貞◯ vs アルマゲドン
和田島イサキ
本当は「来る」じゃなくて「Oooh」らしい
そんな間の悪さだからひどい死に方しちゃうんだよお前って思う。
実際は知らない。こいつがどんな最期を迎えたかなんて。でも怨霊になってるってことはまずろくな末期ではなかったはずで、それにしてもまた随分とそれっぽい
床に引きずるくらいに長い黒髪。いつ井戸の底から這い出てきてもおかしくない風貌で、それがさすがにテレビの中から出てきたってわけじゃないけど、気づけば居間の隅にぬぼーっと立っていた。暗がりの中に。
それはいい。あからさまなお化けが出てきちゃったこと、それ自体は。
だって、貸主の大家さんも仲介してくれた不動産屋さんも言ってた。ここマジで出るし実際死ぬけど本当にいいの? って。いいに決まってる。こんな時世だ、いまさら命を惜しんだって仕方がない。いやいやこんなご時世だからこそ死に方くらいは自分で選びたいでしょ逆にと、今思えばずいぶん個人的な領域にぐいぐい来る不動産屋さんだったなと思うけれど、でもそこはやっぱり個人の好き好き、俺からすればそっちの方が余計に嫌だ。
選びたくない。自分の死に方なんて、絶対に。
自慢じゃないけど俺は死にたくなさでは他の凡夫どもより頭ひとつ抜けていて、だから仮に自分で選んでいいよだなんて言われた日には、永遠に悩み続けるだろう自信がある。死ってのはこう、もっと無慈悲で、理不尽で、急に我が身に降りかかってくるものじゃなくっちゃいけない。それだけ不条理でようやく「じゃあしゃーねえか」と諦めがつくってもので、なのに変に選ぶ余地なんかがあったりしたら、そんなの無限に「その他」の選択肢を探し続けてしまう。
望むと望まざるとに関わらず、向こうで勝手に降りかかってくるものなら仕方ない。自分の意思で死に方を選ぶのは無理だけど、でも場や状況がそれを俺に強制してくれるのであれば、かえって踏ん切りがついてむしろ好都合、ってわけだ。
それで、決めた。大家さんと不動産屋さん、ふたりが揃って「やめなよ」っていうこの物件に。
古い平家の一戸建て。なのに標準的なワンルームアパートのさらに半値くらいの家賃で、どうやら取り壊しもままならないほどのヤバさって話だったのだけれど(作業員が死ぬから)、それが入居一ヶ月目にしてやっと出た。ようやくだ。どれだけ待ち望んだと思ってる、とまでは言わないけれど(だって死ぬし)、でも聞いていた話と違うのは心配になる。
留守か? それともなんか長期旅行的なやつ? どっかで事故に遭ってるとかじゃなきゃいいけど——なんて、なかなか姿を見せないルームメイトについ気を揉んじゃう
それが、やっと出た。幽霊。デロデロの、昆布みたいな長い髪。わかりやすい。なのに服装は定番の白装束ではないようで、というかどう見ても黒のぴたぴたタンプトップで、そこでようやく一番大事なことに気づく。男だコレ。これは後ほど、髪をかき分けて確認して知ったことだけれど、結構美形——とまでは顔色や表情のせいで言えないものの、でも生前はおそらく結構な美男子だったと思われる顔の造形をしていて、あとついでに言えば身長も高かった。一八〇の俺と同じかちょい高いくらい。
高身長美形長髪黒髪男子。どこか陰のある、でも大変たくましい胸板の。
話から想像していたのとだいぶ違うが、でもお化けなんてまあそんなものなのかもしれない。きっとあんまり確認する人もいなかったっていうか、そうした連中はみんな死んだんだと思う。南無三。
とにかく、出た。いよいよ出た。なあんだ男なら遠慮する必要なかったな全然、なんて、そんなことはとても言ってられないタイミングで。
「お前さあ。もうちょっと間ってモンを考えろっていうか、ふざけんなよカスが。死ねよ」
八つ当たり。まあそうだ、実はついさっきまで情けなさのあまり泣きそうになっていたのは、それがちょうどお夕飯のタイミングだったからで、そして今夜は俺の大好きなやつだ。コンビニで売ってる激辛のカップラーメン。真っ赤の。なんか東京の有名店だとかの監修の。俺だけが知ってる隠れた名品かと思っていたけど、実は結構有名みたいだったやつ。
俺はあれがなにより好きで、毎日食べちゃうとお尻が大変なことになっちゃうんだけどそれでもやめられないくらいには大好きで、そんなお尻を犠牲にしてまで食べようとしてた大事なそれが、お湯入れてそろそろ三分経ちそうなくらいの大好物が、でも俺のちょっとしたドジで畳にバッシャーってなってうわあああって叫んで半ばパニック状態のまま拭くもの探して部屋中キョロキョロ見回した、そのタイミングでそいつと目がかち合った。嘘だろお前って話だ。
いくら好物ったって所詮カップ麺、そんな値の張るものじゃない。それに、やらかしたのは他でもない俺自身だ。だからこそ、そんな大層なものではない些細なドジの、かつ百パー俺自身に責のある不幸であればこそ、その憤りには本当に計り知れないものがある。やり場のない、ぶつける先のない怒り。情けなさと恥ずかしさと悔しさで気が狂いそうになっていたところに、都合よく降って湧いた思わぬ「怒りのやり場」に、俺が憤怒を剥き出しにして食ってかかったのはむしろ、世の道理であり自然の摂理ってもんだと思う。
怒鳴りつけて、胸ぐら引っ掴んで引き倒して、大声で怒鳴りながら顔をボコボコ殴る——と、さすがにそこまではいかないので安心してほしい。俺は人間だ。理性のない野の獣とは違う。いくらブチギレ中とはいえ最低限の社会性はまだ生きていて、だからただどやしつけるだけで全然よかったのだけれど、でも気づく。
——そうだ。こいつ、お化けだった。つまりこの世にいないやつなんだから、例えば仮に、あくまで仮定の話として、ここで間違ってつい手が出ちゃったとして、でも何の問題も生じない。つまり社会性では、「警察沙汰はさすがになあ」という気持ちじゃ、この場合まったくブレーキにならない。ブレーキにならないからってアクセル踏み込む必要もないけど、でもその瞬間さっきぶちまけた俺の中本が脳裏に浮かんで、実は三日前にも同じことしたからそれも併せて上映されて、つまり怒りが過給された。ターボチャージャーだ。こういうのを世間一般に「カッとなって」って言うんだと思う。
引き倒した。そのままのしかかるみたいに覆いかぶさって、髪の隙間からそいつの顔を見たのはそのときだ。
綺麗な顔だった。そりゃお化けだ、表情や顔色は完全にホラーしてたけど、でも俺はそういうのはあんまり気にしない。どんな変顔してようが美人は美人で、だったら全然オーケーなタイプ。面食いだからこそ面食いなりの矜持ってものがあって、だから俺からすればそいつは全然いけた。いけてしまった。
本当にそんなつもりがあって引き倒したわけじゃなかったのだと、一応そこだけは弁解させてほしい。
ただ、祟った。これまでの気遣い、見えないだけで実はいるかもしれない同居人への遠慮、その結果としての半強制的な禁欲生活が。お化けが出るったってどこに出るやらわかんないんだから、風呂やトイレだって全然安全地帯ではなくて、だから本当にひたすら我慢して過ごした。〝それ〟だけのためにわざわざ金払ってネカフェに行くのも
そんな奇跡が、ずっと蓄積され熟成されてすっかり
なんならこの際、仮にこいつが法の庇護下にある存在だったとしても一向に構わん——と、さすがにそこまで堕ちる気はないけど。
でも、わかる。共感はなくとも、でも気持ちだけなら俺にも理解はできた。下劣な性犯罪をはじめ、いろんな犯罪行為に走ってしまった連中の。
こんな時世だ。どうせ死ぬなら何やったって一緒だと、そういう
確か、でっかい隕石だか、小惑星だったか。
なんかそういうやつが落ちてきて全部滅茶苦茶になるって話で、詳しくは知らないけどまあ何だって一緒だ。
誰も生き残れない。ぶっ壊れる。全部、地球ごと。
もっとひどいパニックになるかと思ってたけど、意外とみんな粛々と状況を受け入れているのだから立派なものだ。俺は嫌だ。「まあ隕石なら仕方ねえか」と思ってはいるものの、それはそれとしてやっぱり「嫌だ絶対死にたくねえ」って気持ちはあって、なのに俺は何をずっと我慢していたのだろう?
何のことはない。結局、俺も知らず知らずのうちに選んでいたわけだ。これから死ぬってのに恥だけはかくまいと、みんないろいろ悲劇的な末期を迎えているのに、俺のだけ「ずっと部屋にこもって自家発電してたのをお化けに見られながら死んでいきました」がエンディングってどうなのと、そんないらんところで体面を気にした結果だ。いや現にお化けがいた以上、俺は賭けに勝ったと言えなくもないのだけれど、でもそれをこうしてどやして押し倒してちんこバキバキにして、おかげでせっかくの我慢が全部ご破算になった。もうだめだ。
「死にたくねえ」
たぶんお化けに持ちかける相談としては一番「おれに言われても」ってなるやつだけど、でも誰かに聞いてほしかったんだから仕方がない。嫌だ。死にたくねえ。急に隕石とかそんな馬鹿な話があるかよ。不動産屋さんがあんまり普通にしてるもんだから、俺もつい格好つけてノリを合わせちゃったけど、でも内心ずっと思ってた。正気かこのおっさんって。怖くねえの。死ぬのに。みんな滅茶苦茶になって終わるのに。首吊ったっていう大家さんの方がよっぽどまともで、でもそっちはそっちでやっぱりわかんねえ。なんで死ねんの。怖くねえの。なんか急に奇跡が起こって、寝て起きたら「はい全部嘘でしたー」ってなるかもしんねえのに。
いっそ、終わりにして欲しかった。こういうやべえお化けに、なんか寝ている間とかに、呪い殺されるとかそういうので良かったのだ俺は。それが一ヶ月もずっと出てこねえし、大事なカップ麺は畳にこぼしちゃうし、お腹すいたし尻はヒリヒリ痛えし、もう最悪だ。なんもかんも全部。ちょっと前、行きつけだった居酒屋のマスターの、そのざんざん自慢してたバイクを勝手にかっぱらって逃げて、でもどこにも逃げる先なんてなくて結局たどり着いた先、一番安い物件をって頼んだときに出てきたのがここだったそのとき、俺は勝手に運命を感じた。夢を見たのだ。あまりにも自分に都合のいい夢を。俺ひとりじゃつけられない踏ん切りを、家族や友人にはとても背負わせられない引け目を、でもこの世ならざる何者か、法の埒外の存在なら気にせずやってくれるだろう、って。無慈悲で、理不尽な、抗いようのない何かでブツッと終わらせてくれるはずだと、それに相応しい最期にするため一ヶ月の禁欲生活までして、でもその結果がこれだ。あんまりだ。綺麗な顔の男。ひっくり返った激辛カップ麺。死にたくねえ、もう殺せ、と、ちんこビンビンのまま
今思えば、ずいぶん可哀想な選択を突きつけてしまったと思う。
殺すのはいい。たぶん。だって実際死ぬって不動産屋さんも言ってた以上、こいつは本当にサクッと呪い殺すタイプの凶悪なお化けで、でも今のこの状態でのそれは果たして呪殺になるのか? おそらく腹上死にカウントされるであろうことは間違いなく、といって呪い殺さずされるがままにすれば本当に『フワーオ♡』になってしまうと予想され、だからきっと、本当に、そいつのとったそのお化けらしからぬ行動は、「その他」の選択肢だったんだと思う。
「……
子、では悪いかと思って「治」にした。だって本名知らんし他に呼びようもなく、でもそんなことより今はその貞治の様子だ。突然「フッ」とかき消えたかと思ったら、なんか金属バットを手に再度出現、その得物で俺の頭をめった打ちにするのかと思えばそうではなく、なんかふわふわと窓から外に出た。雑草生え放題の汚ねえ庭の真ん中、生気のない顔で見上げる薄曇りの夜空の、その向こうに貞治が見据えているであろうそれは。
「嘘だろ。まさか、打ち返そうってのか。それで」
選択肢はなかった。そりゃそうだ。俺たちはいい、死に方なんかいつでもいくらでも選べる。でも最初っから死んでるこいつには、そもそも選ぶべき択そのものが存在しない。酷な話だ。座して待つ死すら奪われたなら、剣もて起つより他にない。人には到底無理なことでも、しかし人の理に縛られぬ冥府魔道の輩なら、あるいはワンチャンないかもわからん——という、そんな無茶な理屈はわりと好きな方ではあるけど。
「なんだそのへっぴり腰。あと、逆だろ、その手。お前野球やったことねえな」
聞いているやらいないやら。返事はなく、でもこっそり手を持ち替えたってことは、まあ聞こえてはいるのだろう。ため息が出る。マジかよ。てんでド素人じゃねえかこいつ。まあどうせやることもなかったし、なにより死にたくねえから別にいいけど。
不可避と言われた世界崩壊の、その奇跡の逆転サヨナラホームランまで、あと半年。
ボロ家の庭、俺の熱血指導でひとりのお化けスラッガーが生まれるのは、でも誰も知らない秘密の物語だ。
〈貞◯ vs アルマゲドン 了〉
貞◯ vs アルマゲドン 和田島イサキ @wdzm
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