第10話 エピローグ~心残り~
暑かった夏がようやく終わり、東京はさわやかな風が吹く快適な季節を迎えた。
あれから正樹は週末になるとマクドナルドに通い、まりえに会いに行った。毎週のようにカウンター越しに楽しそうに話をするまりえと正樹を見て、ある日店長が正樹に声を掛けた。
「ねえキミ、毎週ここに来てまりえちゃんと話すのがそんなに楽しいか?ならば、ウチでアルバイトでもしてもらえないかな?この店は神宮球場や国立競技場が近いから、イベントがある時は、忙しすぎて猫の手も借りたいんだよ」
「いいんですか?僕は単にまりえさんに会いたくて来てるだけなんですけど」
「いいんだよ。というか、ここで働いたらいつでも好きなだけまりえちゃんと話ができるぞ?」
「あ、言われてみたらそうですよね。アハハハ」
こうして正樹は、マクドナルドのアルバイト店員として雇われることになった。最初はスーパーのレジの経験を買われてカウンターを任されたが、スマイルがぎこちないというだけの理由でキッチン担当に回されてしまった。
正樹は厨房の中で、揚げたてのフライドポテトを次々に袋に詰め込む作業を止まることなく続けていた。今日は神宮球場でヤクルトスワローズの試合があるらしく、そろいの法被と青い傘を持った応援団らしき人達が続々と店内に入ってきた。今年のヤクルトは
「おい、添田君!フライドポテトの仕上がりのが遅れてるようだけど?フライドポテトが無いと、セットメニューを提供できないじゃないか!」
「は、はい、すみませんっ」
「まったく、まりえちゃんのスマイルばかり見てボケーっとしてたんだろ?」
「いや、そんなわけでは……」
すると、まりえが突然カウンターからキッチンの方を振り向き、睨みつけるように正樹を見ていた。
「いや、違うって、まりえさん!誤解しないでよ」
「じゃあ、バイト終わったら一緒にデートに付き合ってくれる?夕飯は正樹さんのおごりでね。そしたら今のは忘れてあげる」
「い、いいけど……」
するとまりえは、目では正樹を睨みつけながらも、口元から白い歯を見せながらそっと親指を前に出した。その様子を見て正樹は胸をなでおろしたが、一人暮らしの貧乏な大学生には「おごり」付きのデートは罰ゲームに等しいものがあった。
☆☆☆☆
アルバイトが終わり、正樹は地下鉄の入口でまりえが来るのを待ち続けていた。地下鉄からは青い傘を持ったヤクルトファンが続々と出てきた。そんな中一人ぼっちで待ち続けるのは心もとなかったが、ヤクルトファンの賑やかな声に交じって「待たせてゴメンね」という言葉が耳に入った。正樹が振り向くと、真後ろにえくぼと白い歯を見せて微笑むまりえが手を振っていた。
「おつかれさん。今日もまりえさんのスマイルで、うちの店は大繁盛だったね」
「違うよ、正樹さんだって見てたでしょ?野球観戦の人達だよ」
まりえはそう言うと、お得意のスマイルを浮かべながら正樹の手を握った。
「今日はどこに行きたいの?」
「もんじゃ焼き食べたい!月島行こうよっ♪」
「な、何だよもんじゃ焼きって、ずいぶん渋いなあ。まりえさん、まだ高校生だろ?渋谷とか原宿には行かないんだね?」
「渋谷はチーマーがいて夜歩くのは怖いし、原宿は中学生までなら楽しいけど、今はガキっぽいと思うから」
「じゃあ、大人がいっぱいいるところに行こうか?田町で降りて、ジュリアナ東京とかどう?」
「やだあ!憧れるけどまだ私には早いもん。大学生になったら、ジュリアナのお立ち台で踊ってみたいけど。羽根つきの扇子持って、こーんな短いスカート穿いてね。あ、その時には正樹さんも一緒に来てよね」
「え?それって、俺に優先的に下着を見せてくれるってこと?」
「違う!私のボディガードだよ。私の下着を見ようと近づいてくるエッチな人がいた時の撃退役だよ」
「何だよそれ!つまんねえの」
二人は夫婦漫才のように互いにボケては突っ込みながら、座席にもたれてしばらく歓談に興じていた。車内に次の停車駅のアナウンスが流れたその時、ホームの上に警察官が集まっている物々しい様子が正樹の目に止まった。
「何があったんだろう?あんなに警察官がいるけど……」
「ちょっと降りてみてみようか?」
「え?でも、何だかきな臭いものを感じるんだけど」
「いいじゃん。ちょっとだけ見てみよう。ね?いいでしょ?」
興味深々に駅の様子を見つめるまりえを見て、正樹は面倒くさそうに頭を掻きながら「ちょっとだけだぞ」と言って、座席から立ち上がった。
ホームに降りると、数名のの警察官が怪しげな風貌の男性の両脇を抱え、地上へ続く階段の方向へ連行しようとしていた。
「あれ?あの人どこかで見たような……」
冬彦さんを連想させるような七三に分けた髪と丸くて大きなレンズの眼鏡、挙動不審な体の動き、そして時折狂ったかのような叫び声を上げる様子を見て、正樹は確信した。そして正樹は、連行する警察官のすぐ近くで警備をしていた警察官に尋ねた。
「あの人って、他にもここで誰かに付きまとったり、不気味な叫び声を上げたりしていませんか?」
すると警察官は大きくうなずき、感慨深そうな様子で男性を連行する姿を見届けながら口を開いた。
「あの男が若い女性につきまとっては嫌がらせをしたり、暴力をふるったとの苦情が我々警察の所に相次いでいましてね。あの男から必死に逃れようとした結果電車に接触し、お亡くなりになった女子高校生もいましたので、我々もこれ以上放置できないと思い行方を追い続けていたんですよ」
やはりそうだった。あの男は千夏につきまとっていた張本人だった。一方であの男のお蔭で、正樹と千夏が出会ったのも事実であった。正樹は複雑な思いを抱きながら、男が警察官に連行されていくのを遠くから見ていた。
「あの男、この駅で千夏さんを追いかけてきたんだ。千夏さんは男から逃げようとして電車に接触して命を落としたんだ」
「え?え?あの人が千夏ちゃんを?」
「そうさ。直接手を下したわけじゃないけどね。その後僕はこの駅から電車に飛び乗ってきた千夏さんに会ったんだ。その時も千夏さんはあの男に追われていたんだよ」
「死んだはずなのに?それって本当に千夏ちゃんなの?」
「本人だよ。手を触れたらちゃんと温もりもあったんだ。だけど、地下鉄から一歩でも地上に出ると、姿が全く見えなくなっちゃってね」
正樹は鼻の辺りを指で掻きながら、まりえに千夏と出会った時のいきさつを話した。
まりえに千夏とは恋仲だったことを話そうかと迷ったが、今ならば話しても大丈夫かな?と判断した。
「ふうん、そうか……正樹さん、千夏ちゃんと付き合ってたんだね。だから千夏ちゃんから私のことを色々聞いていたんだね」
「ああ。ごめんな。今まで話さなくて」
「でもさ、正樹さんが出会った時にはもう死んでいたんだもんね?」
「うん。だけど俺が見た千夏さんの体はしっかり生きていたよ。地上に出たら姿が見えなくなったけど、魂はしっかり生きていたよ」
正樹はホームの片隅に備えられた花束やお菓子を見つけると、しゃがみ込んでそっと手を合わせた。
「すごいね。こんなにいっぱいお花が供えられていて」
「みんなから愛されていたんだよ、千夏さんは」
まりえも正樹の隣に座ると、一緒に手を合わせた。
「きっとさ、千夏ちゃん、まだ死にきれなかったのかもしれないね」
「え?」
「ここからは私の勝手な推測だけどね……千夏ちゃんにとってはおそらく不本意な死に方をしたから、死んでも天国に行かず、そのままこの世をさまよっていたのかも。私がもしそんな死に方したら、心残りだらけできっと死ぬに死ねないもん。幽霊でもなんでもいいから生きてやる!ってあがいてたかも」
「どうしてそんなことがわかるんだよ?まだ死んでもいないのに」
「だから私の推測だって!あ、そういえば千夏ちゃん、バイト帰りによく『彼氏が欲しい』って言ってたな。きっとそのことが心残りになってたかもね?」
「そうか……」
まりえの何気なく言った言葉に、正樹は思わず反応した。千夏の母親である歩美も同じことを言っていた記憶があったからだ。
「どうしちゃったの正樹さん、急にしんみりしちゃって」
「あ、いや、何でもねえよ!ほら、早く行くぞ。腹減ってるんだろ?月島まではここからまだかかるからさ」
「アハハ、そうだね。あ、ちょうど電車が来たね。早く乗らなくちゃ」
正樹とまりえの二人は再び手を繋ぎ、ホームに到着した地下鉄に乗り込んでいった。
そして二人と入れ替わるように、一組の親子連れがホームに降り立った。
両親に手を引かれた小さな女の子は、真正面に並べられたたくさんの花束を物珍しそうに見つめていた。
「ねえパパ、ママ。あそこにいーっぱいおはながおいてあるよ」
「おや、そうだね。近くまで行って見てみようか」
三人は花束の前に立つと、母親が口を開いた。
「ここでお姉さんが電車にひかれて死んだんだって。だからお友達がここにお花を持ってきたみたいだよ。天国に行って幸せにくらしてねって」
「てんごく?」
「そうだよ。死んだら天国に行くのよ」
「ホントにいけるの?」
「本当よ。ママはウソは言わないよ」
「ホントに……いけるのかなあ?しあわせになれるのかなあ?」
「大丈夫よ、奈緒もきっと行けるよ、今がんばって勉強すれば幸せな人生を送れるわよ。さ、もう行こうか。ピアノに遅れるわよ。それが終わったら今度は英語のお勉強よ」
「うん……」
「なあ
「
母親はそう言うと娘の手を強く引き、父親をホームに置き去りにして地上へと続く階段を足早に昇っていった。
「ごめんよ奈緒。もうすぐ一家で俺の田舎に引っ越すから、その時には今より自由になれるからな。勉強なんかしなくていいから、一緒に魚釣りでも行こうな……」
父親は申し訳なさそうにつぶやくと、急ぎ足で母親と娘を追いかけていった。
~To be continued 一瞬の夏 my moment lover ~
(おわり)
一瞬の夏・1992~あの夏、僕の隣に君がいた~ Youlife @youlifebaby
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