第5話 お花畑

「……る、ジェ?」


 今思い出そうとしても、記憶にもやがかかる。

 たとえるなら、少なくとも花屋の娘として暮らしていれば決して遭遇することはなかっただろう『人間』が、どんな仕掛けのあるとも知れないイスに座らされていた。


「…………、」


 光を失い生気だけを未練がましく抱え込んだ瞳で、彼は私を見据えた。

 それから、ここでは二人の間でしか通じない言語でささやいたのだ。


「――――そんな」


 最初、私はそう返す他なかった。だって、……そうでしょう。



「フィズさんッ‼」


 アティエノに叫ばれて耳を澄ますと、異変に気づいた他の兵士の足音だった。

 もし私を殴り倒したアイツも来ているんだったら、脅しがいつまで持続するかはわからない。


「ルジェ‼」


 返ってきたのは、俺はもう動けない、という意味の言葉だった。


「……ッ」


 体重より2周りも重い男を担ぎ上げた。

 アストルフォの気分だったが歯を食いしばり、必死での下まで連れ出す。


 と――ふと、自分たちの影が大きくなったのに気づく。

 いや、これでは形まで出鱈目デタラメだ。えらく硬質な何かを縁取りしたような……、

 手袋の下が、ゾクリと痛んだ。


「ねぇ。パラシュートぐらい持ってるわよね?」


「うん」


「決まり」


 ぱんっ! とファンシーな音とともに鉄の塊が低空で弾けた。

 パイロットが降ってくる前にトンズラしよう。


「……なんか英語で叫んでないかな?」


「そりゃ世界の警察も叫ぶわよッ‼」


 あんまり汚いスラングだったので翻訳してあげる気にはならなかった。

 というか、どうして声が届くんだろう?


「拡声器の強化ヴェッショみたいな? 一帯に呼びかけてるんじゃ……」


(この子……察しが良すぎる!)



 そんな間も耳元で瀕死の男がささやくのだ。

 頼む、もう痛みに耐えられない、このままだとお前らも……云々うんぬん


「もう二度と動けなくなるんだよ!?」


 ……大丈夫だ。


「声が出せるかどうかだって」


 ……フィズはけには必ず勝つ。


「お姉ちゃん! もう兵士が何人か向かってきてるって‼」




 目を閉じると、航空機のエンジンがひどく近く。

 弾けた中指を唇で押さえながら、とおい過去となってしまった――故郷と家のことを考えた。



 ずっとお花と戯れてた弊害へいがい

 スギとかホグウィードじゃなく、症例が確認されてないようなお花にだけ抗体が過剰反応するようになった。


 少しでも吸い込めば鼻水が止まらない。

 そういう体になってから――いつの間にか、お花が嫌いになっていた。





 現象は置換。

 方法は感覚。

 目的は世界。

 対象は戦域。



 ――みんな、みんな



「みんな――――お花になぁれッッッ‼‼!」



 風景が明確に変質した。



 ……見渡す限りの、お花畑。



 米軍も反政府軍も、一切の武装を奪われ、一切の遮蔽物を失い、もはやケリンブ政府に対する抵抗なんてできっこない。


 それでも素手で追ってくるものもいるが、そういうときにはあの兵士からもらった銃の出番だ。

 銃口をチラつかせるだけで、まともな神経のものは両手を上げる。


 それでも止まらない者がいるかもと警戒していたが、当初の読み通り徹底抗戦の精神を持った男は居なかった。



 ……敵の居なくなった大地を、逃走する。


 そうまでしてようやく、最も近い変化に触れることができる。

 もう人間の重さはない。

 胸ポケットに収まってしまうシルバーリーフごとのエレモフィラが、かつて『そう』だったものの代役を努めている。






 もう声は、聞こえない。


















「あっあー。おっ、出た! ここが喉に相当する部分か!」


「……ルジェ」


「ぐえっ。だがらぞごばおどだっで。じめるな……」


「……ルジェ、ルジェ、ルジェ‼」


「……あー、結局人間のときには言えなかったからな。……ありがとうな、フィズ、アティエノ」


「……ルジェさん」


「なんだ?」


「私の方が、せ、高いですよ!」


「弟にはならんぞ」


「えー!」




 私たちの通り道がお花畑に変わっていく。

 地雷原すら塗り替えられ――人を潰すための兵器が、世界に彩りを加えるための「種」に変化する。



「まだC弾頭は健在だ。……行くぞ。これからケリンブをお花畑に変えてやる! 行くわよ、相棒‼」


「おうとも‼」



 今日の誓いを忘れない。

 もう何も失わない。

 もう誰も奪わせない。


 そのために、これから戦っていくんだから‼








































 一斉に――無数の銃口と殺気がこちらを睨んだ。

 基地の外貌は倉庫。その窓から、大量に『死』が顔を覗かせる。

 けれど。


「死――――ぬかっ‼」


 弾幕がレトロなシューティングゲームに置き換わっていく。

 悪意など微塵も反映されない、風景と馴染まない異物が無限に増殖していく。


「お花になぁ――へくち!」


「はぁ、はぁ」


「ごめん、まだ全力疾走で!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お花畑のフィズとルジェ 雨間 京_あまい けい @omiotuke1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説