天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第27回
恋愛感情が欠落している拓也には、全く表面に現れない異性の嫉妬心を、推し測るだけの経験則がない。それでも小説や映像作品を通して、他人事としての知識はある。また学校生活を通して、思春期の女子の中には、男子の及びもつかぬ大人びた感性の持ち主がしばしば存在することも知っている。
しかし――真弓が沙耶を貶めようとした? それも自分が原因で?
拓也は、ただ黙りこむしかなかった。
「……もういいよ、お父さん」
沙耶が蚊の鳴くような声で言った。
「二人とも、帰してあげて」
隣の綾子は、堅く唇を結んでいる。
康成も無言である。
沙耶は悲しげに言葉を変えた。
「……哀川君だけでも、帰してあげて」
綾子が口元を緩めた。
それぞれ思うところが違うらしい妻子の、その双方を愛しげに見つめ、康成はゆっくりとうなずいた。
そして拓也に、
「ともあれ、真弓君の行動が私の妻子に重大な災禍をもたらした――それだけは理解してくれたね、拓也君」
「……はい」
「じゃあ、君は家に帰りなさい」
「はい?」
「君が望むなら、真弓君も連れて帰ればいい」
「……いいんですか?」
沙耶と綾子は、それぞれ違った面持ちで、意外そうに康成を見ている。
「まあ、真弓君の罪は、あちらの茉莉君に比べれば、まだ軽い気もするしね」
康成は意味ありげに、台所の犬木茉莉を顎で示した。
「ネットに出回った例の動画は、あの子が自分で坂本君に売りつけたんだ。内容的に大手の文潮社から表に出すわけにもいかず、坂本君は部分的にボカした上で、ネットに流出した。結果は予想通り大炎上、その週の週刊文潮は大増刷――そんな経緯さ」
そう言って康成は、懐から、またスマホを取り出した。
今度は彼のスマホでも真弓のスマホでもなく、iPhoneの最新型高級機、これ見よがしのゴールドカラーである。
「こんな高価な
「…………」
「だから今後の事は、君の手に委ねようと思う。ただし――君があちらに連れ帰るまで、真弓君は目をさまさないよ。それに、帰り道は来た道より、ずいぶん難儀かもしれない」
康成の目の奥に、闇が戻っていた。
「私はこれから風呂に入るんだ。『飯、風呂、寝る』の、つまらん亭主だからね。だから君を送って行けない。そして私がいないと、あのエレベーターは、そもそも存在しない」
康成が顔を天井に向けた。
「つまり君は、眠ったままの真弓君を背負って、あの非常梯子を昇ることになる」
康成の視線を追って、拓也も天井に開いたままの大穴を見上げた。
天井の外には、エレベーターシャフトを思わせるコンクリートの縦穴が、どこまでも上に続いてる。
「十八階まで昇れば、あの部屋に出られる。でも、ここからだと二十階分を超える勘定だね。君一人なら楽勝だろうが、背中で眠っている人間は、想像以上に重いものだよ。ちなみに屋上にも出入口があるはずなんだが、さすがに私も試したことがない。君一人だって難しいだろう」
頭上の縦穴が、現在のこの家と物理的にどう重なっているのか、下の座敷からでは見当がつかない。それでも底から見上げると、昼に真弓が引きこまれた時、縦穴の奥が微かに明るく見えた理由が解った。
頭上遙か、彼方まで続く縦穴のそこかしこに、蝋燭の炎を大きくしたような明かりが、ゆらゆらと揺れ動いている。しかし蝋燭とは違って、蛍火のように青白い。そんな炎の塊たちが、細く長い尾を引きながら、宙を飛び
「あれらがいったい何物なのか、私にも判らない。もしかしたら、昔は私たちと同じ者だったのかもしれないね」
「……人魂」
「鬼火、と呼ぶ人もいる」
なんであれ、あの中を昇るしかない――。
拓也は腹を据えて、康成に訊ねた。
「触ると熱いんでしょうか」
「いや、むしろ冷たいくらいだな」
「なら便利かもしれません。照明代わりにちょうどいいし、冷房にも使えます。上に帰るまで、ずいぶん汗をかきそうですから」
「……君は本当に面白い子だね」
康成は、むしろ親身な口調になって、
「帰り道が嫌になったら、いつでもここに戻ってきたまえ。歓迎するよ」
康成の目の奥にある真意を、あえて拓也は読もうとしなかった。
沙耶の父親が望んでいるのは、自分と真弓への罰なのか、あるいは赦しなのか――。
結局、それは拓也が選ぶしかないのである。
天壌霊柩 序ノ壱 ~超高層のマヨヒガ~ 〈完〉
(この物語は、異なった登場人物たちによる【天壌霊柩 序ノ弐 ~式神たちの旅~】と並行しており、今後は両話の人々が合流して【天壌霊柩 破ノ壱 ~無辺葬列~】に続きます)
天壌霊柩 序ノ壱 ~超高層のマヨヒガ~ バニラダヌキ @vanilladanuki
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