第11章 呪詛と祝福

 夕暮れから山道を歩き続けて、俺は目的である山の中の小さな寺に辿り着いた。そこらの民家からくすねたガソリンを持ち運ぶために携行缶を持っていたので余計な体力を使ってしまった。寺といっても、もう長いこと手入れなどされていないのだろう。境内にある建物もボロボロになっている。

 空には真っ赤な満月が昇っている。特に懐中電灯を使わずとも境内は薄く輝いてる。

 俺は、持参してきたガソリン入りの携行缶を手に取る。

 俺が今いる場所は山の中腹にある開けた場所であり、周囲に人の気配はない。ここで何をしようが目撃される心配もない。

 俺は寺の入り口を開いて中に侵入する。中には古ぼけた仏像が安置されており埃を被っている。

「やるのか夕夜?」

 振り返ると狗神のギンが賽銭箱の辺りで座り込んでいる。

「あぁ、こいつで世界がひっくり返れば良いのだけどな」

 ギンは表情の読めない赤い瞳で見つめ返す。思えばこいつはお役目として俺に付き従ってるだけなのだが、何を考えてついて来ているのか聞いたことがなかった。

「なぁ、お前は俺がやっていることをどう思う?」

 俺の言葉に、ギンはしばし沈黙する。それから口を開いた。

「さて、私は夕夜がやってることに従ってるだけだ。人間という存在が愚かであることは知っているが、夕夜がされてきた事を思えばその行動原理は理解できなくもない。私にとっても、この世界は果てしなく狂っており残酷な世界だ。私と夕夜にとってこの世界は相容れない存在だ」

 俺が生まれる前からいたこいつもそんなことを考えているのだなと思うと少しおかしくなった。

「俺だって、最初から自分がやってきたことが正しいとは思ってねえよ。それでも、他にやり方を知らねぇんだよ」

 俺はそう言いながら、ギンの近くへ歩いて行った。ギンは再び口を開く。

「そうだ、正しい方法なんて誰も知らない。だからこそ、自分の考えが常に正しく、他人が間違っていることを証明しようと躍起になる。正しさの基準が揺らいでしまうからだ。だが、それで良いのではないか。夕夜のしていることが本当に間違っていないのなら、誰かに否定されようと気にする必要などないだろう」

 俺は思わず苦笑した。

「それじゃ、俺が今までずっと間違ってきたみたいじゃないか」

「違うのか?」

「……違わねぇけどさ」

 思考の中で色々な考えが駆け巡る。人生の中のさまざまな場面で、俺はただひたすら否定されてきた。

 俺がどれだけ努力しても、俺の親父や村の連中は俺の努力を嘲笑い、馬鹿にし続けた。

 俺がどんなに頑張っても、俺の母親は死んで、戻ってこなかった。

 俺がいくら足掻いても、俺の人生はろくなものにはなりえなかった。だから俺は、こんな腐った世界をぶち壊す。

「なぁ、お前は俺と一緒にいてくれるのか? 俺が間違ったことをしようとしたら止めてくれよ」

「当然だ。夕夜が間違えたら私が殺す。せめて夕夜の最後までは一緒にいるさ」

 ギンは即答した。迷いのない言葉だった。

 俺は考えていた。

 もし、いつか世界が覆ったのならその時はギンが俺を殺してくれるだろうか?

 俺は改めて目の前の狗神を見据えた。

 狗神は赤い瞳で俺を見ている。その視線は俺の心の奥底まで見通してしまうような錯覚を覚える。

「なるほど、俺はもう十分に呪われているわけか」

「そういうことだ」

 俺は手を伸ばして、ギンの頭を撫でた。ギンは黙ってされるがままになっている。

「俺はお前を裏切らない。お前は俺を裏切りはしない。そうだろ?」

 ギンは答える代わりに、小さく息を吐いて目を閉じた。

 俺は立ち上がり、本堂の中央に置かれた仏像へと近づいていく。

「さて、始めるとするかな……」

 俺の言葉に応えるように、境内に吹き込んだ風が周囲の木々の葉擦れの音を立てる。

 まるで、俺のこれから行う儀式の観客のようだ。


 その時、凛と、鈴の音がした。


 来たか。俺はゆっくりと振り返る。


 寺の入り口には、緋袴と白装束の巫女装束を着た二人の少女が立っていた。

 一人は神楽鈴を持っておりゆっくりと歩みを進める。もう一人はその後を付き従って歩く。

「来ましたよ、石動夕夜。このまま貴方の行動を看過する訳にはいきません」

「巫女装束も持ってきて正解だったでしょ? 玲ちゃん」

「お姉ちゃん、締まりがないです。黙っててください」

「えぇ~」

 ギンが立ち上がり唸りを上げる。それを横目で見ながら、俺は二人に向かって笑いかけた。

「よくここが分かったな」

 神楽鈴を持った少女は、シャンと鈴を振りながら答える。

「この辺りで空海の結界が張られている場所はあと一つだけです。あとは貴方が動くのを待つだけでしたからね」

「……まぁ、そうだろうな」

 俺は肩をすくめた。

「で、どうする? 遊びに来たわけじゃないんだろ?」

 鈴の少女はまた鈴の音を鳴らす。

「もちろんです。私にとって貴方の悲しみも憎しみもどうでもいい。私は全てを祝い、そして禊ぎ祓う」

 俺は思わず笑ってしまった。こいつの実力がどんなものかは分からないが、少なくとも前の僧侶たちよりは楽しめるだろう。

「本気でこいよ、手を抜いたら殺すぞ」

 二人の少女は身構えた。ギンは今にも飛び掛からんばかりに牙を剥き出しにする。


 俺は、どこまで戦い続けたらいいのだろう? こいつは俺を止めてくれるのか?

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