かなくてもやっていけるが、遊んで暮らすのは俺の性には合わんから、これを元手にして、日本で料理屋を始めてみるのもええかもしれんな。

 商売で資金を増やすのが目的ではない、ただ美味しい料理をリーズナブルな値段で提供してお客さんに癒しと満足を与えられるような、それこそ、俺一人でやっていけるようなこじんまりした道楽の店を。





 夜の帳が世界を包み、フォーレスカヤの街を囲む城壁の内側からは賑やかな笑い声が聞こえているが、満天の星を映す大河の河面は穏やかに静まりかえっている。

 自分の晩酌用に釣ったウナギをその場で捌き、炭火で焼いているところに見知った気配を感じて振り返れば、予想通りのナスーチャの姿。彼女は纏う雰囲気こそ領主らしい貫禄は出てきたものの、外見は初めて会った頃のままの美少女。長命種の彼女にとってはまだ当分は老いに縁はないやろう。


「ユージロー、ワタシもご相伴にあずかってもいいですか?」


「ナスーチャか。ええよ。もう仕事は終わったんか?」


「ええ。最近はワタシがしなくちゃいけない仕事も大分減ってきましたからね」


「仕事を任せられる人が育ってるってのはええことやけどな。じゃあ、久しぶりに一緒に呑もか?」


「あは。いいですね。最近シュニットが気に入ってるエルフの地ビールもありますよ。キンキンに冷えてます」


 嬉しそうに笑いながら自身のストレージから陶器瓶を取り出すナスーチャ。


「それはええな。こっちもちょうど焼き上がるところやで」


 ほどよくこんがりと焼き目のついた白焼きに刷毛はけでタレを塗り、蒲焼きに仕上げていく。炭火に落ちたタレがジュウと音を立てて煙に変わり、何度嗅いでもきることのない魅惑的な芳ばしい香りが周囲に立ち込める。


「やっぱりウナギの蒲焼きの匂いは格別ですね」


「この匂いは全然厭きんよなぁ」


 焼き上がった蒲焼きをまな板の上でサクサクと切り、木皿に乗せてナスーチャに渡す。ナスーチャが注いでくれたビールのタンブラーを受け取り、二人でそれぞれのタンブラーを軽く合わせて乾杯してからまずはグビグビッと一気に飲み干す。


「……ぷはぁ。旨いなー!」

「……ぷはっ! 仕事明けの一杯は格別ですね!」


 ナスーチャがすかさずおかわりを注いでくれるが、先に蒲焼きを一切れ頬張る。炭火とタレとウナギの脂の味が絶妙に合わさり、ただシンプルに旨いと感じる。そして口の中の脂っぽさをビールの仄かな苦味が爽やかにリセットする爽快感が堪らない。


「ふふ。ユージローが焼いたウナギを食べるのは久しぶりですね! エルフの料理人たちも腕を上げてきましたが、ワタシはやっぱりユージローの焼くウナギが一番好きですねー!」


「はは。そう言ってもらえるのは嬉しいけどな。すぐに追いつかれて追い越されるさ。あいつらは努力家やし、俺と違って時間もたくさんあるしな」


 俺の言葉の響きに何かを感じ取ったのか、ナスーチャがすっと真面目な顔になる。


「もし、将来そうなるとしても、ユージローがワタシたちのためにしてくれたことが塗り消されるわけじゃありませんよ。ユージローはフォーレスカヤの大恩人なのですから、ユージローの功績は500年後も1000年後も語り継がれていくに違いないです」


「ずいぶん気の長い話やなぁ。でも、俺が死んだ後もそんな風に思ってもらえるなら冥利に尽きるってもんやんなぁ」


「あなたはそれだけのことをしてくれたのですよ。この、楽しそうな笑い声が聞こえますか? これはあなたがワタシたちにもたらしてくれたものです。あなたはワタシたちに食事の喜びを思い出させてくれました。美味しい食事がこんなにも人を幸せにしてくれるんだと教えてくれました。あなたとあなたがもたらした料理は未来永劫ずっとエルフの宝物です」


「そっかぁ。はは。自分のしてきたことが評価されて感謝されるって嬉しいもんやなぁ……」


 ナスーチャの言葉が嬉しすぎてなんか涙が出てきた。自分の生きた証が自分の死後もエルフたちにずっと残るなんて、人としてそれ以上に嬉しいことがあるだろうか。

 そっか。俺は自分の仕事をきっちりやり遂げたんやな。そして、俺の心も決まった。




「……ナスーチャ、大事な話があるんや」


「はい」


 ナスーチャが寂しげに微笑んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る