BWV859 朝の瞬き

 朝のまばたき。朝そのものが。朝のまぶたが、閉じて開いた。それによって、朝の一瞬が、写真のように切り取られ、永遠に静止した。もちろん、その風景はだれにも見ることはできない。朝の瞬きをとらえた者にしか。それをとらえられる者はいない。永遠そのものに同化しないかぎり見えない。

 電線にとまった鴉が、言葉を語るように嘴を開けていた。言葉を発する直前のような静けさをたたえて、琥珀に閉じ込められた虫のような朝、永遠から剥がれ落ちたうろこのような朝、朝の瞬きのあいだに存在した凍りついた沈黙のなかに、その鴉は預言者のように踏みとどまっていた。

 こんな朝には、鴉もさぞかし長文を喋りたがることだろう。どれだけ長くても、永遠を煩わせることはない。その心配はない。朝の瞬きの一瞬に永遠は含まれ、その一瞬は永遠に続く。おそれることはないのだ。この一瞬が死ぬことはないのだから。

 鴉がとまった電線をたどり、電線から電柱へと、電柱から地面へと、ゆっくりと目線を低くしていこう。もちろんこの風景を眺める者はいない。だれでもない視点だ。だから慌てることはない。この風景に寿命はなく、この視点にも寿命はない。どちらも朽ち果てない。だからゆっくりと、子どものように目線を低くしよう。

 朝の地面に蟻がいて、アスファルトの道路にまぎれて佇んで、朝の一瞬に彫像のように孤独を抱えている。こんな朝は、蟻の魂すら透けて見えるようだ。その魂すら永遠だ。この一瞬にあるものは、この朝に含まれるものは、すべてがそのままそこにあり続けるのだから。

 蟻は沈黙を好むかのように黒々とした仏頂面だ。這うことが誇りを傷つけない秘訣を生まれたときから知っているような賢明さだ。子どもが見る蟻は大人が見る蟻よりも表情と陰影がいくぶん豊かだ。朝の瞬きのあいだに、視線を低く低くして、思う存分に眺めよう。朝ほど観察に向く時間があるだろうか。だれしも研究者のように眼が冴える。

 蟻がまだ歩いていない先へと浮遊する視点を進めて、ゆっくりゆっくりと路地をたどろう。視線で朝を舐めつくすように。溶けない氷を口に含むように、永遠にとどまる朝を味わおう。

 その視点にようやく人が映り、それがあなたの顔をしている。その朝のあなただ。あなたのような体格で、あなたのような魂で、あなたのような歩き方の途中で、その朝のあなたが朝の瞬きによって永遠となり、永遠に静止している。朝のすべての景物に取り囲まれて。この視点の叙述によれば、電線の鴉とアスファルトの蟻に並ぶような存在として。

 その朝のあなたは鴉に気づかず、蟻に気づかず、朝の瞬きに永遠に気づかず、気づかないまま永遠にその場に踏みとどまっている。

 その朝をあなたは経験したはずなのに、あなたが永遠そのものに同化しないかぎり、あなたはその朝のあなたを見ることはできない。朝の瞬きに閉じ込められた一瞬のあなたを。

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平均律のマルジナリア koumoto @koumoto

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