[3]

〈半年前〉

 撃つことがビショップの任務だった。だから10年経った今でも、サファヴィ人の女を撃ったことに後悔はしていない。あの女は死んだも同然だった。ビショップはただ、特殊部隊が巻き添えを食わないようにしただけだった。自分の仕事に何らやましいところはない。そのことについては神の御前で誓うこともできる。

 それでも夜はアルコールが無ければ、ビショップは眠れなかった。物音の絶えた夜の静けさと、昼間の戦場が立てる騒音の落差が耳をおかしくさせる。時ともなしに、基地の周りで樹木のざわめきが聞こえる。その気配が神経をかき乱される。

 ビショップは夜にウィスキーのボトルを手にして、デッキチェアから立ち上がった。隣の簡易ベッドにデ・ゼーヴがいびきをかいて寝ている。コンテナハウスの扉をそっと開ける。一陣の風が吹いて、兵舎のトタン屋根と側にある桜の樹が悲鳴のような音を立てる。眼の前が淡い白に染まっていた。吹き飛ばされる桜の花びらが一斉に発光している。

 ビショップは基地の入り口に向かう道路のアスファルトを見た。明日の朝、積もった花びらを掃かなければトラックがスリップする。そんなことを考えた時、隣のブロック塀の向こうから足音が聞こえた。午後に振った通り雨で濡れた土を踏む、密やかな足音だった。ブロック塀越しに黒い傘が一つ動いていた。右に行き左に戻り、また右に向いた。基地の隣は通信社の駐在所になっていたはずだ。

 ビショップは声をかけた。

「誰ですか?何をしてるんですか?」

 傘が振り向いた。ブロック塀の向こうに見知った顔が夜闇に浮かんでいた。

 ネイサン・スクルージ。

 従軍記者のネイサンはパジャマにカーディガン1枚を羽織った格好だった。夜目にも青い瞳の暗い瞳孔が一杯に開いていた。半分開いた唇がかすかに動いたが、すぐに言葉は聞こえなかった。ビショップはブロック塀に近づいた。

「どうかしましたか」

「コウモリが・・・」

 真顔のネイサンはそう呟いたまま、頭上の桜のどこかを見上げている。ビショップも顔を上げた。茫々と淡い色に包まれた闇に、雨の粒が光っていた。風雨で枝も花も揺れているが、生き物の姿は無い。

「ここにはいませんよ、そんなもの」

「私もそうだと思ったんですが・・・」

 ネイサンはあらためて頭上を仰ぎ、肩でため息をついた。もともと肌の色が白いため、少し蒼ざめていようが何だろうが、見た目には分からなかった。バカバカしい。ビショップはそう思いながら片手のウィスキーを持ち上げてひと口飲んだ。ネイサンの眼は上を向いたままだった。

「この雨で散ってしまうでしょうね。咲いてから、まだ7日なのですが」

 ネイサンは再び口を開いた。普通の物言いに戻っていた。

「7日目ならもう寿命です。散ってもいい頃です」ビショップは言った。

「そうですか」

「ついでに枝を切ってもいい頃です」

「あなた、飲み過ぎてますね」ネイサンはちらりと唇の端を開いて笑みを見せた。「私にも分けて戴けませんか」

 ネイサンはブロック塀越しにビショップのウィスキーを取り上げる。ひと口美味そうに洋酒を呷った。なかなかの飲みっぷりだった。

「中尉。実はこの桜を見るのも、今年が最後になりそうです。本社からの通達で来月に新しい任地に移ることになりました」

「どこに行かれるんですか」

「ガルガリョです」

「ポリサリオ・・・ですか」

「ああ、中尉はよくご存じですね」

《ご存じ》と言える程のものではなかった。ガルガリョ星系で人間や生物が棲める星はポリサリオしかないのは子どもでも知っている。昼間に自分の上官から新たな標的である《軍師》がなぜ連邦軍の暗殺対象となったのか、その理由を丁寧に説明されたのを覚えているだけだった。

 ポリサリオは標的が大罪を犯した場所として覚えているだけだ。

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