第2話・社畜のクネクネ〔ラスト〕

 Y氏の過酷な日々は、その後も続いた。


 K氏は後輩のY氏の残業時間軽減と、社員に理不尽な残業をさせないように、現社長に幾度となく改善要求をした。

 だが、ワンマンでケチな社長はまったく取り合わず、労働環境を変えていく気は無かった。


 社長室の革張りの椅子に、ふんぞり返って座ったワンマン社長が言った。

「パソコンで書類を作成できる人間がいないんだよ! 外部の人間に書類作成を依頼するワケにはいかんだろう。これ以上、余剰に社員を雇う余裕は我が社にはない……週の法定残義時間もギリギリ越えてはないので問題ない」

 せめて、Y氏が社員寮で持ち帰った仕事ができるように承諾してもらうようにK氏は社長に頼んだが、この要望も頭が固いワンマン社長は聞き入れてくれなかった。


「外部に社内の機密が万が一、漏れたらどうする。顧客情報とか収益データもあるんだぞ……ダメだダメだ! 在宅ワークは認めん!」


 ワンマン社長は、地方新聞を広げて読みはじめながら言った。

「君には妻と子供がいたな、君には残業をさせてはいないだろう。それは私の計らだと言うことを忘れては困るな。

君が残業で帰りが遅くなったら、奥さんと子供が悲しむんじゃないのか」


 Y氏の社畜化は、さらに加速した。

 会社と社員寮とコンビニを往復するだけの毎日、疲れた足取りで部屋に帰ってきてベットに倒れ込む日々。

 台所のシンクに放置されている、即席麺を茹でて、丼代わりにして食べた鍋を眺めながらY氏はK氏の言葉を思い出していた。


『夕日が沈む時刻に合わせて、合わせ鏡をすると見てはいけない世界と繋がる』


 追い詰められ、心身の疲労がピークを迎えつつあったY氏には、このままブラックな企業に、勤め続けていくのは限界だった。

(もうどうなってもいい……この生活から逃れるためなら)


 翌日──夕刻、Y氏は会社の階段大鏡の前にいた。

 斜めからの西日が、亀裂が入った大鏡を照らす。

 Y氏は持参した鏡を床に立てて置いて、合わせ鏡をした。

 無限に続く合わせ鏡の怪しい世界──なにも起きない。

「やっぱり、ただの社内伝説だったのか」


 Y氏がそう呟いた時──鏡に映る亀裂がビシッと壁まで拡がり、亀裂から黒いシミのようなモノが鏡の世界に拡がった。

 現実には裸眼で見ても、何も変化していない鏡の世界だけの怪異。


 黒いシミの中に歪んだ無数の紅い目が広がる異空間を背景にして。

 白いクネクネした動きの異体の生き物が数体、蠢いてY氏を見ていた。

(なんだ? これは?)

 Y氏の心の声に異形のモノ……クネクネが答える。


「わカらナいホうガいイ……」

 白いクネクネが女性の声で言った。

「あナたも、こチらにおいてヨ……こっチはいいよ、残業もワずらわしい人間関係もなクて……こっチにおいデよぅ」


 白い触手のような指の手が、伸びてきてY氏の腕をつかむ……氷のような冷たい手だった。

 微笑むY氏は抵抗するコトもなく、異形のモノたちがクネクネ蠢く世界へ……引き込まれ、そのまま消えた。


 数週間後──行方不明になったY氏の机の中が整理されるコトが決まった、前日の夕刻──一人、部屋に残っていたK氏は、Y氏の机の上にドリンク剤を置いて呟いた。


「行ったか……悪かったな、オレの力不足で助けられなかった」


 社畜のクネクネ~おわり~

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社畜のクネクネ 楠本恵士 @67853-_-

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