愛なるものは不定で見え難きもの


 先ず三話、読ませていただきました。
 長くはなりますがご了承ください。

 まず感想を述べさせていただくと、愛なるものは不定で見え難きもの、である。
 以下、私の感じた話になりますので、面倒であれば読み飛ばしてください。

 
 まずは概要。小説の前門。漫画で言うなら扉絵の項。そこにこうある。
 愛するということは肯定すること。愛とは、優しいものであってほしい。
 愛情というのは感情が希薄的な動物ですらその片鱗を持ち合わせる非常に珍しい感情である。小動物の母親が、子供を守るために外敵に攻撃を仕掛ける話もある様で、とかくこのあまりにも説明のつかん感情というのは、まずもってこの物語にも題される通り愛というものが発端である。
 愛とは端的に言えば慕う心。該当する者に対して、かくもあれと思う心でもあれば、こうはならないでほしいと制する心でもある。他人に対して己の欲望を投げつける者とも思っていいかもしれない。従って之も持論だが恋と愛の違いなんぞ、その相手に対して受け手に回って接するか、それともせめてに回って詰め寄るかの違いだと私は思っている。甚だ浅慮すぎるが。
 さても、この上で言う愛と、この優しさというのは存外似ているものである。漢字で書いて『人を憂う』と書くこれは、奇遇にも該当する者に対してかくもあれ、こうはなるな、という一種の願望が働くが故のものである。

 易しさと優しさの違いは、したがって、ヒトの物言いにすぐ折れるのが『易しさ』。
 人の物言いに対して真摯に向き合い、より良い方向へ導いてくれるのが『優しさ』である。

 愛するということは認め、肯定をすること。肯定し、認めるからこそその人を憂う。ともすれば、必然優しさとは愛する心から滲んで現れるものなのだろう。
 愛情を知らん悲しい文字書きの戯言はここまでにして、爾今、一話ごとの感想とさせていただきたい。



 第一話

 物語は雷管の爆ぜた音とともに始まる。一つ、この世から命が消え去った。修羅道を望む影が二つ。鉛の弾丸が、二人の結託を祝福した瞬間らしい。

 序章は旦那の違和感である。長年連れ添ってきた奥方の、元気がないらしい。声色にも覇気がなく、出で立ちも重臣が偏り気味で、どこか不安定な姿であると。結婚して特別な関係を結べば両方、こういった些末な違いにも気づけるようになるといわれる。雰囲気とも、その風ともいわれるが、とかくその砂粒にも満たん違和感を旦那は察した。思うところはある。仕事の多忙を理由に妻にかまってやれてないというところだ。
 この考えができる点では、この旦那さんもまだまともな人間であるかもしれない。世には働き、銭を入れればそれのみでその他の責を一切合切背負わぬものもいる。金を入れれば文句はあるまいと、傲慢ちきに過程を蔑ろにするものもある始末だ。構う構わぬ、という人同士のじゃれあいの有無を懐疑点に入れて憶測を踏むあたり、妻のことをそれなりに愛情を持っている者と見受けられる。

 旦那の独白の最後の方。これは三話であらかた拾われる部分だろう。旦那は、確かに恋人としての彼女を愛していたのだろう。だが、彼は哀れなほどに愛情を表す言葉を持っていなかったらしい。伝わらぬ愛など水に溶けた綿あめに同じ。いくら自分が甘い気分に絆されていても、相手は味のしない液物をたしなむ結果となる。
 
 一方の妻。
 
 旦那の憂慮とは全く関係のない方向に彼女は陥り、そして参っていた。発端は昨晩の電話。匿名者が妻の持つ罪をちらつかせてホテルに誘致した。妻はその声に覚えがあるらしい。
 この妻も決して潔白な人物ではない。人並に隠していた、否、人以上に隠されなければならぬ汚点の数々があった。生活の困窮を理由に、その手でモノを掠めとった。一度ではなく、何度も。黒色に手を染め、脳裏に罪悪感がへばりつき、だが脳髄はその悪行に一種の悦楽を覚えるほどに汚れた。いくらかはおそらく、生活のためではなく、己の快感の為だけに店に損利を出させたこともあるだろう。
 しかし罪とは、手から染められ最後は全身に回るものである。全身に回れば、くまなく罪の色だ。ともすれば御足がつく。妻の断罪の時が来た。声の主、匿名者がきっと妻の犯行の足を見たのだろう。

 悪事がバレれば、旦那とも離縁になるやもしれぬ。そうなれば母の病院代を払う金も、翌日からの食い扶持がなくなるのだ。
 かくて彼女は絶望に在った。だがこれは今に始まったわけではない。
 たった一度。初めて犯行に手を染めた、一番最初の『あの』時点で、この運命は決定されていたのかもしれない。

 

 第二話

 今朝抱いた方寸の蟠りがほどけぬ今、旦那の下に案件が舞い込んでくる。家の、すぐ近くの取引先らしい。訪問するともなれば、少し妻の顔を拝むこともできるだろう。彼の暗雲垂れ込める心を慮れば、そうしようと感上げるのも宜なるもの。
 旦那は家路につくことにした。
 ……その頃には、もう妻はいないだろうけれど。


 一方の妻。呼び出されたままに、目的地に向かう最中である。
 昼下がり。太陽もまだ空高くに座する時節。さぞ彼女の見る田園風景はまぶしかったことだろう。後光の如くに盛える日光と、どこまでも青々しく続く風景。青天白日とは、文字通り青空を背景に太陽が燦々とするさまを指す。その他、人による隠すべきことが微塵もない、清らかな意味合いもある。彼女に、この風景はどう映るか。まぶしすぎるだろう。青天を着れるほど己は清らかではなく、白日を拝めるほどに清潔ではなかった。気分も晴れない。
 
 専ら、彼女の方寸に在るのは旦那と運命的に再開した時の回想である。
 首の皮一枚、と言っている。彼女が万引きという犯罪から身を引いた直後辺りらしい。彼女の生活の困窮は変わりなかったが、そこに実父の葬儀が重なり、家計がさらにがたついた。昨今の葬儀もかなりの費用を要する。何千、何万のやりくりで車輪に火のついた車をいかに転がして回るかというレースを余儀なくさせられていた妻は、遂に債務という道を頼るしかなくなる。これについては生々しくも実にリアルな話である。心臓が痛くなる話だ。

 そんな中に再開したのが旦那。渡りに船。彼には後光が見えたものだろう。それに、大躍進を遂げたうえでの再会だった。
 久闊を叙し、再会を喜ぶ二人だが、二度目の食事の時に妻は困窮した現状を話した。旦那は、これを否定をせずそれでも妻を認めた。その上で、支援すら快諾してくれた。

 妻は之を、苦難に耐え続けた救済であると納得した。これは正直、甚だ愚かしい事にも思える。犯した犯罪を仕方がないで正当化し、真っ当なものとして昇華も致さずに救済も何もないだろう。妻は旦那に、己に差した影ばかりは白状せんだったのではないか。ともすればこの婚姻にも、どうしてもまだぬぐい切れぬ暗闇が付きまとうものである。見たくないものに蓋をすれば、なるほど視野には入らない。だが、見たくないものというのはそれでもずっとそこにいる。
 天網恢恢疎にして漏らさず。贖罪を成さずして得られる幸福など底の見えた虚仮ものである。神様はいつでも釣り針をもって獲物の引っかかるのを座して待っている。



 第三話

 夫方はかなりニアミスなところになりつつあった。家に帰宅すると妻は居ない。妻行きつけのスーパーマーケットにまで足を運んだ。いない。ならば義母の病院か、と車を走らせる寸前だった。夫からすれば、今朝の元気のなさと言い、彼の方寸の心配といい、ハタと思うに違いない。行方不明を疑い、探索するのもうなづける。だがここで旦那は仕事を優先した。そのようにも思える。ある種での揺らぎが彼自身にもあったのやもしれん。


 一方の妻

 呼び出し人の居る建物に着いていた。妻様子をみるに、やはりこの一方は旦那の持つ『それ』ほどの愛を、相方に抱いていなかたのかもしれない。そう思われる節がある。
 どうにも妻方はこの男に幾度か身体を許した痕跡がある。それも、おそらくは旦那と付き合っている期間のいずれか、であるようだ。
 一話でもあったとおり、高校時代の妻と旦那の関係は底冷えたものだったらしい。お互い、最初は良かった。だが時間が、そんな幸福を裂いていった。何の進展も生まぬ恋愛関係というのは、軋轢を加え続けられるガラスに等しい。最初こそ名目上の関係があるからお互いは気まずいまでも尊重しようとする動きも見えるだろう。だが、ガラスはひびが入るとそこから崩れるまでのスパンがかなり短い。一度関係に衝撃の一つでも加えると、あっという間に粉々に砕かれる。
 衝撃とは間男の呉谷のことだ。妻の女性らしさをくすぐる軽い衝撃の数々は、遂に彼氏を持っていながら不貞を結ぶほどまでに陥れた。もしや呉谷のいう罪とは、この浮気のことじゃなかろうか。十年越しの罪だといわれるとあまり重大なものではないかもしれないが。

 結局妻は、多少の罪悪感はあれど間男の呉谷と逢う日々を過ごした。その不貞すら、根底で旦那のせいにして。
 おもうに妻方は他責を常用する節がある。進む先は、きっと誰も幸せになれぬ、だれも幸せにできぬ未来しか待っていないのではないだろうか。


 統括したい

 三話まで、と書いたが実際のところ五話まで読ませていただいた。何というか泥濘の字も優しく思えるような酷くどろどろとした不倫の話だった。ある一方は嫉妬。ある一方は秘密の保守。唯一まともともいえる旦那も、あるいはどこかで朱に交わるときが来るのだろうか。そう思うとハラハラして堪らなくなる。
 四話、五話まで読んで、まあ妻が落ちていく様には「ああ、やはりか」という落胆に近い思いがした。旦那が、妻に対しては芯に愛情を持ち合わせているのに対し、妻は全くこの旦那という存在に焦点を合わせていない。あくまでこの家庭関係の崩壊が彼女にとっては問題なのであって、こと旦那と離別するに於いての悲劇の点は、愛情や思いやりという面ではなく、彼が手綱を引く背後の財産でないかとすら思えるのだ。良くも悪くも、大人な愛の話。まだ最初の最初でしかないが、私が思うにこの話とは、愛や優しさという赤桃色の感情よりもっと、灰色じみた、セピアで冷徹な感情こそ煌めいて見えた次第である。



 さて、私の感想は、愛なるものは不定で見え難きもの、である。

 正直言うと! ……私は純愛が好きで! ……大分心が、うぐッ。

 しかし、さらに正直言うといい体験をさせていただいたとも思う。こればかりは感謝したい。いやはや、どうしても己の得手不得手に際し、読むか読まぬかの選択が自由であるならば手に取らぬ、という方をしてしまうわけだけれど、私は感想を書かせていただくに際して、目をつむらず真正面からこの物語を拝読させてもらった。
 妻は何度か背徳感に支配されて暴走してしまうところが散見された。高校時代の不貞然り、万引き然り。この背徳感、というのが、いわゆる寝取り寝取られの醍醐味であるのかもしれん。殺戮を法で禁止されている昨今、日本国内でそれを実現するには電子世界に没入するしかない。それと同じで、現実で行えば必ずSNSあるいは現実で焼き鏝《ごて》を押される、そんな人道すれすれの行為を、実際やるわけにもいかないからこういった作品として危機的な背徳感を味わう。という手合いなのかもしれない。実際私は読んでてハラハラした。両手で目を覆いつつ、だがその隙間から様子をみていた。この不穏な空気のせいで手が止まらん。
 
 さて、感想で愛なるものは不定で見え難きもの、とは言ったが、これは純愛を愛した私の戯言である。旦那のなぁ。学生時代のなぁ。淡い感情が可視化できてりゃなぁ。間男と繋がんなかったかもしれんなぁ。

 もちろんこれは三話まで(五話目までだけれども)の感想である。すべてを読み尽くした後のものではないから、以降の展開も目を背けずに在らねばならんものである。究極的に言うとマジで結末が知りたい。

 大変、大変面白く読ませていただきました。
 応援させていただきます。

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