忘却の彼方へ

夕日ゆうや

第1話 始まり

 ここはなんの変哲もないただの高校。

 通う人数は300人ほど。

 生徒会が幅をきかせている訳でもなければ、特殊能力を持った人がいる訳でもなく、調理学校という訳でもない。

 そんな普通の高校である事件が起きた。

「今日、西方にしかたは休みか?」

「家でゲームでもしているんじゃない?」

「あり得る、あいつバカだからな!」

 笑いの一ネタにされる西方。

 だが彼は怠惰でぐうたら。いつもゲーム片手に授業を受けているほどである。

「ほら。ホームルームを始めるぞ」

 先生の水沢みずさわさんが教壇に立つ。

「お。西方は休みか?」

 眉根を上げ、怪訝な顔をする水沢先生。

「まあ、いつものことか」

 おい。先生がそれでどうする。

 西方、先生にも見放されているようだ。

 ホームルームが終わり、あおい裕治ゆうじ蜜柑みかんの三人が駆け寄ってくる。

「よ。西方がいなくて残念だったな」

 半笑いで訊ねてくる裕治。

「ちょっと。ひどいこと言わないの。あずまくんは一途なんだから」

 葵がクスクスと笑い、彼氏の裕治にからみつく。

「相変わらず、見せつけてくれる」

 俺が苦笑いを返すと、蜜柑がふくれっ面で訊ねてくる。

「好きの対義語は、嫌い……じゃなくて、無関心。わたし、悲しい……」

 独特の間をとって話に加わる蜜柑。

「まー。彼女がいないと、張りがないけどね」

「あいつ、ムードメーカーだからな」

 相変わらず半笑いで応じる裕治。

 俺の初恋である葵も、クスクスと笑う。

 宮名みやな葵。黒髪をショートにしている、紅い瞳をしている美少女で、去年のミスコンで300人の中から準優勝を獲得している。

 ちなみに裕治がそのミスコンに女装した経緯から、宮名と知り合った。

 裕治は俺の幼なじみで幼稚園からの腐れ縁だ。

「で、でも……風邪だったり、したら……、辛いよ」

 優しく手を包む蜜柑。共感性が高いのか、悲しげに目を伏せる。

「あー。まあ、でも風邪なら家族が話しているだろ?」

「そ、そっか……」

 引っ込み思案な蜜柑にしてはよく頑張って話している。

「で、蜜柑の〝引っ込み思案、解消しようぜ計画〟はまだ続けるのか?」

 俺は裕治に耳打ちをする。小さな声だったから蜜柑には聞こえないはずだ。

「おい。お前……。いや、いい。……まだ続けるよ。あずまが応えを出すまでは」

「それって、どういう意味だ?」

「このあんぽんたん!」

 隣で聴いていたらしい葵が強めの口調で告げる。

「まあ。おれはどっちの味方でもないからな」

 裕治はヘラヘラと笑うと、俺に耳打ちする。

「西方、諦めないつもりだろ?」

「ああ。もちろんだ」

 俺は西方歌恋かれんに一途なのだ。心に決めた相手なのだ。養っていく覚悟はある。

「むっ……。やっぱり、無関心……」

 蜜柑がぶすっとした態度で俺の袖を引っ張ってくる。

 彼女が不安になるとよくする行動だ。特に意味はないらしい。

 蜜柑は美麗な銀色の髪をなびかせて言う。

 蒼氷アイスブルーの綺麗な瞳をしている。

 以前、髪色でいじめられていたこともあり、引っ込み思案になったらしい。自分で髪の毛を引きちぎった経緯がある。

 それを止めたのが俺だ。綺麗な髪を大切にするようさとした。その影響もあって、彼女は髪を長くしている。たまに結んだり、下ろしたりと、何かと気を遣っているようだ。

 ちなみに「引っ込み思案解消計画」は裕治の提案だ。

 なぜか緊張する俺を対象に、葵や裕治も協力している。

 裕治のコミュニケーション能力が高いのと、フットワークの軽さで、会話を弾ませるのがうまい。そのお陰もあって蜜柑は成長してきている。

 昔なら、俺に話しかけるのも無理だったのに。

 それにしても、全てを悟っているような顔をしている裕治と葵。ムカつくからぶん殴りたい。

 でも、暴力はいけない。

 暴力ではなにも解決しない……と言いつつ、昨今。政治家が暗殺されて、政界が変わりつつある。変わるのはいいが、殺人を肯定しているようにも思えて、喉に小骨が突っかかるような気持ちだ。

 西方は政治家の娘で、少し気は強いものの、基本的には話しやすい性格をしている。端正な顔立ち、茶色いポニーテール。翠色の瞳。とても可愛いのだが、表情が硬い。でもたいがい、可愛いことで悩むことが多い。

 俺にとっては話しやすい相手なのだが。

 まあ、恋愛にはあまり興味を示さないタイプだが。

 だが、その素っ気なさが可愛い。

「お前も難儀な相手を好きになったな」

 裕治は頬を掻き、なぜか蜜柑に言っている。

「俺じゃないのか?」

「ああ。すまん。確かにそうだな、うん」

 裕治は困ったように冷や汗を掻く。

「ほら」

 裕治の冷や汗をハンカチでぬぐう葵。

「うげー。砂糖吐くわ」

 俺は全力で吐くフリをして甘々な二人を見やる。

「ば、馬鹿。いいだろ。このくらい」

「はずい」

 二人は照れ隠しをするようにそれぞれに呟く。

 そしてその二人をキラキラとした表情で見つめる蜜柑。


 そんな日常がいつまでも続いた。

 続いてしまった。


 西方が休んでから三日。

「……西方?」

 裕治が困惑したように呟く。

「いや、西方歌恋だよ。今日も休みなのか、って話」

「おいおい。熱で浮かされたのか?」

「東くん、どうしたの?」

「だい、じょう、ぶ……?」

 裕治に続いて葵、蜜柑も訊ねてくる。

「俺の好きな人だよ。忘れたのか?」

「「「…………」」」

 三人とも黙り込んでしまった。

「ホームルーム、始めるぞ」

「水沢先生! 西方は?」

「西方? 誰だ。そいつは?」

 この先生ではダメだ。他の先生に聞こう。

 俺は慌てて席を離れる。

「こら! 待て!」

 血相を変えて追ってくる水沢先生。

 西方を見つけるため、俺は学校内を駆けずり回る。

 だが、どこにもいなかった。その痕跡一つ残っていない。

 名簿、部活、スマホの連絡先・履歴。

 すべてにおいて彼女がいた形跡がないのだ。

 

 俺は誰を探していたのだろう?

「おい。大丈夫か?」

 水沢先生が怪訝な様子で俺の肩を抱く。

「焦るな。落ち着け。今のキミは混乱している」

「は、はい」

 保健室に通されると、俺はベッドの上に眠りにつく。

 少し疲れが溜まっていたのかもしれない。


 ぐっすりと眠るとスッキリした頭で保健室から出る。

 あれ? 何か忘れている気がする。

 俺が教室に戻ると、みんな怪訝な顔をしている。

「東くん。西方って誰?」

 葵が訊ねてくるが、隣にいる蜜柑もコクコクと頷いている。


「……西方? 誰?」

 俺は本気でそう言うと、みんなは少し安堵する。

「なんだ。びっくりしたぞ。まるでおれたちが間違っているかのような態度だったからな」

 裕治が俺の肩を抱き、汗臭さを感じつつも、不安的になっていた精神が落ち着く。

「ああ。ちょっと疲れていたのかもしれない」

「そうだな、今日はもう帰った方がいいんじゃないか?」

「そう、だな……。ノート後で」

「写すよ。それくらいさせてくれ。友人だろ?」

「裕治……」

 目頭が熱くなる。こんな最高の友人を持てて、俺は幸せものだ。

 こんなにもたくさんの人に心配してもらえるなんて。

「大人しいお前が、あんなに必死になっていたからな。驚いたぞ」

「そ、う、なの……。わたし、も……不安だった……」

 安堵したのか、少し柔らかな顔になる蜜柑。

 鈴を鳴らしたような声音に、少し可愛く感じる。


 家に帰ると、ソファの上で妹と一緒にテレビを見る。

 小さな一戸建て。一階には両親の部屋とリビング。二階は俺と妹・仄日ほのか、それに倉庫がある。

 俺と仄日はリビングで茶菓子を片手に、テレビドラマ《彼女の箱》を見ている。

「それで? おにぃはなんで、休んだの?」

「休んだんじゃなくて早退な。ちょっと疲れているらしい」

「いつも頑張りすぎるからね。少し眠って」

「ああ。そうするよ」

 俺は座っていたソファで寝転ぶ。枕がなくても寝られるタイプなのだ。

 スースーと寝息を立てていると、柔らかな枕に触れる。

 すべすべで少しひんやりしていて、いい匂いがする。

「きゃっ!」

 なにやら悲鳴が聞こえた気がするが、眠気には勝てない。

 東は仄日の膝枕で寝ているのだった。

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