騒めきを鎮めるために

「くらえー! ダブルライトニングゥ……」

「キィーック‼︎」


 小学生低学年から放たれる強烈な飛び蹴りが、康介のお尻に直撃した。いくら子供でも二人分の蹴りだし、そこそこの威力だと思う。めっちゃ痛そう。


「ぐおぉ⁉︎ ……ッてぇな、またお前らかぁ!」


 殴り掛かる寸前になりながら、お尻を撫でる康介の後ろには、遊び盛りの男の子二人がいる。やんちゃ坊主の涼太りょうたくん、いたずら好きの将平しょうへいくんだ。

 私達が到着した児童館には、既に数人の子供が預けられていて、各々自主学習をしている。今は共働きの両親も多いから、土日でもこうして利用する家庭は少なくない。


「なんでまた、まかべがきてんだよ!」

「あのなあ、涼太くん。流石に目上の人に対して呼び捨てはないだろ、呼び捨ては!」

「いっつも、ゆい姉ちゃんといっしょに来んじゃねーよ! かーえれ! かーえれ!」

「ほう……涼太くんには、物理的な教育が必要らしいなぁ?」


 あー、まずい。完全に康介が怒りに身を任せてる。手が出る前に、私は羽交はがめで阻止した。文系の癖に喧嘩腰な所あるの、昔から変わらないなあ……。


「もうぅ! 落ち着いてよ康介。今って体罰は御法度ごはっとの時代なんだから!」

「だぁあ離せ、由衣! これは必要な教育だ——ッ!」

「あーッ! 二人でくっついてる。カップルだカップルだーッ!」


 いたずら好きの将平くんが、指差しで私達を冷やかし始めた。いつもの事だから、なんて事無いんだけど、こうなると面倒なのは涼太くんだ。


「お、おい! ゆい姉ちゃんからはなれろよ!」

「くっ付いて来てんのは俺じゃねーッ! 文句なら由衣に言えや!」

「ゆい姉ちゃんは、オレとけっこんするんだ! まかべは、どっかいけよ!」


 ——こういう事。私は一方的に、涼太くんに好かれてるみたいで、康介の存在が気に入らないみたい。保育士を目指す者として、流石に小学二年生をそういう対象には見れないなぁ。


「いいか、よく聞け涼太! 十五年以上この女を見てきた男として言わせて貰うがなぁ、お前らのおねショタとか誰得って話だし、由衣はとんでもねぇ鬼嫁になるぞ。せいぜい、尻に敷かれて悦んでろや、このクソガ——」

「康介ぇ! 呼び捨て、暴言、余計なこと吹き込まなぁーいッ!」


 もう初っ端から大騒ぎである。これも、保育においては日常みたいなものだけど……っていうか、康介の言い方も腹立つ。私は、将来のパートナーを服従させる気なんて、一切ないっつの!


「あらあらぁ、今日も賑やかでいいわね」


 大荒れの室内を一瞬で穏やかにしたのは、この児童館の学童保育専属、加藤悦子かとうえつこ先生。還暦間近の年齢でありながら、どの年代からも慕われる保育士の鑑の様な人。私が、この道を目指すと決めた、きっかけを作ってくれた先生だ。


「えつこせんせー! まかべのヤローがオレをいじめるんだ!」

「いじめてねぇっつの! 勝手な事言ってんじゃねえぞ、涼太ぁッ……くん!」

「まぁまぁ。こうちゃんいらっしゃい。由衣ちゃんもいつも来てくれて助かるわぁ」

「いえいえ! 本当は、毎日来たいくらいなんですけど……」

「大学受験が控えてるから、仕方ないわよぉ」


 細目で、いつも笑っているような悦子先生の顔。見てるだけで、こっちまで自然と笑みが溢れる。私達の面倒を見てくれた頃より白髪も増えたし、子供の元気に付いていくのも大変だと思う。こういう時こそ、康介を活用して貰わなきゃ。


「ほら、康介。涼太くんと将平くんと外で遊んできたら?」

「はぁ——⁉︎ ぜってぇに、嫌だ! 前回、モンスターバトルごっこに付き合わされて、全身筋肉痛になったんだからなぁ!」

「いつまでゆい姉ちゃんにくっついてんだよ、おじゃまかべ!」

「だから俺からじゃねーッて! おいッ由衣! ちっとも嬉しくねー羽交い締めをさっさとやめろ!」

「まぁ! 康ちゃんが男の子達の面倒見てくれるの? とっても嬉しいわぁ」


 加藤先生必殺、感激の笑顔。こんなに感謝されては嫌でも断れない、これ以上康介が暴れる事はないと確信した私は、嬉しくないらしい羽交い締めをやめた。別に喜んでくれなくていいし……。


「……任せて下さい。こういう時の、男手ッスから……」

「やだよ! まかべなんかとあそびたくねえよ!」

「——おし、涼太くん。モンスターバトルごっこで、俺に勝ったら由衣を独り占めしていいぞ」

「ほんとうか! オレが、かつぞ!」


 その一言に、私は康介の腕をグイッと引っ張って耳元でヒソヒソ反論した。絶対負ける気満々でしょそれ!


(ちょ……ッ何勝手な事言ってんの!)

(問答無用だ、お前も保育士のたまごなら子供の為に、身体張れ!)


 腕を払われ、康介は男の子達を連れて校庭に向かっていった。涼太くんは嫌いじゃないけど、期待させたくないから特別扱いは極力避けたいのに、人の気も知らないで。あーもう、しょうがないなあ。


「うふふ。高校三年生になっても、康ちゃんと由衣ちゃんはここに来てくれるのね」

「加藤先生には、とてもお世話になりましたから。私達、恩返しがしたいんです」

「ありがとうね。こうして、成長した姿を見せに来てくれるだけでも、わたしは幸せよ」


 優しい笑顔。私達が子供に携わる仕事を目指したくなったのも、加藤先生の存在があったから。子供からは愛されて、親世代や同業者からは頼りにされる、理想の保育士さんそのもの。


「でも由衣ちゃん、今日はちょっと元気ないかしら?」

「私が……ですか?」

「ええ。何か、不安な事でもある?」


 思わず一歩後退りした。そんな事ないですって言おうとしたのに、声に出ない。——だから、加藤先生の言ってる事は、多分……合ってる。


「そうですね、受験も近いので——少し、不安なのかも……しれないです」


 流石、加藤先生。私の変化にいち早く気付くなんて。受験シーズンが始まったら、このボランティアに来れる回数も減るだろうし、対策バッチリとはいえ、試験もうまく出来るかちょっと心配。そういうのを、見透かされたんだ。


「そう……でも、由衣ちゃんが不安なのは、それじゃないと思うのよ」

「え?」

「でも、受験生だものね……。実は由衣ちゃんに頼みたい事があるんだけど、やめておこうかしら?」


「そんな! 加藤先生の頼まれ事なら手伝いたいです、私は大丈夫ですから!」


 加藤先生に勢いよく迫った。私はこの学童保育の役に立ちたくて、毎週欠かさずここに来てる。施設の為になるなら、力を貸したい。


「そ、そうなの? じゃあ、お願いしちゃうけど再来週の日曜日から、子供達に絵本の読み聞かせをしてあげて欲しいのよ」

「絵本の読み聞かせ、ですか?」

「ええ。涼太君のような落ち着きの無い子、ゲームがやりたい子。そんな風に子供達の夢中な事が今、皆バラバラで全員に目が届かなくてね」

「そうですよね……」


 無理もないよ。私達が子供だった頃より、遊び道具もゲームも色々なもので溢れてる。皆で集まって、何かをする必要がないくらいには、便利な世の中になっちゃったし。


「絵本の読み聞かせなら、子供達を一ヶ所に集めて物語と絵を楽しむ事を共有出来るわ。だから、毎週日曜日に由衣ちゃんにお願いしたいのよ」

「私で良ければやります! ただ——誰かに読み聞かせなんてした事ないので、上手く出来るかどうか……」

「あらあら。そうね……まずは、絵本に触ってみる事から始めましょう。今、元気な男の子達は康ちゃんが見てくれてるから——吉浦さーん。今少し離れても、大丈夫かしらぁー?」

「はぁい。自主学習の時間なんで、わたし一人で子供達の見守りは大丈夫ですよー!」

「悪いわねぇ。わたしと由衣ちゃんは市民図書室にいるから、何かあったら呼びに来て頂戴な」


 学童職員さんの一人である吉浦さんと、やり取りした加藤先生は、辺りを見回して、子供達の落ち着き具合を確認する。

 問題無し。と、安心した加藤先生は、私を連れ出す為に手招きした。多分、児童館にある市民図書室に行って、絵本の読み聞かせのレクチャーを私にしてくれるっぽい。すっごい助かる。


 言葉では手伝いたいですって、意気込んでたけど先生の後を付いて歩いて、冷静になってみると急に心配になってくる。

 読み聞かせの相手は、小学生の低学年から高学年と幅広くなりそうだし——そんな子供達にストーリーテリングなんて出来るのかな。ていうか、絵本なら康介が適任なんじゃないの?


「……」


 なんで今、こんなに心が落ち着かないんだろう。息がし辛いような、心臓が怯えるような、そんな感覚がする。何が原因なのか分からないけど、加藤先生が言ってた不安って——多分『これ』だ。

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