第6話 鰻を煮るのは基本的に駄目だが、一度しっかり焼いた鰻は例外だ

「あ~食った食った。旨かったなぁ」


「本当に、どれもとても美味しかったデス」


 うな丼、白焼き、肝吸いをすっかり平らげ、350mlのビールの空き缶もすでに4本並んでいる。彼女は酒はまあまあいけるクチらしく、ビールを2本飲んでもほんのり頬を染めたほろ酔い程度で受け答えもしっかりしている。

 ちなみに、鰻の蒲焼きと白飯と具なしの吸い物の出汁はまだ少しだけ残っている……というかあえて残してあった。


「なぁ、もう腹一杯か? まだ少し空きがあるんやったらめのメニューも出したるけど?」


「締めのメニュー!? それを聞いては食べない訳にはいきませんネ。大丈夫。日本には素晴らしい格言がありマス」


「ほう、どんな?」


「ダイエットは明日カラ!」


 それはあかんやつや。

 だがまあ食べる余裕はあるようなので、締めのメニューを準備してやる。

 具なしの吸い物の出汁だしをシングルバーナーで沸騰寸前まで再加熱する。空になった吸い物の器に冷めたご飯を少しずつよそい、細かく刻んだ蒲焼きを乗せ、チューブのワサビを絞り出す。熱い出汁をその上から掛け、鰻が完全に浸るようにする。最後に刻みネギと刻み海苔を散らして“うな茶漬け”の完成だ。


「鰻料理の締めゆうたらこれで決まりやろ」


「わあ、これはお茶漬けデスね。優しいおダシの匂いがたまりませんネ」


「鰻を煮たらあかんのは鉄則なんやけどな、先にしっかり焼いた鰻は例外や。信じられんほど旨い出汁が出るからまずは飲んでみ?」


「ではさっそく……ずずっ。……はうぅ」


 一口啜り、至福の表情でしばし固まる彼女。


「これはなんて……なんて言ったらイイカ。優しくて上品で深みがあってまろやかで……ささやかながらしっかりと個性を主張するネギとノリが調和よく組合わさり、鼻にツンと突き抜けるようなワサビが爽やかに全体をまとめあげ、もう食べれないかもと思っていたのにすいすいと食べれて、ビールでチョットもたれた胃まで癒されるようデス」


「そやな。ひとしきり飲み食いした後の締めのうな茶漬けの多幸感は経験してみんと分からんよな」


「焼きたてのウナギと冷えたビール! 飲んだ後のうな茶漬け! これは法律デスッ!」


「やんなっ! その通りや!」


 力説する彼女に思わず拍手を送る。いやもうホントにこれは経験した人間なら誰もが同意すると思う。


 そして、うな茶漬けも食べ終わり、今度こそ満腹になって俺はそのまま後ろ向きにひっくり返る。このまま寝てしまったら最高なんやけどな~。


「嗚呼、最高の贅沢してもうたなぁ! 大満足やぁ~」


「本当に、至福の時間デシた。ご馳走さまデス。……あの、本当に1万円だけでいいんデスか? 本当はもっとするんデスよね?」


「あー……そういやそういう賭けもしとったなぁ。……お金はええよ。俺もあんたと飯食えて楽しかったし、俺の作った料理を感動して食べてもらえたんが一番の報酬や。……それより、誰か探しとるんとちごたか? 連れがおるんやったら今ごろあんたのこと心配して探しとるんちゃう?」


「ああ、その話でしたらもう解決しマシタ。ワタシが探していたのはあなたデス。田中たなか裕次郎ゆうじろうサン」


 いきなりフルネームを言い当てられて思わずぎょっとして起き上がれば、テーブルの向こうで彼女が柔らかく微笑んでいる。


「……俺はあんたとは初対面やし、外国人の知り合いもおらんし、ここの釣り場やって誰にも教えてへん俺の穴場やに? なんで……」


 そういえば彼女はなんで夜にこんな辺鄙な場所に一人でいたのか、そもそもどこから来たのか。


「申し遅れマシタが、ワタシはアナスターシャ・フォーレスカヤといいマス。愛称はナスーチャなので、どうぞそう呼んでください。ユージローと呼んでいいデスか?」


「ああ、それはええけど。ナスーチャさんやな」


 北欧系かと思っとったけど、名前の感じからして東欧スラブ系なんかな。


「何故ワタシがここにいて、ユージローを探していたのか、まずはワタシの話を聞いてもらってもいいデスか?」


「ああ。頼むわ」


「ワタシの故郷は豊かな森と大きな河の流れる美しい場所で、ワタシたちは自然と共存しながら平和に暮らしてマシタ。でも、戦争が始まって森は焼かれ、木は切り倒され、ワタシたちは故郷を追われてしまったデス」


 東欧とかあのへんは旧ソ連の崩壊以来ちょくちょく戦争や紛争が起きとるもんな。ナスーチャもそんな戦争の被害者ってわけか。


「日本をはじめとした色々な国の人たちの助けでなんとか戦争は終結し、ワタシたちも故郷に戻ったのデスが、森が無くなったことで河に土砂が流れ込むようになって美しかった河はすっかり濁り、元々いた魚たちは居なくなり、泥水でも生きられるイールのような魚しか今はイマセン。そしてワタシたちにとってイールは不味い魚なので、みんな泣きながら、それでもそれしか食べるものがないので仕方なく食べてマス」


 かつてイギリスのテムズ川は生活排水の垂れ流しによって汚染され、ほとんどの魚がいなくなったが、それでも鰻だけはしぶとく生き残っていたという逸話があるが、鰻は水中の酸素が少なくても生きられるタフな魚だからナスーチャの故郷の河もそういう状況なんやろな。


「ワタシたちは故郷を元に戻すために今も植林に励んでイマスが、森が再生するまではまだまだ長い年月がかかりマス。元々ワタシたちは森の恵みと河の魚を糧として、木で作った工芸品を売ることで生計を立てていたのデスが、今では生活基盤をすべて失ってしまったので先が見えない状態デス。それで、ワタシは故郷で何か産業を起こせないかヒントを得るために技能研修生として日本にキテ、色々なお仕事をしてみました。でも、研修生が出来る仕事デハ、故郷に役立てられそうなものがなかったんデス」


「……ああ、外国人の技能研修生の受け入れをやっとんのは基本的にそこそこ大きい企業だけやし、そういう所は誰でも出来る簡単な仕事しかやらさんもんな」


 技能研修生といっても実態は仕送り目的の出稼ぎ外国人労働者やし、受け入れ側もそういうつもりで受け入れているから、普通はマネジメントなどの仕事全体の流れが見えるような大事な仕事は任せない。

 工場の生産ラインとか、ファーストフードの厨房とか、大手スーパーのレジチェックとか、仕事全体のごく一部にしか関わらせてもらえないなら、そこで働いた経験を母国に持ち帰って活かすのは難しいと思う。


「ハイ。それで途方にくれてあるお方・・・・に相談してみたところ、この日この時間この場所に来れば、今のワタシたちにとって最も必要としてる人に会えるから、その人を説得してスカウトしなさいと。その人の名前が田中裕次郎ダト」


 あー、そういうことか。鰻しかまともに捕れない河のそばで暮らす人たちに鰻の調理法を伝授してやれ、と。

 確かにそれに関しては、俺を選んだのは悪くない人選やとは思う。大抵の鰻職人は、養鰻業者から仕入れた養殖鰻を設備の整った店の厨房で調理するだけだから設備が整っていない場所だと苦労するだろうが、俺の場合、普段から自分で天然鰻を釣りに行って不便なその場で調理しとるからな。

 だが、それより気になるのは……。


「色々聞きたいことはあるけど、とりあえず一つ教えてや。あるお方・・・・って誰なん?」


「ハイ。この世界の神様デス」


 こともなげに答えるナスーチャに頭を抱える。


 Oh! my GOD!! なにしてくれとんの! 神様直々の推薦とか、それ実質的に強制やん! てかこの世界に神様が実在してるってことすら今初めて知ったんやけど!


──すまんな。だが、汝にとっても決して悪い話ではないゆえ、その娘の話を聞いて前向きに検討してはくれまいか? 汝の願いとこの娘の願いが合致したゆえ、我は汝らを引き合わせたのだ。


 突然、脳内に直接響くような声があり、俺の言葉にならない叫びに律儀に答えてくれる。この声は俺にしか聞こえていないようで、ナスーチャは特に反応していない。つまりこの声の主は──。


「うわぁ……マジかぁ……」


 諦念の呟きが思わず洩れる。神様ご本人の登場により、否応なしにこの荒唐無稽にも思える話が現実であると俺自身が納得してしまった。


 とはいえ、ナスーチャと俺を引き合わせた神様直々に、これが俺にとって悪い話ではないとの言質はもらえたから、とりあえず詳しい話を聞いてみるしかないか。


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