第12章 式神と狗神

「お姉ちゃん!」

 玲の声に合わせて、真輝は石畳を前に駆け始めた。

 無言で夕夜とギンは本堂から外へ出ていく。

 夕夜は片手で九字を切ると、真輝へ向けて印を切った。

「お姉ちゃん! 避けてください!!」

「えぇ!?」

 真輝はわたわたと慌てながらもその場を横っ飛びに飛び退いた。

 真輝が居た場所の石畳が、重いものでも叩きつけた様に陥没した。

 舌打ちしながら、夕夜は声を上げる。

「ギン!!」

 ギンは素早く駆け出すと、玲の元へ殺到する。

「玲ちゃん!」

 真輝はギンへ向けて右手を薙いだ。ギンは空中で巨大な何かにぶつかって吹っ飛ばされた。

 ギンは空中で体を捻り着地する。

「……なんだこの女。この力は怨念によるものだぞ!?」

「玲ちゃんに手を出すことは私が許さない!! 私だって戦える!」

 夕夜は値踏みするように真輝を見つめる。

「怨霊……なのか? だが、完璧に具現化してる。まさか、怨霊を『式神』にしたのか!?」

 玲はそんな夕夜の様子を見ながら首を傾けた。

「おばあちゃんが勝手にやったことですよ。まぁ、私たちはまつろわぬ民の歩き巫女ですもんね。なんでもありなんですよ」

 ギンは夕夜に尋ねる。

「分かるのか? 夕夜?」

「陰陽道において式神を作る方法は『思業式しぎょうしき』『擬人式ぎじんしき』『悪行罰示あくぎょうばっし』の三つがある。あの女はその中でも一番強力な、怨霊や荒御魂を調伏して従える『悪行罰示』で作られた式神だ!」

 真輝は二人をまっすぐに見据えて、大声で言った。

「早く諦めて降参しなさい! 私は誰も傷つけたくない!」

 夕夜は舌打ちをした。

「厄介だな。式神は強いぞ。元が業が強い悪霊であるのなら、下手な神霊よりも強い神通力を行使する」

 ギンは夕夜に赤い瞳を向けて振り返った。

「夕夜、力を貸せ。お前の呪力を私の狗神としての力に重ねたのなら、奴らに勝てるかもしれない」

「……わかった」

 夕夜は九字を切り、そして刀印を構えた。

 その瞬間、境内の空気が変わった。

 玲と真輝は全身の毛穴が開くような感覚を覚えた。

 夕夜を中心に、重苦しい威圧感が周囲に広がってゆく。

「お姉ちゃん! 気をつけてください!」

 玲の声に反応して真輝は身構える。ギンは猛然と飛び出した。

 ギンの鋭い爪が真輝の顔面を狙う。

 真輝はそれを半歩退いて避けると、力を込めて地面に掌を向けた。

 ギンは頭上から万力で押し潰される様なプレッシャーを受ける。

「くそッ、なんて馬鹿力だ」

 ギンは堪えて力を押し返した。その余波を受けて真輝も少し後ろに後ずさる。

「このまま畳み掛ける!」

 真輝はギンに向けて一歩前に出る。

 ギンはそれに合わせるように、牙を剥き出して飛び掛かった。

 真輝は腕を振るい、ギンを吹き飛ばす。

 ギンは空中で身を翻すと、着地と同時に再び襲い掛かる。

 真輝はギンの攻撃をいなしながら、大地を蹴った。

 真輝は高く跳躍し、両手を上に掲げる。

「潰れちゃえ!」

 空中から直下してきた真輝は両手を振り下ろした。

 大地が大きく陥没して大量の土砂が舞い上がる。ギンは宙高く跳び上がり、真輝の攻撃を避ける。

 ギンは真輝の背後に着地すると、そのまま真輝に体当たりを食らわせた。

「きゃ!」

 ギンに押し倒された真輝は悲鳴を上げた。

 ギンは真輝の右腕を左手で押さえ込み、牙を立てた。

「うぅ……」

 真輝が痛みで顔を歪ませると、ギンは遠ざかった。

「どうした? もう終わりか?」

 夕夜は余裕を見せるように言うと、印を結んだまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 真輝はギンに噛まれた右腕を押さえながらふらりと立ち上がる。

「お姉ちゃん、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。玲ちゃん」

 真輝は傷を押さえていた手を離した。そうすると咬み傷がみるみるうちに塞がっていった。

「……なんだと!?」

 夕夜は驚きを隠せない様子で声を上げる。

 玲は淡々と話始める。

「お姉ちゃんは元の魂を核に、私の霊力で肉体を構築してるんですよ。物理的に破壊するのは不可能です」

 夕夜は玲の話を聞いて舌打ちをする。

「死と魂を弄ぶ邪法だな。理を守ろうという霊導士がそれで良いのか?」

「言ったじゃないですか、私たちは『なんでもあり』だって」

「……なるほどな」

 夕夜は唸りを上げて身構えているギンの元まで歩いてゆく。夕夜はギンの体に触れる。

「ギン……早いけど俺の魂をお前にやるよ」

「……良いのか?」

「あぁ、だが、必ずあいつらを倒せ」

「分かった」

 次の瞬間、ギンの体が光に包まれ、その光が消える頃には巨大な白い狼の姿になっていた。

 夕夜は膝をつき崩れ落ちた。ギンはその体に鼻を寄せて頬を擦り付けた。

 ギンはしばらくそうして動かないでいたが、やがて立ち上がり真輝の方に向き直った。

「お姉ちゃん! 気をつけてください!」

 真輝は構えを取る。

「うん」

 ギンは静かに息を吐いた。

「行くぞ」

 ギンは高く遠吠えを上げた。その瞬間、境内の空気が変わる。

 辺りに満ちていた邪気がギンの元に収束してゆく。そしてその力はギンの体を覆い尽くしていった。

 真輝は全身に鳥肌が立つのを感じた。

 ギンは真輝の方向を向いて大きく吠えた。次の瞬間、ギンから放たれた強烈な衝撃波によって真輝は吹き飛ばされ、背後の大木の幹に叩きつけられた。

「きゃ!」

 あまりの衝撃に真輝は気を失いそうになる。しかし何とか意識を保ち、よろめきながらも立ち上がった。

 ギンは立て続けに衝撃波を放つ。真輝は掌を前にかざし、相殺させようと不可視の力を行使する。

 真輝とギンの間では目に見えない力がぶつかり合い、空間が軋むような音が響く。

 ギンは真輝に向かって走り出した。真輝はそれを止めようとギンのいる方へ手を向ける。

 ギンはそれに構わず真輝の懐に飛び込む。真輝はギンの巨躯に押されて尻餅をつく。

 ギンは真輝の肩を噛み砕こうと口を開く。真輝はギンの頭を掴むと、地面に思い切り押し付けた。

 ギンは地面から口を離し、真輝の腕を払い除けると、再び飛びかかった。

 真輝はそれを受け止めるが、ギンの勢いを殺すことができずに、背中から倒れてしまう。

 真輝の喉元を狙ってギンは鋭い牙を突き立てる。

「お姉ちゃん!」

 玲は悲鳴のような声を上げた。

 ギンは噛み付いた真輝の首を何度も持ち上げて、地面に叩きつける。最後は宙に真輝の体を投げ上げると、落下してきた所を爪で切り裂いた。

 ギンは真輝から距離を取り、低くうなり声を上げながら玲を睨み付ける。

 真輝は血まみれになり、ぼろ雑巾のように横たわっている。

 玲は唇を強く噛んだ。

 玲はギンの方を向き、神楽鈴を構える。

 完全に意識を失っていると思われた真輝は上半身を起こした。ゲホゲホと咳き込みながら血を吐き出す。

「大丈夫ですか!?」

 玲は慌てて駆け寄り、真輝を助け起こす。

「大丈夫だよ。玲ちゃんは後ろで見てて」

 ギンに噛みつかれた首元の傷や、体の傷はどんどん癒えていく。服には血が滲んでるが、もう出血は止まっていた。

 ギンはその様子を色も交えずに眺めている。

「……夕夜はお前たちを倒すために命を投げ出した。お前たちは生かしておかない。何度でも殺す」

 真輝はゆらりと立ち上がって玲を下がらせようとした。

「……玲ちゃんには絶対手を出させない。あなたの相手は私がする!」

 玲はこくりと頷いて後ろへ下がった。そして真輝に声を掛ける。

「時間を稼いでくださいお姉ちゃん。ここまで邪気が大きくなってしまった狗神は私たちの手におえません。……『神降ろし』をします」

「分かった」

 真輝はそう返事をすると、ギンの方へ向かって歩き出す。

 玲は、神楽鈴をしゃんと鳴らす。そして精神を集中させて緩やかに神楽を舞い始めた。

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