Epilogue

13-1

 その日俺は空港の国際線出発ロビーにいた。

 数日前に、数週間ぶりにメルからメッセージが入っていて、家族でギリシャに行くことになったと言われたんだ。

 別れを惜しむ家族や恋人たちでごったがえすロビーでも、メルはすぐに俺をみつけて手をふった。

 しばらく見ないあいだにメルはちょっと痩せていて、背も少し伸びて、やっぱりおふくろさんに似てきていた。

「元気そうでよかったよ」

 アマンダとの喧嘩から魔女の一件以来、メルは学校を休んでいた。

「メガネに戻したんだな」

「……こっちのほうが楽なんだもん」メルは恥ずかしそうに、両手の指先でフレームを押し上げた。

「来てくれてありがとう。あんなことがあったあとだから……ほんとに……メッセージを送るのもすごく怖かったの」

「ギリシャに行くんだって、マジで?」

「うん。パパの研究サバティカル休暇が七月から始まるんだけど……ちょうど遺跡の調査もあるし、その、わたしのこともあったから、前倒しで向こうに行って、転校手続きもしようっていうことになったの」

「ずっと向こうに行きっぱなしなのか?」

「わかんない」

 俺のせいで、言葉の通じない国の、知らない学校に行かなきゃならなくなるなんて――内気なメルに耐えられるだろうかと俺は思った。

「メル、ごめんな、俺の――」

「ディーンのせいじゃないよ」メルは微笑んだ。

「これはわたしのせい。半分くらいは操られてたかもしれないし、あの人は完全にわたしの味方でもなかったけど、わたしが百パーセント被害者ってわけじゃないの。いい気味だって今でも思ってる」

 そのとき俺の頭の中にうかんだのは――わかるだろ、「女はえーな」。

「だからたぶん大丈夫。さすがに、また、同じクラスで過ごすのは恥ずかしくてできないけど」

「メルは強いな」俺はすっかり感心していた。

「そうかな、そんなことないと思うけど……。でも、もうひとつやりたいことは増えたかもしれない。いつかこの経験を本に書くかも。シルヴェストル先生も、昔は小説家になりたかったんだって。……パパもその一歩手前よ」

 親父さんとおふくろさんは俺たちの声が届かない距離からこっちを見守っていたが、親父さんの視線を痛いほど感じた。

「マクファーソン神父さんは一緒じゃないの?」

「ああ。今日出発するってことは伝えたんだけど、病院に呼ばれちゃったんだよ」

 メルは胸の前で手を組んで、ほっと息を吐いた。

「……よかった。ほんと言うと、神父さんとはまだ顔を合わせられないの。わたし、ひどいこと言ったんだもん。謝りたいけど勇気が出なくて」

「クリスは気にしないよ」

「聖職者だって人間だもん。ゆるすのと、気にしないっていうのとは違うと思う――ああ、わたしがこんなこと言う資格なんかないけど。でも、きっと手紙を書くね」

「うん。喜ぶと思うよ」

「ディーンにも」

「……えーと。俺がもらっても、ろくな返事は書けないと思うぜ」

 そもそも誰かから手紙をもらったことなんか、生まれてこのかた一回もねーし。

「手紙のいいところはそこじゃない?」メルはくすくす笑った。俺は彼女のこの感じが好きだったんだとあらためて思った。

「メッセージだと既読無視されたら気になるけど、手紙だったら、宛先不明で戻ってこない限り、読んではくれたんだって思うようにしてるの」

 そういうことなら悪くないかもしれない。

「けど、なんか請求書の束みたいなの捨ててなかったっけ?」

「あれは――」顔が真っ赤だ。「やだ、見てたの?」

 なにかをごまかすみたいに両親のほうをふりかえる。

「そろそろ行かなくちゃ。その前に、パパたちがディーンと話したがってるから交代してあげなきゃ」

 メルが手をふるとふたりはこっちへやってきた。

 相変わらず――というか、親父さんの目は、クリスマスプレゼントがポケモンだとわかったときの子供みたいだった。

「また会えて嬉しいよ、ディーン!」寄ってくるなり、俺の手を両手で握った。「君には助けてもらったのに、きちんとお礼も言えなくて、ずっと気になっていたんだ」

「ど……どういたしまして」

「ジョシュ、あなた、それ以上失礼なことしないって約束したでしょ」

 おふくろさんが冷静な声で言った。

「わたしからもお礼を言わせてね。あのあと、あなたのことメルからいろいろ聞いたの。あなたはすてきな人だわ。娘が好きになるのもわかる」

「――ママ!」またムンクの『叫び』だ。

「娘にも、ジョシュアにも怒られるかもしれないけど」

 言って、おふくろさんははじめて会ったときみたいにすばやく俺をハグした。

 初対面のときよりもちょっとだけ長くて、ちょっとだけ力が強かった。

「ママひどい!」

「スザンナ、ずるい、自分だけ!」

 ……最後のはなんだ?

 三人の姿が搭乗ゲートに消えるまで、俺たちは手をふって別れた。

 よく、離れていても同じ空の下にいるっていうけど、俺は夜の子供だから、どっちかっていうと地面の下の世界のほうが親しい感じがする。地下の女神が俺のことを好きになったのも、たぶんそのせいだ。

 冬の空は目に痛いほど晴れていた。


 Fin.

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神の慈悲なくばII ~蜂蜜の花嫁あるいは冥府の女王~ 吉村杏 @a-yoshimura

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