第14章 選ばれた子供たち

 いつからだろう。俺が自らの死と世界の滅びを求め始めたのは。

 それはずっと前からだったような気もする。


 生きている理由なんて、ただ内を焦がす憎しみに突き動かされて、世の中の幸せそうな連中にひと泡吹かせるためでしかなかった。


 俺は世界と戦い続けることでしか己の存在を証明することができなかった。少しでも弱みを見せれば、全てを奪われて、『何もなかったもの』として扱われる。俺が俺であるためには、俺を生み出した世界を恨み、そして全てを壊すために戦い続けるしかなかった。


 どれだけ偽善で外面を固めた人間であれど、一枚皮を剥けば醜い本性をあらわにする。

 人間という生き物の本性は自らよりも弱いものをいたぶり、強者には媚びへつらう。


 村にくる罪人は、拷問により自らの罪を白状させられ、それにより更なる苦痛を与えられる。

 粗雑な村人達はそれを娯楽として楽しみ、罪人の全てが苦痛に塗りつぶされるまで何度も痛ぶった。

 幼い俺は、それをただ眺めていた。


 親父はただ自らの栄達を望み、俺を道具として扱った。

 いずれ全てを祟り、甚大な災害を及ぼす狗神の処理を俺に押し付けた。

 親父は村を出てどこか遠くへ行けという。狗神はいずれ、俺の全てを奪い尽くし、俺は苦痛にのたうち回りながら死ぬのだという。


 狂気に囚われて、薄暗い座敷牢の中で悶えながら死んでいったお母さんのことを思い出した。

 俺が持つ力のせいで狂い始め、親父はそんなお母さんを地下の座敷牢に閉じ込めた。

 お母さんははじめ俺を呼び、優しい声で慰め続けた。だが、やがて狂気に塗り潰されていき、狂気の叫びと、俺を恨む怨嗟の声しか無くなった。ある冬の寒い日、お母さんは座敷牢の中で首を吊って死んだ。


 俺は周りを見る。真っ暗だ。そんな中で亡者たちの嘆きの声だけが聞こえる。

 これがギンの精神の中なのだろうか?


 寒い。意識が朦朧として眠りそうだ。徐々に意識が遠のいていく。俺の記憶も暗闇の中に溶けていく。


 全てがどうでも良くなってきた。俺の怒りも、憎悪も、悲しみも、虚無に飲み込まれて消える。


 もういい……このまま消えよう。


『石動夕夜』


 誰かの呼ぶ声が聞こえた気がした。


 それはとても懐かしくて暖かい響きを持った女性のような声だった。

 その声の主は誰なのか? 俺は必死になって記憶を探る。


 真っ黒に染まっていた視界に光が見える。とても暖かな光だ。

 その光がだんだんと近づいてくる。


 その光の先には一人の女性が立っていた。その女性は俺に手を差し伸べている。その手はまるで母さんのようだ。


「お母さん?」


 その瞬間、光が弾けた。




 俺が目を見開くとあの女が覗き込んでいた。

「根神……玲?」

「気がつきましたか」

 そこは寺の境内だった。

 俺は身体を起こす。どうやら玲は膝枕をしていたらしい。

「魂が戻りましたか。完全に消える前でよかったです」

 俺は辺りを見渡した。

 玲の隣では真輝が心配そうに玲の顔色を伺っている。寺の屋根の上にはギンが座っていて、背を向けて月を見ていた。

「ギン……」

 俺はギンに声をかけるが、ギンは振り返らない。真輝は戸惑いながらも、玲に話しかける。

「玲ちゃん……大丈夫なのかな?」

 真輝の言葉に玲は無表情で答えた。

「もう何か行動を起こすほどの呪力は残ってませんよ。それよりもこの子に言わないといけないことがあります」

 俺は玲を睨みつけて言った。

「どうするつもりだ? 今までされてきたことの復讐でもするつもりか?」

 玲は俺の視線を無視するように抑揚なく返す。

「全然わかってないみたいですね」

 乾いた音とともに頬に痛みが生じる。玲が頬を叩いたらしい。

「貴方のことを想っている人もいるのになんで一人で生きてるつもりなのですか! 村で貴方のことを想ってるお良さんの気持ちを考えたことはあるのですか!」

 俺は驚いて玲の顔を見つめることしかできなかった。何を言うつもりだ?

「人の世がどうなろうがそれは私の知るところじゃないんですよ。だけど、神様に選ばれた生まれで諦めた貴方のことは気に食わない! なぜそんなに簡単に想ってる人のことを見捨てて自暴自棄になってるのですか!」

 …………何を言っているんだこいつは。

 俺はお前を憎んで殺そうとしたのだぞ!? 俺は怒りを込めて怒鳴りつけた。

「お前に何がわかるんだ! 俺が生まれてきたことで全てが狂い始め、母親まで殺した! 俺にはこうすることしかできないんだ!」

 再び平手打ちをされて頬に痛みが起きる。

 しかし、その後、体が温かなものに包まれて、ふわりと良い香りがするのを感じた。

 俺は抱き締められていた。玲は耳元でささやくように呟く。

「……分かりますよ。私たちはこの世界に生まれてきてはいけなかった。だからこそ、想ってくれる人を裏切ってはならないのです。私たちの生きる理由というのはそういう絆でしかないのだから……」

 俺は呆然としながら、抱きしめられたまま動けないでいた。

「なぜお前はそこまで……」

 俺の問いに玲は少し体を離して答える。

「私も選ばれた子供だからですよ。今まで多くのものの命を奪い、そして母親まで殺した。父親に捨てられた。同じ境遇にいる貴方を他人とは思えないのです」

 しばらく沈黙が続いた後、玲は立ち上がった。

「お良さんを大事にしてあげてください。私が見えてるものというのが貴方にも見えてくるはずです」

 それだけ言うと玲は真輝の方に向き直った。

「帰りましょうかお姉ちゃん」

「この子はそのままでいいの? 玲ちゃん」

「もう何もしないはずですよ。子供が自棄になってるだけです」

「あの、あの……ひょっとして玲ちゃんは年下が好み……」

「私一人で帰りますよお姉ちゃん」

 玲は置いてあった鏡と神楽鈴を拾い上げると、スタスタと境内の入り口の方へ歩いてゆく。真輝はそんな玲の背中を待ってよと言いつつ追いすがっていた。

 俺は、一人で呆然と二人の後ろ姿を見つめてる事しかできなかった。

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