第4話 余分な脂を落とす為に関東では鰻を蒸し、関西では白焼きにする
料理、特にプロの料理は段取りが大事だ。できればすべての料理を出来立ての最も美味しいタイミングで提供するのが理想となる。普段の仕事中から常にそのように段取りを考えながら動いているので、プライベートでもそうする癖がついてしまっている。
ようは全部の料理が同時に完成するように、同時進行で作っていくってことやな。
鰻を
炭を足した後、バーベキューコンロの上に焼き網を乗せ、その上にさっき捌いた時に出た鰻の骨を置いておく。このまましばらく待てば勝手にこんがりと焼き上がる。
続いて車内に入り、メスティンで炊いているご飯と鍋で沸かしている湯の様子を見る。
メスティンの方は今まさにグツグツと沸騰しているようで、蓋の隙間からしゅんしゅんと盛んに蒸気を噴き出している。このままもう少し水気が少なくなり、噴き出す蒸気が落ち着くまでは炊き続ける必要がある。
お湯の方も丁度沸き上がってきたところなので、不織布の茶葉用使い捨てパックに削り節を詰めたもの──だしパックを入れて
「……はふ。いい匂いデスね」
「せやろ? この鰹節と鰻の焼き骨の合わせ出汁がまた旨いんや」
一煮立ちさせて鍋を火から下ろし、出汁パックと焼き骨を取り出し、残った出汁に塩と醤油で薄めに味をつけ、下処理済みの肝を投入する。出汁はまだ熱いのでこのまま置いておけば肝に自然と火が通って食べる頃には丁度いい
吸い物を作っている間にメスティンで炊いていたご飯も噴き出していた蒸気が落ち着いてきて、ぱちぱちと鍋底でご飯のはぜる音がし始め、香ばしい匂いが漂ってくる。こっちもええタイミングや。
メスティンを火から下ろし、タオルでぐるぐると巻いて上下逆にひっくり返して置いておく。こうしてしばらく蒸らすことでご飯がふっくらと炊き上がる。
「よっしゃ。こっちはこれでええからぼちぼち鰻を焼いてこか」
生鰻、火ばさみ、カッターナイフ、焼き串、特製鰻ダレ、ハケを準備してバーベキューコンロの所に行けば、すべての炭に赤々と火が回り、焼き始めるのに最高のタイミングになっていた。
3匹を同時には焼けないので、小さい方の2匹を一緒に焼き、一番大きいやつは後から焼くことにする。
鰻は必ず皮から焼き始めなければならない。俺は頭を右側にして皮を下にして2匹の鰻を焼き網の上に並べた。バーベキューコンロの横幅が40㌢なので2匹とも頭と尻尾が外にはみ出している。
「はみ出してマスよ?」
「ええねん。まあ見とってみ?」
炭火で皮が炙られ始めると、皮が一気に収縮し、コンロの外にはみ出していた頭と尻尾があっという間にコンロの内側に引き込まれ、頭から尻尾まで全体が炭火の上に納まる。
そしてこの時、鰻は縮むだけでなく形そのものが変容する。焼く前の生鰻は細長くて身にも厚みがなく、例えるならば剣のような形をしている。しかし、熱で収縮した鰻は身がぶ厚くなり、幅も広くなり、特に胴体中央部の幅が広くなって、笹の葉のような形に──一般人にとって見慣れた鰻の蒲焼きの形に変わる。
「ええ? 縮んで……形が変わっタ!? ああ! この形なら知ってマス! スーパーで売ってるの見たことありマス! あれがイールだったんデスね」
「あー、そういうことやったか。鰻は生と焼いたやつでは形が全然違うから知らなきゃ同じもんと分からんのやな。ちなみに、こんな風に焼いて形が変わるんは活きているうちに捌いた鰻だけやで。死んで捌いた鰻は焼いても縮まんから焼き始めの細長い形のまま焼き上がるんやで」
「驚きマシた。スーパーでたくさん売られてるアレが本当にイールだったナンテ。値段が高いから買ったコトはないデスが、日本人が本当にイールが好きなのは理解できマシた」
「そうか。初めて食べる日本の鰻がコレなんてあんたはラッキーやで」
「フフ。ちょっと楽しみになってきマシた」
「…………」
ふんわりと笑う彼女があまりにも美しくて思わず見蕩れそうになるが慌てて鰻に意識を集中する。
生鰻の身はやや透明がかっているが、火が通ってくると白くなる。皮の方から焼き始めているが、その熱が身に通ってきて白っぽくなってきたら最初のひっくり返すタイミングだ。
火ばさみで鰻の頭のあたりを挟んでひっくり返す。すると、縮んだ皮がくるくるっと巻こうとするので、カッターナイフを使って皮にすーっと切り目を入れる。こうすれば身は巻かない。ちなみにコレは俺が試行錯誤して辿り着いた裏技やったりする。コレをすることで鰻の皮が巻かず、切り目から余分な脂が落ち、皮全体がしっかり焼けるので味も見た目も良くなる。
そのまま少し身側を焼いてからもう一度ひっくり返して皮を下にする。
「鰻は皮に臭みがあるから、とにかくしっかりと皮を焼くのが旨さの秘訣やな。皮は焦げ目がついて焼きすぎるぐらいで丁度ええからな」
やがて、皮がしっかり焼けてくると、皮下脂肪が炭火に落ちてじゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いが漂ってくる。
「イールが焼ける匂いがこんなに美味しそうな匂いとは知らなかったデス」
「今やってる白焼きのそもそもの目的が鰻の身から余分な脂を落とすことやからな。鰻は本来脂が多すぎてそのままやとくどいでな。適度に脂が抜けることで旨くなるんやに」
「そ、そうなんデスよ! イールは脂が多すぎて食べにくいデス。でも、脂を抜く方法があるなんて知らなかったデス」
しっかりと皮を焼き、ほどよく脂が落ちたところで鰻を火から下ろし、仕上げ作業用の綺麗なまな板の上に並べて置く。
そして、もう1匹の生鰻をバーベキューコンロの焼き網の上に置き、今焼いた2匹と同様に白焼きにしていく。さすがに大きいだけあって落ちる脂の量もかなり多かったが、丁寧にじっくり焼いて肉厚でふっくらした見事な白焼きに焼き上げた。
さて、これで3匹分の白焼きが出来たが、これを全部二人で食べるのは多すぎるし、さすがに贅沢が過ぎる。なので小さい方の2匹は持ち帰り用に取っておくつもりだ。彼女には一番大きい鰻を振る舞うつもりだが、これでも1匹でうな重換算で三人前以上にはなる。うな丼換算なら余裕で五人前以上になるな。
持ち帰り用の白焼き2匹の蒲焼きへの加工は晩飯後に回すことにして、今から食べる分の鰻の仕上げにかかることにした。もうご飯も炊き上がり、吸い物も出来上がってるし、そろそろ時間も21時近くなってきているからさすがに腹も減っている。
白焼きから頭を切り落とし、さらに真ん中から真っ二つに切り分ける。そしてそれらを縦に並べて金串を扇状に刺していく。
白焼きまでは鰻の身がしっかりしているから火ばさみで作業できるが、最後の蒲焼きに仕上げる作業は、すでに鰻の身にしっかりと火が通っていて柔らかくなっているので、火ばさみだと掴んだ瞬間に千切れるリスクが高くなる。
串の場合、本数を増やせばその分重さが分散するので柔らかい鰻でも千切れにくくなり、ベストの状態までしっかりと焼き上げることができる。
さて、鰻の旨い食べ方は実は蒲焼きだけではない。タレを塗る前の白焼きも、鰻通は生姜醤油やワサビ醤油で好んで食べる。ただし、濃いタレの味によるごまかしが効かないから、本当にいい鰻であることが旨い白焼きの絶対条件となるけどな。
この鰻は言わずもがな最高級なので半分はタレを塗らずに白焼きのままで提供してやろう。
白焼きの段階で皮はすでにしっかりと焼いてあるので、今度は身の方をじっくりと焼いて、白い身がこんがりときつね色になったところでひっくり返して皮を下にして、蒲焼きにする方にハケでタレを塗る。
──じゅぅ……じゅわぁぁ……
身から垂れたタレが燃える炭火に落ちて香ばしい煙が辺りに充満する。
ゴクリと彼女が唾を呑む。すでに目は鰻に釘付けだ。半開きの口からは涎が垂れそうになっていて色々残念なことになっているが、まあその気持ちは分かる。確かにこの匂いはヤバいもんな。慣れてる俺でさえ理性が飛びそうになっとんのに耐性がない人間が“待て”ができとるだけでも誉めるに値するかもしれん。
鰻の脂とタレの焼ける匂いの魅力に抗える人間などそういない。落語でも鰻の匂いだけで飯を食う話があるぐらい、食欲をそそる匂いなんよな。
タレを塗ったらすぐにひっくり返して炭火で炙り、反対面にもタレを塗ってすぐにひっくり返し……を三度繰り返し、鰻の身にタレがしっかりと焼け付き、ついに蒲焼きが完成する。タレを塗らなかった白焼きの方も皮はパリッと身はこんがりと最高の焼き上がりや。
「これで焼き上がりやで。鰻の蒲焼きと白焼き。どや、旨そうやん?」
「はうぅ……。もう間違いありマセン! それは絶対に美味しいに決まってマス! こんな、こんなに美味しそうな匂いと見た目で不味いナンテあり得ないデス!」
じゅるっと口許の涎を拭いながら期待に目を輝かせる彼女。これほどの美女にここまで期待の籠った眼差しを向けられて無下に出来る男がいるだろうか。言わずもがな俺には無理やな。それどころか彼女が実際に鰻を食べた時にどんなリアクションを見せてくれるのかワクワクしている。
俺の料理人としての、鰻職人としての
焼き上がった鰻を持って二人で車内に戻る。そこで最後の仕上げをして、いよいよ実食や。
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