第5話 蒲焼きはなるべく細く切り、青葱と刻み海苔を散らし、奈良漬けを添えるのが1ランク上の食べ方だ
車内に戻り、いよいよ仕上げに取り掛かる。
薬味として、青ネギ、三つ葉を細かく刻み、生姜をすりおろす。そして焼き
そして付け合わせとして奈良漬けをスライスする。
奈良漬けは人によって好き嫌いが分かれるが、俺個人としては鰻には最高の付け合わせやと思う。
吸い物の鍋の縁でプツプツと気泡が弾け始めたタイミングで火を止める。沸騰は絶対厳禁。鍋に
「爽やかな香りの香草デスね」
「繊細な味わいの肝吸いの薬味には三つ葉こそが最適やからな」
白焼きと蒲焼きをだいたい1㌢幅でサクサクと切っていく。
うな丼やうな重の鰻を大きい切身のままで客に提供する店はよくあるが、あれは見た目こそ豪勢やが、正直俺は好きじゃない。
鰻の身には小骨があるので、大きい切身だとけっこう小骨が気になるし、箸で上手に切れればいいが、鰻の皮は弾力があるので大抵の場合、箸では切れずに歯で噛みちぎることになる。
今や高級料理である鰻でその粗野な食べ方は正直どうやと思う。そんなら最初から食べやすいサイズに店側が切ってやった方がよっぽど親切ってもんやろ。
1㌢幅ぐらいで切れば1切れがちょうど一口分になるから噛みちぎらずに上品に食べれるし、骨切りも出来ているので小骨もほとんど気にならなくなる。ちなみにこれは名古屋を中心とした中部地方でよく見られる鰻の提供スタイルだが、鰻を食べるお客さんのことを第一に考えてる親切なおもてなしの形やと思う。
細く切った白焼きを皿に並べて上にネギを散らして卸し生姜を横に沿え、白焼き全体にタラッと醤油をかければ料理としての“白焼き”が完成する。
次いでタオルを巻いて蒸していたメスティンからタオルをほどいて蓋を開け、ふっくらと炊き上がった白飯をしゃもじでサックリと混ぜ、どんぶりによそって、しゃもじで軽くならして平らにする。
そこに鰻ダレを少しまぶしてから、蒲焼きを下の飯が見えないほどぎっしりと隙間なく敷き詰める。この時点で通常のうな丼換算で二人前は鰻が乗っている。
その上に小口切りにした青ネギと刻み海苔を散らし、奈良漬けを添えて特製“うな丼”の完成。
「おし、待たせたな。これで全部完成や。……あ、そういえばあんた箸は使えるん?」
ふと気になって尋ねると、彼女は口の端から垂れそうになっていた涎を慌てて拭いながらこくこくとうなずいた。
「ほわぁぁ……じゅるっ。あ、ハイ。大丈夫デス。お箸はちゃんと使えるデスよ!」
「ならよかった。ほれ、割り箸や。ちょっとテーブルを準備するから待ってぇな」
折り畳んで収納してあったアルミのローテーブルを広げて俺と彼女の間に置き、その上に完成した鰻料理を並べていく。
うな丼と肝吸いは各々の前に1つずつ並べ、白焼きだけは1枚の皿でテーブルの真ん中に置く。
そして、クーラーボックスから氷水でキンキンに冷えたビールを取り出す。青と金の缶でお馴染みのプレミアムなヤツ。
「あ、俺はこのままここに泊まるからビール飲むけどあんたどうするん? 飲んでええんやったら出したるけど。いちお、お茶とかもあるで?」
「……ビールは、コレにそんなに合うんデスか?」
「ふっ。鰻とビール、これは法律やっ!」
「是非ともいただきマスッ!」
「はいよ」
即答する彼女に1本渡し、俺も自分用に1本出してさっそくプシュッと開ける。
「さあ、海苔が湿気吸う前のパリパリなうちに食おうや。今が最高に旨いんやで!」
「ハイッ! いただきマスッ!」
見るからに北欧系の外見からは想像もできないほど自然な仕草で両手を合わせて一礼し、割り箸を割り、手慣れた様子で握る。けっこう日本に来て長いんかな? 日本語も流暢やし。
そんなことを考えているうちに彼女はうな丼に箸先を差し入れ、蒲焼き1切れとタレの絡んだ飯とネギと海苔を一まとめで掬い上げ、左手を下に添えながら口に運び、パクッと頬張った。次の瞬間、彼女の碧眼が大きく見開かれる。
「んん───っ!?」
信じられない、という驚愕の表情。そしてモグ、モグと咀嚼するごとに蕩けるような恍惚とした笑みを浮かべ、ゴクンと飲み込んだあと、しばしの間、余韻に浸るように目を閉じる。
ポロリ、と彼女の目尻から涙が一筋零れ落ちる。
「……はぅ。コレは……感動デス。期待以上デシた。きっと美味しい、というのは分かってマシたが……」
そして彼女はゆっくりと首を横に振る。
「……ああ、駄目デスね。この感動を表せる言葉がないデス。とにかく、こんなに美味しいものを食べたのは初めてデス。確かにコレはワタシの知っている不味いイール料理なんかとは別物デシた。むしろこれをイールと呼ぶなんて失礼デス。これからはワタシも日本のコレはウナギと呼びマス」
「はは。嬉しいこと言うてくれるやん。それが料理人にとっちゃ一番のご褒美やで」
鰻に偏見を持っている外人美女が、俺が作ったうな丼を食べて感動のあまり涙を流し、鰻の旨さを熱く語ってくれるなんて、料理人冥利に尽きるってもんや。
彼女の反応に満足を覚えつつ、俺もさっそくうな丼から手を付ける。
「はふっ。……ああ、やっぱ旨いわ。最高やなぁ!」
ほどよく脂が乗った鰻は炭火焼きならではの外側はサクッ、内側はフワッと仕上がり、濃厚なタレの味が青ネギの爽やかさと海苔の香ばしさと相まって絶妙な味と香りのバランスを完成させる。
そして炊きたての飯が蒲焼きの魅力を最大限に引き出して引き立て、もっともっとと箸を急き立てる。
勢いのままに一気にかっこみたくなる衝動を抑え、奈良漬けを一口パリッと噛じる。酒粕の味の濃厚な漬け物がうな丼の味一色に染められていた口の中をリセットし、メリハリを演出する。
そしてビールをぐびぐびと飲めば、心地よい苦味と炭酸が喉を刺激して口の中の脂っぽさを見事に洗い流し、最上の爽快感をもたらす。
「……ぷはぁ! やっぱり夏は鰻とビールやなっ!」
「……ぷはー♪ コレは合いますネー。この濃くて脂の乗ったウナギと爽やかな日本のビールの組み合わせは本当に堪らないデスよ!」
口の端に泡を付けたままビール缶を一度置き、再びうな丼に箸を伸ばそうとする彼女を止める。
「ちょい待ち。せっかくビールで口の中をリセットしたんやで、次は白焼きの方も食べてみ?」
「あ、そうデスね。それでは…………はむ。んん? んん──っ!」
生姜醤油の絡んだ白焼きを1切れ口に入れた彼女が再び驚愕と蕩けるような満面の笑みを浮かべる。
「な、なんデスかコレ! 本当に同じウナギなんデスか? 鼻にスーッとくるような爽やかさとさっぱりとした味わい! ウナギそのものの繊細な風味と脂が舌の上で蕩けて、ゼンゼン違うものデスよ!」
「せやろ。蒲焼きと白焼きはぜんぜん違うんやで。もちろんご飯のおかずにするんやったら味の濃い蒲焼きの方が向いとるけど、鰻そのものの味わいを楽しめる白焼きを生姜醤油で食うのも通好みの食い方なんやに」
「なるほどデス。確かにこれもカバヤキとはまた違うウナギの魅力を引き出していて甲乙つけがたいデスね」
「……難しい日本語を使いこなしてんなぁ。次は吸い物も飲んでみ? 肝は見た目こそアレやけど味はあっさりしてて旨いに」
言われるままに素直に吸い物を啜り、目を細める彼女。
「……はふぅ。ホッとする優しいスープデスねぇ。カバヤキとシラヤキのあまりの美味しさに昂っていた心が落ちつきマス。……この肝も獣のレバーのような強いクセはなくてとてもまろやかなんデスねぇ」
「やんな。鰻の身は脂が乗ってて存在感があるよって、あえて肝吸いの方は薄味に仕上げることでメリハリというかセットメニューとして全体的な緩急のバランスを取るわけやな。さて、これで一通り味は確かめてもろたで、あとは自分のペースでゆっくり食べや」
「はいっ! 堪能させていただきマスッ!」
彼女は嬉しそうに再びうな丼に箸を伸ばし、俺も自分のペースで鰻とビールを楽しむのだった。
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