第3話 鰻を生きたまま捌くのにはちゃんと意味があるんだ

 釣り道具は片付けて車に戻り、まずは鰻を焼くための炭火を準備する。

 バーベキューコンロに着火材を入れ、その上に小さめの木炭を積み上げて着火材に火をつける。着火材には灯油が染み込ませてあるので冬の石油ファンヒーターの匂いをさせながらオレンジの炎が燃え上がる。この炎が落ち着く頃には木炭に十分火が回っとるはずや。


 次に米を炊く。すでに洗って水に漬け込んだ状態でビニール袋に入れて持ってきてある2合分の米をアウトドア用の炊飯鍋メスティンに入れ、車内の調理スペースでアルコールストーブを使って炊き始める。

 もうひとつアルコールストーブを使って湯も沸かしておく。


「車がキッチンになってるんデスね。面白いデス!」


「調理環境にはこだわりたいからな。よし、これで下準備は終わりや。鰻を捌いていくで」


 車の後部ドアを開ければそこには車の幅ぴったりのシンクと調理台が収まっている。室内からも使えるが、生魚を捌いたりする時は立ってやる方がいいのでこうして外に立って作業する。

 まずは鰻専用の細長いまな板を調理台にセットする。


「鰻を捌くにはこういう専用のまな板が必要やに。鰻を固定するための目打ちを挿す穴があって、まな板がずれんように調理台に固定できるようになっとるんや」


「イールのためだけのマナ板ナンテ! 考えられマセン」


「まな板だけやないで。包丁も鰻専用のものがあるんやに」


 愛用の鰻包丁と目打ちをまな板の上に出す。


「日本の各地にそれぞれ形の違う鰻包丁があるけどな。背開き特化の関東型に腹開き特化の関西型。俺が使うんは名古屋型といわれる両方に対応したタイプやな」


 “蛸引き”と呼ばれるタイプの刺身包丁があるが、それの刃渡りを10㌢ぐらいまで切り詰め、出刃包丁ぐらいの厚みをもたせたようなものが名古屋型鰻包丁やな。むしろなたを小さくしたような形と説明した方が分かりやすいかな。


「包丁まで専用ナンテ……」


 信じられない、と首を振る彼女。


「まあ、鰻を好んで食う習慣がないんやったらそうやろな。これは鰻好きの日本人が鰻を旨く食うために編み出した叡知の結晶や。こういう専用の道具がなきゃ鰻を旨く食うことなんてできひんのやに」


 俺は左手にだけ軍手をはめ、シンクの水道から水を出して軍手を濡らし、まな板を濡らした。右手には包丁を握り、中指と薬指の間に目打ちを挟んで持つ。


 足元のクーラーボックスのネットに左手を突っ込んで適当な1匹を掴み出してまな板の上に持ってくればまだまだ元気なのでのたうち回って逃げ出そうとする。


「まだ生きてマスよ! こんなのどうヤッテ!?」


「生きてなきゃ困る。鰻は生きているうちに捌くものや」


 軍手を履いた左手の人差し指と中指の間に鰻を挟んで持ち、背中をこちらに向けた状態にして、右手に持った目打ちを頭の中程、背側の黒と腹側の白のちょうど境目ぐらいに刺して貫通させ、そのまま、まな板の右端にある目打ち穴に差し込む。

 頭を固定された鰻が逃げようと暴れ、尻尾を俺の左手に巻き付けようとしてくるが、それこそが狙い通り。左手に鰻の尻尾を巻き付かせたままビンッと尻尾の方に引っ張れば、頭が固定されているので鰻が真っ直ぐになる。

 すかさず目打ちのすぐ横から包丁を入れ、引っ張られて真っ直ぐになっている背骨に沿って途中まで開き、そうすると鰻がたまらずに左手に巻き付かせていた尻尾をほどくので、すかさず左手を包丁に添えてそのまま尻尾まで一気に開ききる。

 開いたら、先に内臓を取り、目打ちの所から背骨を切って包丁の刃を骨の下に入れる。骨を左手の指先で押さえて包丁と挟むようにして、骨を身から剥がしながらベリベリッと尻尾まで一気に骨取りをする。これで背開きの一丁上がりや。


 目打ちを打ってから骨取りまでは鰻に抵抗する隙を与えずに一気にやってしまうのがコツやな。時間をかけると鰻が痛みで大暴れするから、鰻が痛みを認識する前に捌ききってしまうのが一流の鰻職人の匠の技や。今の俺でだいたい20秒ぐらいかかるが、名人と呼ばれる職人は10秒ぐらいで捌いてしまうからまだまだこの道も奥が深い。


 そして、鰻が痛みで暴れる前に捌ききってしまうことは、そのまま鰻の味に直結する。

 捌く時に鰻が暴れると大量の血と粘液が出て身がドロドロのベタベタになってしまい、これが味を落とす原因になる。鰻が暴れる前に捌いた身には血も粘液もほとんど付着していないので味も落ちない。俺が捌いた鰻は当然後者やけどな。

 血で汚れていない身の色で鰻の品質のチェックもできる。あまり脂が乗っていない鰻の身は青白っぽく、脂がよく乗った鰻の身は薄いクリーム色をしている。予想はしていたが綺麗なクリーム色や。


「うん。身の質もええな。ええ鰻や」


 俺が鰻の品質に満足して一人頷いていると、彼女が興奮気味に捲し立ててくる。


「チョット! 今のナンデスカ!? アッというまにイールが解体されてしまったデスよ!? こんなの知りマセン!」


「どや。これが日本の鰻職人やに。あんたの国だと鰻は捌かんのやろ? さしずめぶつ切りにして煮込むってところか?」


 たしかイギリスにそういう"鰻のゼリー寄せ"とかいうゲテモノ料理があったと記憶している。当然、不味いので不人気らしい。


「そうデス。骨も多いし、泥臭いのでほかに食べる物がない時しか食べマセン。こんな解体方法があるなんて初めて知ったデスよ」


「鰻の臭みは皮にあるから、生から皮ごと煮ると煮汁まで泥臭くなるんやで。それに鰻の血は痛みやすいからな、死ぬとすぐに身まで臭くするから生きているうちに捌いて血抜きをせなあかんねん。鰻が死んでから血抜きもせずに調理して、しかも煮て食うとか、日本の鰻職人の感覚からしたら鰻をわざわざ不味くする食材への冒涜としか思えんな」


「むー……説明されると納得できマスね。本当にイールへの理解の深さが全然違うんデスね。イールを普通の魚と同じように料理したら不味くなるナンテ考えたこともなかったデス」


「よし。納得してもらえたで残りの2匹も捌いていこか」


 そして残りの2匹も同様に背開きにしていく。身の方はこのまま焼くから3匹分まとめて適当な器に入れておき、次に内臓の処理に進む。


「ほわぁ! あっというまに3匹ともキレイに解体されマシタ。これは美技デスねー。……は? 内臓も食べるんデスか?」


「鰻のきもは珍味やで。吸い物に入れても、これだけ焼いても旨いんやに」


 大きな肝臓の裏に付着している胆嚢──通称、苦玉ニガダマを潰さないように気を付けながら外し、胃を切り開いて内容物を出し、腸は切り落として捨て、残った部分を水洗いすれば鰻肝ウナキモの下処理は完了だ。針を飲み込んでいる奴だけ気を付けつつ、3匹分の鰻肝の処理も終わらせ、これで出番の終わったまな板とシンクを手早く洗う。


「よし。下処理はこれで終わりやな。実際に料理に取りかかるとしよか!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る