終章 イヌガミギフテッド

 二人が家に帰ってきて数日が経った。

 無事、問題を解決できたということで岩本寺に戻った時には大いに歓迎された。空海の結界は新たに作り直した道祖神で張り直すのだという。

 日下と吉野らにお礼を言われながら、二人は四万十を後にした。また、半日をかけて電車に揺られながら自宅へ帰り着いた。

 8月も後半に入り、玲の学校の夏休みがそろそろ終わる。

 玲と真輝の二人は、部屋で机を囲んで、宿題を広げていた。

 真輝はうんざりとした顔で言う。

「……玲ちゃん? さっきからずっと手が止まってるよ? 早くしないと夏休みが終わっちゃうよ?」

「…………」

「宿題はほどんど私ばっかりが答えてるんだけどな? 自分で解かないと力にならないよ」

 玲は俯いていた顔をがばりと上げた。

「……こんなものやる必要ないじゃないですか! 私は霊導士ですよ!? 世界史が仕事になんの関係があるんですか!?」

 真輝はため息をつく。

「世の中に出ていって仕事をするためには色んなことを知ってないといけないんだよ? 玲ちゃんが当たり前のことを知らずに恥を掻くのは、私は嫌だな」

 玲は持っていたシャーペンを投げ出して後ろにばったりと倒れ込む。真輝はふぅと長いため息を吐いた。

 階段の下からおばあちゃんが呼ぶ声が聞こえる。玲は助かったとでも言うかのように急いで体を起こした。



「呼びましたか? おばあちゃん」

 玲と真輝は並び立ち、おばあちゃんの部屋の戸を開ける。

「座りなさい」

 二人は部屋の中を歩いてゆき、座布団に腰を下ろす。おばあちゃんは相変わらずニコニコと微笑みを絶やさない。

「岩本寺の住職さんからは話は聞いたよ。二人で大活躍したようだね」

 玲はぽりぽりと額を掻いている。あまり表情を出さない玲ではあるが喜んでいるのだろう。真輝は大きく笑みをこぼす。

 おばあちゃんはいつものように陶器のたばこ入れから一本取り出し、マッチで火を付けた。

「常世の神様が協力してくれたらしいね。向こうからも連絡があったよ」

 玲はめんどくさそうに首を傾げる。

「あのですね。私があの人のお気に入りなのは知ってますけど、ちょっと依怙贔屓が過ぎるような気がするんですよね。あの鏡どうします?」

 玲とおばあちゃんは奥の間に安置してある青銅鏡の方に視線を向ける。

「東京から人を派遣するからしばらく預かっておいてくれとさ。くれぐれも鏡が3枚あることは内密にと」

「当たり前じゃないですか。この事が他の霊導士に知られると収拾がつかなくなりますよ。今回の一件は結構危ない橋を渡ってます」

 おばあちゃんは玲の小言を聞き流すようにたばこをふかす。

「さて、狗神とはね。かの地にはまだそんな古い因習に囚われた村があったか……」

 玲はむっつりと不機嫌そうな顔でおばあちゃんに問いただした。

「おばあちゃんは最初からあんな子がいると分かっていましたね。おばあちゃんの思惑は分かりませんけど、私を派遣したのはそのためでしょう?」

「そうですよ!おばあちゃん。あんなお子ちゃまは玲ちゃんには相応しくありません!」

「お姉ちゃん。黙っていてください」

おばあちゃんは腕をくみ、やがてタバコを灰皿でもみ消して真っ直ぐに玲を見据える。

「いつかは玲には話さないといけないと思っていたけど、この国の現世と常世の理が崩れかかってる。この国の理はある一人の長老の存在によって護られているが、寿命が尽きかけている。新たに国を守るのための人柱が必要なのだ」

 玲は大きく目を見開いた。

「この国に新たな人柱になるための子供たちが生まれるように高天原や常世の国で決まった。今、現世でもあの子や玲のような子供たちが各地で生まれている」

「それは……」

 玲は傷ついたように眉を顰めて俯いた。

「玲にはこの国のために人柱になってもらう必要がある。この国に生きる人たちを守るために働かねばならない。選ばれた子供たちはそのために生まれた」

 玲は悲しげな表情で俯いたままである。おばあちゃんはそんな玲の様子を窺いつつも続ける。

「人々が生きるこの世界を守るために古から伝わる理の鎖だよ。そうでもしなければ私たちはこの世を徘徊する魑魅魍魎から身を守ることも出来なかった」

 真輝は突然、激しく机を叩いた。玲はあわてて真輝を見る。真輝は噛み付かんばかりに怒りの表情をしている。

「なんで玲ちゃんやあの子たちみたいな子が苦しまないとならないの! この世の不幸を全部背負わされてるようなものじゃないですか!」

「お姉ちゃん……」

 おばあちゃんは腕を解いた。

「それでも私たちに出来るのはこれしかないんだよ。私たちがこれからも生きてゆくために、玲は運命を受け入れなければならない」

 真輝は俯いて唇を強く噛んだ。

「……こんなこと絶対に許せない。こんなこと間違っている。私は絶対に反対します!」

 おばあちゃんは真輝の言葉を聞いて少し寂しそうに目を細めた。

「私も本当は玲に人柱になれなんて言いたくないんだよ? ただこうする他にこの国を守る方法はない。私だって本当は嫌なんだ」

 おばあちゃんは真輝に優しく語りかける。

「だけどね。これは仕方がないことなのだよ。誰かがやらないといけない。そして、その役目を果たせるのは選ばれてしまった玲だけ。だから、玲は受け入れなくてはならない」

 玲はおばあちゃんに対して何かを言おうとしていた真輝を遮るように語りかけた。

「いいんですよお姉ちゃん。私は、人並みに生きることを諦めていた。だけど、貴女のような人に触れることができて、生きるということがそれだけではないと知った。私は役目のために生きて、人柱として生きることを苦だとは思ってないのです」

「だけど!」

 玲は柔らかく微笑みながら続けた。

「人として生きる意味。それはお姉ちゃんから教わった気がします。自分の興味のあることだけに積極的に行動するエゴ。そして、出会うもの全てを救おうとする身の程知らずのほどに大きな愛」

「……褒められてるのかな?」

「あなたのような存在がいるのなら、この世界も少しは護る意味がある。そう思った」

 玲は真輝の手をそっと握った。真輝は手に体温を感じながらじっと涙を堪えていた。

 その時、家の外で何かが崩れるような音が聞こえた。

 おばあちゃんはたばこ入れからまたたばこを一つ取り出して、マッチを摺って火をつけた。

「玲、真輝、ちょっと外に行って見てきなさい」

 二人は顔を見合わせて立ち上がった。



 二人が外に靴を履いて出てみると、瓦が落ちていた。

「わ、さっきのはこれかぁ」

 真輝はその落ちた瓦を認めて玲の方へ向き直った。

「なんで落ちたんだろうね、玲ちゃん?」

 玲は黙って上を向いている。真輝はその視線の先を追った。

 屋根の上に白髪の少年と大きな犬が立っていた。

「石動夕夜……」

 玲がその名を呼ぶと、夕夜はゆっくりと二人を見下ろした。

 夕夜は、しばらく黙って二人のことを見つめると、背を向けてどこかへ歩み去った。

 二人は夕夜がいなくなった夕焼けの空を見上げていた。

 そこには空に溶けるように上弦の月が輝いていた。

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イヌガミギフテッド 椎野樹 @yuki_2021

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