暗闇の少女と星の猫
「失礼しまーす」
加藤先生の後を追って、児童館に併設されている市民図書室に入った。床はグレーのカーペット、古本屋さんの様な香りが詰まった教室に、私は緑の来客スリッパを脱いで上がる。
この図書室は母校の図書室とは違って、主に児童図書に決められた本が配架される。読書感想文コンクール向けのものから、選考委員会が推薦する児童文学書が勢揃い。
「えーと。絵本、絵本」
私が本棚を眺めていると、加藤先生は図書室内のパイプ椅子上にある埃除けカバーを取り除く。そこには十冊程、薄くて四角い大きな本が積み重なっていた。あれは、全部絵本だ。
「よいしょ。由衣ちゃん、こっちに座ってどうぞ」
加藤先生は持ちにくそうに絵本の山を運びながら、目の前にある小さな木製テーブルを声で示した。私は、ゆっくり椅子を引いてそこに腰掛ける。
すると目の前に加藤先生の手によって、ドサッと絵本が置かれた。その中から私は、一冊手に取る。
——これは、今年度の小学生低学年課題図書に選ばれた本だ。優等生の姉と、マイペースな妹の物語を集めた短編集。リアルな姉妹の関係性を落ち着いた絵柄と直球的文章で表現している。……康介が、夏休み前にそう熱弁してた本。
「これは由衣ちゃんにお願いしたい、読み聞かせ用の絵本ね。小学生となると、子供から関心が持てそうなもの、読書感想文に活かせそうなものになってくるわね」
「幼稚園くらいの子供と比べて、小学生は子供の感性主体で難しそうです……」
「そうね。抑揚をつけ過ぎたり、過剰な声色変えをすると子供は、読み手を意識してしまうわ。そうならないよう、物語に集中させる工夫が必要ね」
「なるほど。流石加藤先生ですね、対象の子供に対して何が大事か、しっかり把握してますし」
「うふふ。この絵本選びを手伝ってくれた先生からの、ご教示よ〜」
私は絵本を一冊一冊手に取って、軽く中を読んでみる。時期が秋なのもあって季節に合わせた絵本があるし、不朽の名作もある。相当、絵本と子供のこと分かってる先生なんだろうなあ。
「機会があれば、その先生と子供の接し方についてお話してみたいです」
「あらあら。相変わらず保育士を目指して、勉強熱心なのね〜。そういえば康ちゃんは、卒業後どうするつもりなのかしら?」
「康介は……」
いきなり言葉が出なくなった。絵本のページをめくる手が止まった。そうだ、加藤先生から言ってくれたら康介も考え直してくれるかもしれない。
「工業系の——就職か進学だそうです……」
「あらそう? てっきり、美大に行くと思ってたけど」
「ですよね! あの康介が工業系なんて、似合わないですよ!」
「うーん。でも、康ちゃんが決めた進路なんでしょう?」
「それは……ッそうですけど……でも加藤先生も知ってますよね、康介が絵本作家を目指しているのは!」
感情的になって前のめりになる。小さい頃から康介を見守ってきた加藤先生なら分かるはずだよ、絵本作家に対する強い熱意と憧れを……だから、一緒に説得しなくちゃ——!
「そうね。でも今は、色々なお仕事がある時代ですもの。昔とは違った将来に目移りしちゃうのも、仕方ないのかもしれないわねぇ」
「で、でも!」
「本人が最終的にそう決めたのなら、それを尊重してあげるべきよ。まだまだ若いもの、色々な事を経験して欲しいわ」
加藤先生の言ってる事は正しいよ。分かってるよ。時期的に迷ってる余裕が無いし。もう成り行きで進路決めちゃうのもさ。でも、ダメなの。……考え直して貰いたいの!
「他の仕事なんて——目指さないで欲しい」
「由衣ちゃん?」
「私との勝負だってあるのに……。それにまだ、私は——康介の絵本を……読んでない」
わがままが出てきて止まらない。これが、保育士を目指す高校生なの。駄々をこねて、自分の言い分を無理矢理通して。かっこわるいよ。
「康介が……絵本作家を、諦めちゃう……」
「あら……あらあら、どうしたのぅ?」
視界が歪んで先生の顔が見えない、絵本が見えない。内側から出てきて止まらない。本音が——。
「私は、康介には——絵本作家になって、欲しいのに……ッ」
「……。そうなのね」
「もう絵本が、嫌になっちゃったの……?」
「だいじょうぶ、大丈夫だから由衣ちゃん」
顔を覆って泣く私に、加藤先生が寄り添って背中から抱きしめてくれた。よしよしと、加藤先生に頭を撫でられる。私が憧れる、心安らぐ母性だ。
「ぅ……ッうぅ……」
「そっかそっか。由衣ちゃんの心配事は、やっぱりそれだったのね。幼馴染だもの、辛かったでしょう?」
私は咽び泣きながら、頷く事しか出来ない。それ程、康介が絵本作家から興味を無くした事がショックだった。私との勝負を投げ出した事が、信じられなかった。
「康ちゃんは絵本だけは嫌いにならないわ」
その言葉に、見たくない現実を隠す為に顔を覆っていた手をどかした。加藤先生の言葉全てに、安心感がある。撫でられる事で、悪い思考が消えていく。あったかい抱擁で、不安が癒やされていく。
「──諦めないことは難しいけれど、向き合い続ける事なら出来るかもしれない──康ちゃんが憧れる、エリック・カールが言っていた言葉よ」
「向き合い……続ける?」
「好きな事を仕事にするって、とっても大変な事。好きだからこそ頑張り続けて、疲れちゃうと──好きな事が、どうしようもなく大嫌いになるのよね」
「……」
「だけどね、康ちゃんだけは大丈夫って思えるの。だってこの絵本の読み聞かせを提案してくれた先生は、康ちゃんなんだもの」
「そう……なんですか?」
「この絵本も、康ちゃんが選んでくれたものでね。児童館にある絵本、全部に目を通してくれたのよ。とっても大変なのに、わざわざ放課後……毎日ここに来て、夜遅くまで絵本を読んでいたわ」
「……」
「まるで『はらぺこあおむし』みたいにね」
加藤先生の分かりやすい例え。読み耽る康介の姿が、安易に想像出来る。きっとこの図書室に並べられた何百冊もある絵本全てに、目を通したんだと思う。
まずは月曜日
一冊読んで一旦終わりにして。
火曜日は二冊読んで、物足りなくて。
水曜日には、三冊読んで不服になってくる。
木曜日、四冊読んで
他の絵本も読みたくなって。
金曜日、五冊読んで止まらなくなった。
そして土曜日
今日もまた……康介はここに来て──。
「だぁああ! たッ助けてくれ加藤先生!」
バァンと市民図書室の扉が勢いよく開いた。逃げ出して助けを求める様な今の声は、康介だ。図書室の本棚が入り組んでいるから直ぐには私達には気付けない。背後にいた加藤先生が、駆け付けに向かった。その隙に涙をどうにかしなきゃ、こんな情けない顔絶対見せたくない。
「どうしたの康ちゃん! あらら〜服とか髪とか乱れてるじゃないの」
「涼太達の相手はもう限界ッス。な、なんとかしてくれませんか……」
私は涙を全て袖に染み込ませて、席から立って本棚の裏から覗いてみた。全身ボロボロじゃん。男の子の遊び相手は大変だよね。加藤先生に頼りたくなるのも無理ないよ。
「うふふ。分かったわ、あとはわたしに任せて頂戴」
「た、たのんます! 涼太くんと将平くんとは相性最悪なんで。マジで悪ガキ過ぎる……ッゲ!」
あーあ。疲れ切って遂に加藤先生の前で本音を言っちゃった。子供に対する悪口だけは許さないから、絶対怒られるよ……。
「……。康ちゃん、涼太君と将平君はやんちゃだけど、良い所もあるのよ。図書室で本を破くイタズラをした上級生が許せなくて、喧嘩したりね」
「……。そうッスか、あいつらが……」
なんだろう。あれ程嫌な顔をしていた康介がスッと落ち着いた顔になった。よく分からないけど、私の顔も落ち着いてきたからいいや。うわッ、康介がこっち見てきた!
「……由衣? なんでお前が加藤先生と一緒にいるんだよ。自主学習してる子供の相手はどうした?」
「加藤先生の手伝いでここにいるのッ」
「ふーん。あでで、腰が砕けそうだ……」
私の泣き止んだ顔に気付きそうだったけど、痛みが勝って腰をさすった。思わずクスリと笑うけど、ふとある言葉が私の耳に残った。
「砕ける……」
それを呟いた瞬間、頭の中に流れ星の猫のイメージが湧いてきた。ほんの一瞬だから、今にも消えそう……忘れてしまいそう。今すぐ言葉にしなきゃと思った。
「ねぇ、康介」
「おう」
「流れ星の猫と、少女のお話……私なりの結末を聞いて欲しいんだけど」
「は? いきなりなんだよ」
私は加藤先生を横切って、康介に迫った。すぐ言わないとダメだ。何思われたっていいから。
「あれから旅を続けてね、流れ星は強い光を放って砕けて消えちゃうけど、そのおかげで世界は明るくなるの」
「……」
「康介なら、どう?」
「いや、そのオチ……切ないけど、結構いい。でもそれを活かすには、旅の内容に工夫がいる。少女が空に嫌悪感を抱いていたら、深みが出そうだな──」
探偵っぽく顎に右手を添えて、康介は考え始める。そんな真剣な顔を見てると、不思議と夜空が頭上に広がっている様な気がしてきた。
「流れ星は、消滅の時を……むかえようと していました……」
康介のその呟きと同時に、一瞬だけ真っ暗な視界に少女の姿と星の姿が見えた。でも、目を開けてたら見えない。
私はもう一回、目を閉じた。康介の語りかけるような呟きが合わさって──絵本世界が、目の前に広がっていく──。
流れ星は おんなのこに言いました
ぼくはここでこわれてしまうけど
ぼくのかわりに
お空をだいすきに
なってあげてね
お空とおなじくらい
きみの事も
「「だいすきだよ……」」
頭に浮かんだ言葉を思わず口にしたけど、康介と言葉が重なった。目を開けると、前にいる康介は
「……これだ!」
康介は腰の痛みが飛んだ様に、ボロボロの身体でバタバタ図書室の中を動き回って何かを探し回った。あの顔は、いいアイディアが浮かんだ時のテンションが最高潮になった時の──。
「加藤先生ッ! 紙と鉛筆無いッスか!」
「えッ。あるけど、学校の備品だし──何につかうの?」
「なら、いいですッ! スマホのメモ機能……それだーッ!」
私と加藤先生以外いないとはいえ、静かにするべき図書室でそう叫んだ後、慌てて廊下に飛び出して行った。……子供より、落ち着きない。
「あらあら。康ちゃん、急にどうしたのかしら?」
困惑する加藤先生だけど、私は立ち止まっていた康介が、また夢に向かって動き出したように思えた──こうしちゃいられない。
「加藤先生。明日から毎日、この図書室に来ていいですか!」
「ええ? 明日から毎日⁉︎ 受験生なのに、それは流石に無茶……」
「大丈夫です。読み聞かせの練習と──この図書室にある絵本を、たくさん読んでおきたいので!」
康介は選ぶ為だけに、この図書室にある絵本全てに目を通したはず。それ以上に繰り返し読まなきゃ、康介以上の読み聞かせなんて出来ない。絶対に負けられない。
「そう。ちなみにどの絵本を再来週、読み聞かせるつもりなのかしら?」
「もう決めてます、それは──」
でもそれを読み聞かせるには、許可を取らなきゃいけない人がいる。来週の土曜日──私から行こう、勝負を仕掛けに。絵本作家の情熱を確かめるために。私達の夢を、叶えるために──!
「私のライバルが描いた──絵本です!」
幼馴染が私に、絵本を読ませてくれるまで 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます