[6]

 緑の闇にポツンと輝点が浮かんだ。閃きは一瞬でしかなかったが、ヴェラの網膜には鮮やかに焼き付けられる。位置を見間違えることはなかった。照準環が水平に移動し、銃火を閃かせた方の狙撃手に載る。

 光景はヴェラの脳裏で二重写しになっていた。


 あの日、ヴェラは古びたアパートの3階にある小さな部屋から街路を見下ろしていた。窓から少し離れた場所にテーブルを置き、イズミィルを構えていた。前部銃床は枕でレストしていた。テーブルの後ろに立ったヴェラは大きく足を開き、テーブルに上体を載せるようにしてライフルを抱え込んでいた。

 不意に、照準器に飛び込んできた光景にヴェラは息を呑んだ。

「そんなところで何をしてるの?」

 母が路地を歩いている。不格好なコードの中から何かを取り出そうとしている。

「母さん」

 刹那、照準環の中で母の身体を吹き飛ばされた。一瞬遅れた後、銃声が街中にこだました。幼い弟が興奮して母の亡骸に駆け寄り、地面に転がった何かを掴んだ。その瞬間、小さな身体が吹き飛ばされる。頭から噴水のように血が立ち昇った。

「やめて、やめて、やめて」

 ヴェラは泣き声を漏らしていた。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。ライフルを置いたテーブルの後ろを離れ、ふらふらと窓際にすがりついた。

「お前の母さんは手榴弾を敵に投げつけようとしてた」

 ギュイはバーボンが入ったグラスをもてあそびながら言った。ヴェラに視線を向けずにグラスに言い聞かせているように見える。

「じゃあ、ミーシャは?」

「母親の仇を討とうとした。勇敢な子だ」


 ヴェラは想像する。緑色に染まった敵が血に塗れ、砕けた骨や脳漿をまき散らしながら吹き飛ぶ刹那。狙撃手にとって最もきついのは、待つことではない。照準器に捉えた標的の表情や呼吸を耳元で感じることだ。相手が生きている人間であることを実感した瞬間、ためらわずにトリガーを切る。

 息を止めた。

 銃声が聞こえた。天から降り注いでくるような破裂音が轟き渡った。

 その時、緑の闇に2つ目の輝点が閃いた。ヴェラは落ち着いてトリガーを切った。

 イズミィルSV-98の機関部でリリースされた撃鉄が撃針を打ち、前進した撃針が7・62ミリ弾の雷管を貫いた。炸薬は瞬時に燃焼、熱いガスになって膨張し、銃弾を飛ばす。銃身の内側に切られたライフリングに沿って、銃弾がツイストを加えられながら銃口を飛び出した直後、銃身内に充満したガスがボルトを後退させはじめる。エジェクターが空になった薬莢を薬室から回転を加えつつ弾き飛ばす。いっぱいに後退したボルトは圧縮しきった複座バネが反発することで前進を始める。

 だが、ボルトが閉じなかった。遊底が弾倉の上端にせり出した次弾をくわえ込もうとした瞬間、敵の12・7ミリ弾がイズミィルを粉砕した。

 ヴェラは自分の手に違和感を覚えた。ライフルが掌で何倍も膨れ上がった。

 意識はそこで途絶えた。


 ギュイは階段を駆け上がった。闇夜に銃火が閃いた瞬間、頭上の屋根裏部屋から爆発音が響いた。ライフルの発砲音ではない。経験がそう告げていた。途端に悪夢がギュイの脳裏にまとわりついてくる。

 10年前にサファヴィで戦っていた頃、毎晩のように狙撃大隊の司令部として使われていたビルにあったバーに脚を運んだ。1日の疲れを癒すのに身体が強いアルコールを必要としたためだったが、本当の目的はヴェラの顔を見ることだった。

「お前の小さな身体のどこに酒が入るのか、不思議だな」

 屈託ない笑顔を見せるヴェラを眼にする。バーボンを飲み交わして、ヴェラにお休みを告げてバーを出る。それだけで、24時間続くような悪夢を脳裏から消し去ることが出来た。

 ギュイは屋根裏部屋に飛び込む。馴染み深い悪夢の光景が眼の前に広がっていた。

 血だまりの中、ヴェラは身体を九の字に折り曲げている。ギュイは右手でヴェラの眼を閉じてやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る