第13章 祈り

 ギンは真輝の動きに警戒しながら、ゆっくりと間合いを測るように近寄ってゆく。

 真輝はギンの目の前まで来ると、ぴたりとその動きを止めた。

 二人の間には次の瞬間、不可視な力の本流が巻き起こった。それは境内の外にまで漏れ出し、木々の葉を揺らした。

「……いくよ」

 真輝の言葉と同時にギンは真輝に飛びかかる。真輝はそれをひらりとかわす。ギンはそのまま着地して、すぐにまた飛びかかってくる。真輝はそれを避け続ける。

 真輝はギンの攻撃をかわしつつ、手をゆらりと垂らした。そして不可視の力で大地の土砂を掴んで、そのまま振り上げた。

 散弾銃のような石つぶてがギンを襲う。それはギンに当たる直前で止まった。

 そして、ギンは再び真輝に向かって飛びかかった。

 真輝は石畳を蹴って飛び上がった。見えない手で木の太い枝を掴み、さらに高度を上げて空へ舞い上がる。

 ギンはその巨躯からは想像できないほど身軽に跳躍して、真輝を追いかけてくる。

 真輝は寺社の屋根の上に降り立った。

 ギンも林の木々の枝から枝へと飛び移り、真輝を追い建物の屋根に立つ。

 二人はお互いの視線を交わす。

 真輝はギンを見つめたまま動かない。

 ギンは大きく吠えた。

 ギンの体から発せられる圧力が一気に増し、辺りの空気が震えだす。

 ギンの周りの瓦が浮き上がり、唸りを上げて真輝の元へ殺到した。

「……つっ!」

 その攻撃を全て避けきれずに、真輝の頬を掠めて血が流れる。しかし痛みを感じていないかのように真輝は無表情のままだ。

 再びギンが襲いかかってくる。真輝は拳を振り上げ応戦するが、ギンの爪によって腕を切り裂かれてしまう。

 しかし、真輝の傷はすぐに塞がる。ギンはその様子をつまらないものでもみるように眺めていた。

 場が膠着してしまい、真輝とギンの間に沈黙が訪れる。

「……なぜお前は戦う?」

 不意にギンが口を開いた。

「……」

「式神であれど、それほどの怨念を背負うということは、生前に相当に報われぬ恨みを残しているということだろう。この世界に守る意義などないことは分かるはずだ」

 真輝は黙ったままギンの目を見る。

「人は生きるために己の子供でさえ殺して食う。醜い人間の欲望によって私は生まれた。夕夜もまた、己の出自により人の世の憎しみを一身に背負い苦しんできた。お前もこの世の存在することの無意味さがよく分かってるはずだ。なのに何故、お前は私の前に立ち塞がる?」

 真輝はしっかりとギンの目を見据え、はっきりと言う。

「私は……、人間が嫌なものだって知ってる。でも、私は……玲ちゃんのお姉ちゃんだから!!」

 ギンは鼻で笑う。

「くだらない……。関係性のために命を捨てるのか。人間は本当にくだらない」

 ギンはそう言うと、大きく息を吸い込んだ。

「……玲ちゃんは私が守る!」

 真輝も覚悟を決めたように、身構えた。

 ギンは天に届くほどの遠吠えをした。膨大な邪気の奔流がギンから巻き起こる。あたりからは報われぬ怨霊たちの嘆きの声が聞こえる。

「もうお前たちに付き合うのは十分だ。夕夜の魂と、私の力があれば空海の結界を覆すことができる! 世界は裏返る!!」

 ギンを中心に空間が歪み始める。

 空にあった満月が、月食のように欠け始めた。

「……そんなことさせない!」

 真輝はギンに向かって駆け出した。



 玲は誰もいない境内で一人、神楽を舞っていた。

 緩やかに歩みを進めて鈴を鳴らす。辺りの空気が研ぎ澄まされて張り詰めていく。

 玲は目を閉じ、精神統一をする。

 そして神楽鈴を高く掲げ、ゆっくりと鈴を鳴らし始めた。

 鈴の音が境内に響き渡る。

 足を踏み出すたびに、辺りには清浄な気が漂いだす。

 手を動かすたび、大気の流れが変わる。

 次第に境内の外にも変化が現れはじめた。

 境内を取り囲む木々の葉がざわめきだす。

 風もないのに木々が大きく揺れ、葉同士が擦れ合い音を立てる。そして境内の砂利や砂埃までもが舞い上がりはじめる。

 玲は舞う。

 そして最後の一音を鳴らすと同時に、辺りの空気が一変した。

 境内に一人の女性が立っていた。女性は髪が長く、輝く髪飾りをしている。鮮やかな装束を着ていた。そして顔立ちはとても整っている。そして、大きな青銅鏡を胸元に携えていた。

 玲の表情が驚きのものに変わる。

「何故、貴女が……」

 玲は慌てて平伏する。女性はゆっくりと玲の元へ歩みを進める。

 女性は無言で玲のそばに立つと、微笑んで玲の頭を撫でた。

 呆けた方に女性の顔を見つめる玲に、女性は胸元に抱えていた青銅鏡を渡す。

 玲はおずおずとその鏡を受け取った。

 女性は後ろを向き、林の方へ歩いてゆく。

 女性の姿が薄れていき、やがて消えていった。

 玲はその光景をただ見つめることしかできなかった。



「……くっ」

 真輝はギンの攻撃を避け続けていた。しかし、徐々にその動きが鈍くなりはじめている。

 ギンの爪が真輝の肩を切り裂き、真輝の体から血が流れる。

「式神といえどもその力は無尽蔵という訳ではなさそうだな」

「……」

 真輝は答えない。

 ギンは空の月を見上げる。月は食により半分ほどに欠けていた。

「もう少しで世界が裏返る。くだらない世界が終わる。夕夜が望んだ終焉だ。その時、私の復讐も終わる」

 真輝は黙ったままギンの言葉を聞く。

「さて、お前たちと遊ぶのもこれで終わりにしよう。全ての力を結界の破壊に集中する。そこで崩れていく世界を見ているといいだろう」

 ギンは真輝に背を向ける。その瞬間だった。

「お姉ちゃん!」

 真輝の後方から声が聞こえてきた。

 振り向くと、そこには玲がいた。

「……玲ちゃん!? どうしてここに?」

「そこをよじ登ってきました」

 玲はそう言って指差した先には大きな石段があった。どうやらそこからここまで上がってきたらしい。

 真輝は驚いた様子だったが、すぐに笑顔になった。

「玲ちゃん、危ないから早く逃げて!」

「お姉ちゃん、これを持ってきました」

 玲はそう言うと、抱えていた青銅鏡を真輝に見せる。

「これは?」

 真輝は不思議そうに尋ねる。

「おそらく、3枚目の八咫鏡やたのかがみです。取り扱いには気をつけてください」

「これは……なんなの?」

天叢雲剣あまのむらくものつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまと並ぶ3種の神器の一つです。何故、あの方がこれを渡してくれたのかは理解に苦しみますが、この局面を打破するには有り余るぐらいの道具です」

 玲は真剣な眼差しで言う。

 玲と真輝は二人で向き直る。ギンは屋根の一段高くなってるところで暗い目をして二人を見つめていた。

「何かを企んでいるようだな。だが、もう遅い。もう世界は完全に裏返る!」

 ギンは満月を見上げて大きく遠吠えをした。月は完全に飲み込まれて、不気味な赤く暗い月が浮かんでいた。

 遠くに見える街の辺り一面から、真っ黒な邪気が天に向かって柱のように噴き上がってるのが見えた。辺りからは報われぬ怨霊たちの嘆きの声が聞こえる。

 真輝は空を見上げて大声を上げた。

「玲ちゃん……月が落ちてくる!」

 巨大な赤い月に、無数の黒い影がまとわりついていた。それはまるで、月が地上を侵食しているようであった。

「……」

 玲は目を閉じ、精神統一をする。そしてゆっくりと目を開くと同時に、鏡を天にかざす。

「……高天原に神留まり坐す。皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を。神集へに集へ給ひ」

 辺りが静まり、清浄な空気が境内を満たす。鏡が淡く光を湛える。

 ギンが玲のその様子をみて目を見張る。

「なんだ? その力は!? まさか……」

 玲は構わず祝詞を続ける。

「荒振神等をば神問はしに問はし給ひ。神掃へに掃へ給ひて。語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて……」

 鏡の光がさらに強くなる。玲を中心に、鼓動のように光の波紋が広がってゆく。

 ギンは身構えて、玲に向かって牙をむき飛び出してきた。しかし、そのギンの目の前に真輝が立ちふさがり、その爪を受け止める。真輝はギンを睨みつける。

「玲ちゃん! 早く!」

 玲はそんな二人の様子にも関わらず、目を閉じて祝詞を唱え続けた。

「千座の置座に置足はして天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて八針に取裂きて……天津祝詞の太祝詞事を宣れ!」

 その瞬間、八咫鏡から膨大な光が溢れ出す。その光は境内を真昼のように照らし、闇夜を真っ白く染め上げた。

 やがてその光は徐々に収束していき、最後に残ったのは淡く光る満月だけだった。

 ギンはそんな月を呆然と見上げていた。

 玲は掲げていた鏡を下ろした。

 愕然としているギンを眺めて、玲はつまらなそうに言葉を吐く。

「貴方達の思いは理解できなくもありません。ですが、まぁ、理に従って、私はこの世界を守ります。それが私が任されたお役目ですから」

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