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〈半年前〉
連邦では誰も関心を持っていなかったが、ポリサリオでは危機が高まりつつあった。連邦寄りの現政権が構える北半球に対して、南半球は反抗を企てていた。
5年前、南半球が北半球の現政権から離脱して一方的に新政権の樹立を宣言した。1か月後に現政権がクーデターに終止符を打つべく南半球に侵攻した。ビショップは当時、まだサファヴィで敵の掃討作戦に従事していた。《チーフ》は熾烈な市街戦に巻き込まれて戦場で行方不明になっていた。
問題は単純である。連邦軍の情報部員はそう言った。ポリサリオにはモティボ族とアシミ族という2つの民族があり、南半球は圧倒的にモティボ族が多い地域で何度も胡散臭い暴動を起こしていた。南半球で暴動を指導しているのは元内務大臣であり、連邦からの分離独立を主張し続けて現政権から罷免された人物だった。
現政権の傑出した指導者は止むを得ず連邦軍の兵器を使って南半球の再統合に乗り出さなければならなくなった。しかし政府軍はその後、反政府軍に押されてしまい、挙句に北半球への逆侵攻を許してしまった。北半球の各地でモティボ人部隊によるアシミ人の虐殺事件が相次いだ。元内務大臣は連日、盛大にアジ演説をぶってモティボ人たちの憎悪を駆りたてた。元内務大臣の横に、帝国軍の将官服を着た男―《軍師》が寄り添っていた。連邦軍はその時に初めて《軍師》の存在に出会ったのだった。
モティボ族がアシミ族から被ってきた複雑な差別の歴史。北と南に広がる慢性的な政治・経済の混乱や格差。入り組んだ民族感情。ポリサリオの歴史に関してほんの一端を把握していただけの連邦軍にツケが回り始めた。少人数の特殊部隊を増援に送っただけでは、焼け石に水だった。気が付いた頃には、政府軍の劣勢を覆すことは不可能だった。
結局、政府軍は潰走を始める。各地で生き残った政府軍の兵士たちが連邦軍の支援を受けながらゲリラ戦を展開するようになる。それから1年前まで、北半球では苛烈なアシミ人狩りが続いた。赤道付近の熱帯雨林では、今でも連邦軍と反政府軍の戦闘が続いていると記憶していた。
「ポリサリオのどこです?」
「最初に行くのは、カナンという南半球の州都です。海に面したきれいな町です。そこから熱帯雨林の奥地に入ります」
「何の取材をなさるんですか?」
「基本的にポリサリオは無宗教なんですが、熱帯雨林地帯にはディオリ族と呼ばれる先住民が棲んでるんですよ。モティボ族とアシミ族は他惑星からの移民なんです」
「ディオリ族って、たしか首狩り族と言われてませんでしたっけ・・・」
「帝国や連邦のプロパガンダですよ、それは」
ネイサンは低い声で笑った。
「ディオリ族には独自の土俗信仰があるんです。それを取材するんです」
正直なところ、そういう話はビショップにはピンと来なかった。取材なら何処にでも行けばよいが、この未開の星から向かう先が熱帯雨林のジャングルとは。
ネイサンはまた、ふいに頭上の桜に眼を移していた。
「あの屋根の上に延びている枝、どうしましょうか」
「もうすぐ毛虫の季節になるし、切っていただければ有難いですが・・・」
「そうですね」
はるか遠い彼岸に住んでいるような従軍記者の眼は1本の桜の巨木をぼんやりと眺めていた。帝国との戦争で万年冬に変えられてしまった故郷の星でも今、桜は咲いているのだろうか。ビショップはそんなことを考えた。雨に叩かれた花びらがビショップとネイサンの頭上にひっきりなしに降っていた。ボトルの口についた花びらを指先で叩いて、ネイサンはもうひと口洋酒を含んでからボトルをビショップに返した。
「分かりました。近いうちに切りましょう」
「少しでいいです。こちらの屋根に当たっている枝の先だけで」
「私の星では、こういう大きな木に精霊が棲んでいると言います。あんまり枝を切ってしまうと、彼らの棲むところが無くなりますからね」
精霊。それはコウモリのように、木にぶら下がっているのか。ビショップはそう尋ねかけた口をつぐんで苦笑した。ネイサンは淡々とした顔つきだった。
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