第一章

 高校二年の春、修学旅行で京都に向かう新幹線の中で、結婚についてなつおうと夢を語り合った。

 あの時は、それはもっと先の、遠い未来のことだと思いながら──。


 修学旅行の旅程は二泊三日で、自由に京都観光をすることになっていた。京都に到着するまで、まだたっぷり時間があるため、みんな自由気ままに友人たちと盛り上がっている。

 車窓から見えるさんを写真に収めている生徒たちもいた。

 あかりと夏樹、美桜の三人も、すっかり開放的な気分になり、テーブルの上にお菓子の袋をさっそく広げてつまんでいた。

「結婚式挙げるなら、ドレスはね。プリンセスライン!」

 チョココーティングされたクッキーをプラプラと揺らしながら言ったのは、夏樹だ。

「頭にフラワーリング。世界一、幸せな日になるの」

 美桜も、夢見るようにうっとりして語る。

 先週、夏樹が参列したの結婚式の話題から、いつの間にかすっかり自分たちの結婚の話に夢中になっていた。

「お色直し、たくさんしたいよね! 和装とかも憧れちゃう」

 あかりが言うと、夏樹も美桜も「うん、うん!」とうなずいた。

「でもさ、まずは、プロポーズされなきゃねー」

 そこが一番の問題だとばかりに、夏樹は腕を組んでいた。あかりと美桜も、「そうだよね」といきく。

 いくら夢や理想を熱く語ってみても、肝心の相手がいなければ始まらない。今のところ、三人とも付き合っている男子はいなかった。将来、結婚することになったとしても、隣に誰が立っているのかは、ずっと先になってみないとわからない。

 その人は誰なのだろうと、もちろんあかりも想像してみたことはある。もうすでに知っている人なのか、それとも、これから出会う人なのか。

 いつもその相手の顔はぼやけてはっきりとしない。特定の誰かを思い浮かべたこともない。男子に告白されることは多かったが、今のところ断り続けている。

 もともと、引っ込み思案な性格のため、男子と積極的に話をしたこともなかった。

 他の女子からは、男子に人気だと羨ましがられることもあるが、あかりからしてみれば、それほどうれしいことではない。

 気が重い、というのが本音だろう。断ってがっかりしたような顔をされると、申し訳ない気持ちでいっぱいになるからだ。

 中学からの親友である成海なるみにそのことを打ち明けたこともある。

『あかりが悪いわけじゃないんだから、気にすることないよ。ごめんなさい、だけでいいんじゃないかな?』

 聖奈はそう言ってくれたが、やはり罪悪感のようなものは完全にはぬぐえない。特に、付き合えない理由を追及されると、困って無言になってしまう。

 相手のことをよく知らない。それなのに、付き合いたいとは思えない。

 恋という感情が、正直なところあかりにはよくわからなかった。『はやさかさんは、理想が高そう』と、陰で言われているのも聞いたことがある。

 そうなのだろうかと、たまに考え込んだりもする。自分ではまったくそんなつもりはないのだが、男子の告白を断り続けてきたせいだろうか。その中には、女子に人気のある男子もいたようだ。その男子を振ったりしたものだから、『お高くとまっている』と女子たちの目には映ったらしい。

 もちろん、あかりのことをよく知っている夏樹や美桜、聖奈たちは、そんなことは言わない。あかりが男子を振ったと聞いても、『それはそうだよ。知らない相手にいきなり告白されても、困るし!』と、夏樹などは言ってくれる。美桜や聖奈もそうだ。理解を示してくれる。

 それはとても気持ちを楽にしてくれるのだが、その一方でこのままではいつまでっても『恋』などできないのではないか、と不安にもなる。

 それとも、まだ、出会っていないだけなのだろうか。この人だと思えるような運命の相手に──。


 あかりの隣の席に座る夏樹は、「これ、おいしい……!」とお菓子を頰張って満足そうな顔をしている。

「なっちゃんは、結婚、早そうだよね」

 あかりはあごに指を添えながら、ふと思った言葉を口にした。

「えっ!? そうかな!?」

「うん、私もそう思う」

 まどぎわの席に座る美桜も、微笑ほほえんで頷く。真ん中の席に座っている夏樹は、あかりと美桜の顔を交互に見てから、「なんで?」と首をひねっていた。

「だって……」

「……そうだね」

 あかりは美桜と視線を交わし、クスッと笑う。

「えっ、もしかして、二人とも……ゆうのこと言ってる!?」

「違うの?」

 あかりがきくと、美桜も少しだけ声を小さくしながら、「私も……なっちゃんはそうなんだと思ってた……」と言う。

「違うよっ、優はそういうのじゃないってば!!」

 大きく手を振って否定しながらも、夏樹の顔は正直に真っ赤になっている。

 夏樹が幼なじみのぐち優のことを意識しているのは、毎日二人のことを見ていればわかる。夏樹が優のことを話す時には、いつも声が弾んでいる。

(もしかして、なっちゃん、自覚してないのかな……?)

 幼なじみとしてずっと一緒にいるから、大切な相手という感情が当たり前すぎて、それが恋だと認識していないのかもしれない。

(瀬戸口君はどう思ってるのかな……? なっちゃんのこと)

 そのことを今まであまり考えてみたことがなかったと気づいて、あかりはぼんやりと前を見つめる。優が夏樹のことをいつも気にかけているのは確かだ。

「優は幼なじみ! これからもそうだよ! だって、全然想像つかないじゃん。優と……付き合うとか……」

 恥ずかしそうに、夏樹は声を小さくした。美桜が「そうなの?」と、少し笑いを含んだ声できくと、「そうだよ!」と強がるように断言する。

「でも、お似合いだと思うな。なっちゃんと瀬戸口君」

「そういう美桜だって、もう心に決めた相手がいるんじゃないの?」

 夏樹がニマーッと笑ってきくと、美桜は「えっ」と驚いたようにまばたきする。

「うん、美桜ちゃんもこの人と決めたら結婚するの、早そう。しっかりしてるもん」

 あかりも夏樹の言葉に頷いて言った。

「ないっ、ないよ!!」

 美桜が慌てたように両手を振る。夏樹は「そぉ……?」と、ききながら美桜に寄りかかっていた。

「い…………いないってば……そんな人」

 頰をピンク色に染めながら、消え入りそうな声で言って、美桜は下を向いた。

 誰かの顔を想像してしまったのだろう。その相手が誰なのかは、きかなくてもわかる。

 映画研究部の男子、せりざわはるだ。美桜は一年の時から春輝とよく一緒に帰っている。そのせいで、『付き合っている』とうわさされることもあるようだが、二人とも友人同士という距離を保っているようだ。

「それに、春輝君が好きになるのは……きっと私みたいなタイプじゃないよ」

 美桜は顔を上げると、誤魔化すように笑みを作る。少し困ったような表情になっていた。

「うーん……そうかなぁ。こっそり探ってみる? 春輝はどんな女の子が好きなのか」

「いいよ、いいよっ! 変なこときかないで……っ。誤解されちゃうから!」

 オロオロしながら美桜が言うと、「わかった、わかったってば!」と夏樹は笑っていた。そんな二人を見て、あかりも微笑む。

 二人とも、もうすでにかたおもいの相手がいる。そのことが、ほんの少し羨ましい気がした。あかりにとって、恋愛はまだ想像の中で楽しむものでしかない。

「あかりは、どういう人が理想なの?」

「あっ、それ……私も気になる……」

 夏樹と美桜が興味深そうな瞳を向けてくる。


「年上の人とか、逆に年下とか? でも、あかりの彼氏になる人だから、絶対かっこいいよね!」

「うん、私も頼りがいのありそうな人だと思うよ」

 二人に言われて、「そうかな?」とあかりは首を捻った。理想のタイプときかれても、すぐに思い浮かばない。ただ、二人の言うように、頼りがいのある人のほうが良さそうだ。

 周囲からも、『早坂さんは天然だよね』と言われることが多い。実際に、よくぼんやりしたり、うっかりしてしまうことがあるからだ。しっかりした人が側にいてくれたら、きっといいだろう。

「スポーツが得意で、成績優秀。イケメンで、みんなからの信頼も厚いタイプとか!」

 夏樹が思いついたようにポンッと手をたたいた。

「なっちゃん、それ瀬戸口君……」

 美桜が苦笑気味に言うと、夏樹はハッとしたような顔になる。あかりもつい、笑いそうになった。

 夏樹の幼なじみの瀬戸口優は、女子の憧れと理想を詰め込んだような男子で人気がある。夏樹にとっての理想の男子も、やはり彼なのだろう。

「うーん、じゃあ、あかりと同じ才能あふれる芸術家タイプとか? 秀才タイプっていうのもいいよね~」

「スポーツマンかもしれないよ?」

「運動部のエースとか? サッカー部にかっこいい人がいるって噂になってなかった?」

「そういえば、あかりちゃん、よく声をかけられてたよね」

「そのうち、告白されるかも!」

 お菓子を持ったまま、夏樹がバッとあかりのほうを見た。

「もしかして、もう告白され……ちゃったりした?」

「う……うん……」

 あかりは小さく返事をしながら頷いた。顔はよく思い出せないが、なかなか熱烈な告白をされたことだけは覚えている。

「……それ、どうしたの!?」

 夏樹は真剣な表情をして、グッと寄ってくる。

「お断りしちゃいました……」

「そっか………っ」

 夏樹は座席にもたれてお菓子を頰張った。残念そうな表情だ。

「でも、あかりがいいって思った人じゃないと、ダメだもんね!」

「うん。そんなに簡単にOKできないよ。付き合うって、勇気がいるし……」

 美桜も夏樹の言葉に頷いてそう言ってくれる。

「やっぱり、あかりは年上の人と結婚する気がする! 落ち着いていて、包容力ありそうな」

「じゃあ、そういう人を探してみようかな」

 あかりは顎に指を添えながら、笑って軽く答えた。

「あかりと美桜は、どんなプロポーズされたい?」

 夏樹の質問に、「なっちゃんは?」と美桜がききかえした。

「私はねー。やっぱり、素敵なお店でおいしいものをおなかいっぱい食べながら、プロポーズされたい! バラの花束は絶対ほしいよね!」

「私は気持ちを伝えてくれるなら、どんなプロポーズでも嬉しいかな……あかりちゃんは?」

「私は…………逆プロポーズ、しちゃおうかな……」

 あかりがそう答えると、夏樹と美桜が驚いたように目を丸くする。

「逆プロポーズかぁ……それもいいよね!」

「うん、そうだね。いつまでも待てないんだから!」

 美桜が手をギュッと握りながら、大きく頷いた。三人ははじけるように笑う。

 理想の結婚についての話で盛り上がっているうちに、時間はあっという間に過ぎてしまう。


「そろそろ、降りる準備をしろよー」

 後ろの席に座っていた明智あけち先生が生徒たちに向かって指示をする。あかりたちも急いでテーブルの上のお菓子やペットボトルを片付け、バッグに押し込んだ。

 アナウンスが流れる中、電光掲示板には目的地の『京都』が表示されていた──。

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告白予行練習 東京サマーセッション2021 原案・HoneyWorks 著・香坂茉里/角川ビーンズ文庫 @beans

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